Second




 じわじわと押し寄せる暗がりが、重く湿った息を吐く。ランボは毛布の端を握り締め、
視線を逸らしてそれに耐える。重苦しくのしかかる暗がりは生ぬるく、その一呼吸ごとに
徐々に暑さを増した。そして取り巻く。幾重に取り巻き、包み込む。毛布の中に侵入し、
直にその肌に触れる。さあ、お前は俺のものだ。ずくずくと嫌な音を立てて血が脈打つ。
ずくずくと音に合わせて身体は徐々に背中から引き裂かれる。
 悲鳴を。
 上げたのではなかった。蹴り上げた足が毛布を床に落としていた。ランボは両腕を伸ば
し空を掻いた。闇を掻き回し、払いのけ、ようやく気がついたか、ゆっくりと停止する。
耳に激しい呼吸が届く。ランボはごくゆっくりと肘を折り、両手で顔を掴んだ。大きく、
深く嘆息する。熱い息が手のひらを湿らせた。
 部屋には熱気が充満していた。カーテンを厚く閉ざし人工的に作り出した濃い闇の中で
喘ぐ呼吸が濃密な熱気をぶるぶると震わせた。
 ランボは首を巡らせる。狭い部屋。血まみれの服を纏い、路地を彷徨うランボを匿った
のは、角に露店を開く老婆だった。いつも飴玉を渡してくれる前歯の欠けた少女に肩を借
り、ランボはようやく安息に辿り着いた。死んだような静けさがランボを守っていた。夕
刻前に少女が食事を届ける他は、全く静かだった。朦朧としていたランボにはここが正確
に街のどこに当たるのか見当がつかなかったが、しかし毛布に丸まりもう一週間。静けさ
は永遠に続くかと思われるほど守られ、追っ手の気配もない。
 車から引きずり下ろされたランボの耳に、低く、冷たく、そしてとても静かな声が諭す
ように言った。リボーンの元へ行けと。その手紙を手渡せと。傷ついた身体を無理矢理起
こされて、姿見で見せられた背中の傷。それは確かにリボーンへのラブレターだった。親
愛なるリボーン殿。貴方を忘れたことは一瞬たりともありません。目には目を。あの男の
左目の傷はリボーンがつけたのだろうか。その仕返しだろうか。それともこの身体への仕
打ちこそが復讐の序章なのだろうか。かつてリボーンこそが、敵方にこのような仕打ちを
施したのではなかろうか。
 とにかく、とばっちりだ。耳元で囁く男に、ランボは吐き捨てた。男の腕が離れ、ラン
ボの身体は前のめりにゴミの山に突っ込んだ。車の音が静かに遠ざかる。ランボはずるず
るとゴミの山を滑り落ちながら、泣いた。誰の名前も呼ばなかった。リボーンの名前も。
ボスの名さえも。一人で泣いて、一人で歩きだした。助けを乞う言葉は口をつかなかった。
背中に刻まれた文字が悲鳴を上げ、強姦された傷が疼く。ランボはぼろぼろと涙を零した。
 言葉ない絶望が部屋を満たしている。カーテンで覆いをかけ、更に毛布で包み込む。俺
はこの部屋で朽ちる。復讐心はない。このまま死ぬ。腐り、朽ち果てる。テーブルの上の
食事のように。熱に腐食され、脆く崩れ、蝿に食われ、仕舞いに干からびる。自分が死ん
だ瞬間に、この地球も崩れ落ちて死体を飲み込んでしまう、そんな気がした。そんな幼稚
な妄想が、つかの間ランボの心を静まらせた。
 ランボは丸くなる。背を丸め、膝を抱える。そして両腕で頭を抱え、ゆっくりと吐く息
を止めた。
 ひい、と音がして、遠ざかった。しばらくして、それが自分の声だと分かった。まるで
葉のかすれるような小さな声だった。徐々に、徐々に、それは遠ざかる。だんだん聞こえ
なくなる。もうすぐ死ぬだろう。聞こえなくなったとき、そのまま意識が途切れるだろう。
最後の瞬間だ、と脳の表面でうっすら思った。誰の顔を思い浮かべよう。この世の最後だ。
全人類を跪かせる予定だった世界の王、敏腕ヒットマンのランボ様の最後なのだ。
 しかしそれも虚ろな戯れに過ぎなかった。浮かぶのは美女でも、美酒でもなかった。絶
望がゆるゆると全身を圧迫した。重い熱が喉を塞ぐ。呼吸が苦しげに掠れている。ランボ
はそれを聞いているがどうすることもできない。
 ああ、死ぬ。もうすぐ死ぬのに。何もない。何も。
 何か、何か、何か。最後に何か。
 死んでしまうんだ、最後に何か一つ。
 リボーン。

 それは耳の中で小爆弾を爆発させたような音だった。
 頭が揺れた。どうも激しく揺れているようだが、ランボにはまるで酩酊の心地よい揺ら
ぎのように感じる。ホテルのプール。違う、海水浴だ。浮輪に身体を乗せて波に揺られる、
あの心地よさだ。何だ、死ぬって意外と気持ちのいいものだったのか。
「ランボ!」
 名前が呼ばれている。そうだ、呼ばれる方に行こう。これだけ苦労したんだ、天国が俺
を待っている。
「ランボ!」
 今行く、今行く、ただ身体が思うように動かなくて。
「起きろアホ牛!」
 あまりの見幕に、瞼が開いた。壁に白い光が走っている。閉め切っていたはずの扉が大
きく開いて、記憶に刷り込まれた非常に見覚えのあるシルエットが浮かび上がる。すらり
と伸びた長身に、顔を隠すような中折れ帽。その庇に蹲るような影があるのは、カメレオ
ンが乗っているのだ。
 反射的に、死ね!という言葉が浮かんだ。ランボは意識する間もなく、反射のまま口の
形を、死ね、と形作り、まるで銃を持っているかのように右腕を伸ばすと、ベッドが傾い
で身体が床に叩きつけられた。
「起きやがれ、アホ牛! クソ牛!」
 バチンバチンと痛みが両頬を往復する。ゆらゆらと揺れていた焦点がじわっと定まり、
その姿はシルエットから実像となってランボの目に映った。
「………」
 言葉にならずぼうっと口を開けていると、もう一発平手が頬に飛んだ。悲鳴が口をつい
た。目の前の男は、かすかに息を切らせるような調子で、低く呟いた。
「起きたか」
「…リボーン……」
 ようやく開いた目に映ったのは、惨憺たる部屋の状況だった。リボーンのいつもの夜闇
のようなスーツがすすけ、中折れ帽の庇にはカメレオンだけではなく、小さく砕けた木っ
端が乗っていた。さっきは耳の中で小爆弾が爆発したと思った。しかしリボーンの肩越し
に見る向こうの床には確かに大穴が空いている。バスン、と音がして、頭上に羽毛とウレ
タンが舞った。そのときようやくランボは、横倒しになったベッドが自分たちを守る盾に
なっており、引っ切りなしの銃撃から二人の身を守っていることに気が付いた。
 何故、と問おうとしたとき、銃声が止んだ。
「リボーン」
 穏やかすぎるほどに静かな声だった。ランボの背中に痛みが蘇った。それは螺旋階段の
上で聞いた、あの地下室の闇の中で聞いた、車から引きずり下ろされたゴミの中で聞いた、
あの声。ラブレターの差出人。
「さあ、幕を引こう」
 リボーンはリボルバーに弾を装填し直すと、小さく呟いた。
「糞ハリウッドの芝居に興味はない。突破口は窓だけか?」
 後半の言葉が自分に向けられたものだと知り、ランボは苛ついたリボーンがまた平手を
炸裂させる前に答えた。
「だけど外にも待ちうけてるだろ? 出たところを狙い撃ちされる」
「正面突破しても同じことだ。それにこんな臭い場所にはもう一秒だっている気はねえ」
 ランボは言葉を飲み込んで、鼻をぐすぐす動かした。
「お…俺、臭いか?」
 すると、リボーンがまるで意表をつかれたかのようにランボを振り向いた。目がかすか
に見開かれている。ランボが見つめ返すと、眉がみるみる皺を寄せた。
「ふざけるのは後にしろ」
 リボーンは腰からひょいと手榴弾を取り出すと、口でピンを抜き、ランボの腕を掴んだ。
それを後ろに放り投げるのと、身体がぐいと持ち上げられ厚く閉じたカーテンに向かって
体当たりするのは同時だった。
 頭を覆った腕が痛んだが、次の瞬間背中にも熱と衝撃とが叩きつけられ、そして足場の
ない落下の感覚。様々な衝撃と轟音と痛みが混然と全身に叩きつけられた。この部屋は何
階だったろうか。俺はもう地面に落ちたのか。それとも落ちている最中なのか。それとも
爆発に巻き込まれているんじゃないだろうか。これは死ぬ間際の痛みなんじゃないだろう
か。
 息が苦しい。く、く、く、と喉が引き攣る。
 ああ、駄目だ。死ぬ、死ぬ、死ぬ。
「うるせー!」
 苦しい。苦しい。死ぬんだ。死ぬんだ。
「うるせーぞ!」
 死ぬ。せっかく、リボーンと会えたのに、リボーンが来たのに、死んじまう!
「うるせーっつってんだろクソ牛!」
 自分の頬を張られる音が耳に届いた。ランボはそのまま引っ付いてしまったかのような
瞼をこじ開ける。薄く、ぼんやりと、馴染みのシルエットが目に映る。
「リッ、リッ、リッ、リボーン……」
「いい加減、名前呼ぶのやめやがれ」
「えっ、リッ、リッ……」
「お熱いな、ええ? ハリウッド映画みたいだぜ」
「冗談言うな、吐き気がする」
「え……な、なに?」
 狭い空間。これは車の中だ後部座席にリボーンに抱えられるようにして転がっている。
きょろきょろと視線を巡らせると、首をひねって後部座席を眺めている山本と目が合った。
「やまもと?」
「ピンチにヒーローが登場なんて、それこそハリウッド映画みたいだろ?」
「や、やま……」
「軽口叩くな。前見て運転しろ」
「了解、ヒットマン殿」
 車体が大きく揺れ、身体が座席に押し付けられる。窓の外をすぐ、クラクションを鳴ら
しすれ違った車が後方の壁に激突する。山本が軽く舌打ちをした。
「同士討ちとはいかねえか」
 見れば何台もの車が追ってきていた。
「カーチェイスいくぜ。ハリウッド映画の華だ」
「山本、お前の今いる場所を言ってみろ」
「イタリアだろ」
 リボーンの問いに山本は楽しげに笑うと大きくハンドルをきり、再び後部座席の二人は
こっぴどく振り回された。

「セカンド」
 山本が言ったとき、思い出したのは数カ月前死闘を演じたあのアメリカ人だった。
 遮光フィルムを貼った窓は暗く、高速道の定置的な標識が時折、物凄いスピードで遠ざ
かる。山本はたまにワイパーを動かした。霧雨がフロントガラスを湿らせ、細かな粒がや
がて水滴となり滑り落ちる。
 山本はバックミラーから視線を投げ、片手をハンドルから離しピースサインを作った。
「二番目の、または野球のセカンド。あるいは、時間の秒」
「秒殺か? 捻りのない名前だな」
 リボーンが無表情のまま返す。
「それ言っちゃスモーキンボムが可哀想だぜ?」
 バックミラーに苦笑する山本の、ハの字に下がった眉が映った。
「だからまあ、珍しいケースなんだよ、お前の場合」
 山本の目がきょろっと動いてランボを捉えた。
「行き会えば数秒でカタがつく。そういう相手だ。そういう名前だ。お前は一応世界記録
を打ち立てたのさ。セカンドにまみえて九日間生き延びた男」
「……そうさ」
 ランボは小さく答えた。
「だって俺が目当てじゃないんだ」
 横目に見ると、リボーンは中折れ帽を深く被り、目元を隠している。代わりにレオンが
よく動く目をきろりと動かしてランボを見返した。
「まあ、な。セカンドの狙いはリボーンだ。でもこれはイレギュラーだぜ」
「何?」
「アメリカ人の刺客が最近の流行りでな。公式は単純だ。知ってるか、ランボ」
 山本はあるファミリーの名前を挙げたが、ランボは知らない。新興のグループだと山本
は言った。
「頭の悪い戦争だ。金にものを言わせて傭兵雇った、ハリウッド製のな。しかしセカンド
だけが逸脱してる。お前が寝てる間、俺たちが頭を叩いた。エキストラたちは尻捲って引
き上げてった。けど、お前とリボーンが残ってんだよ。お前は行方不明のまま出てこない。
不穏な気配はするけど、姿が見えねえ。で、思い切ってリボーン先生に動いてもらった訳
よ」
 婆ちゃんの口割らせるのに苦労したぜ、と山本は笑う。
「え、あの、露店の」
「安心しろ。婆ちゃんも孫娘も、身の安全はボンゴレファミリーが保証する」
 ランボはため息をつき、座席にもたれかかった。
 山本は後部座席から視線を外し、真っすぐに前を見据えた。
「この一週間、リボーン一人でも動いた。相手が姿を現すようなチャンスも三度作った。
それでもセカンドは動かなかった。ランボ」
 ランボは息を飲む。山本の声はとても静かに聞こえる。
「リボーンがお前を見つけたとき、やっと姿を現したんだよ」
「………」
 車は林の間の細い道を抜ける。日はとうに暮れ、疎らな林も鬱蒼と茂って見えた。道は
わずかな坂となり、上りきったところに墓石群が姿を現した。白々とした十字架の並ぶ、
そこは墓所だった。あろうことか山本はそのまま墓所の中を突っ切り、隅に立つ朽ちた小
屋の前で静かに車を停めた。
「俺もある程度引き付けちゃあみるが、ま、最後にケリをつけるのはやっぱりお前だろう
な、リボーン」
「もう十分だ」
 リボーンはドアを開け、ちらりとランボを振り返った。ランボは一瞬身体を震わせると、
引きずるようにして外へ出た。
 しっとりと冷えた空気が身体を包み込んだ。ランボは身震いし、思わず両手で身体を抱
いた。じゃ、という声に振り返ると、ウィンドウから顔を出して山本が笑っている。
「あ……」
「どした?」
「助けてくれて…」
「そりゃ言う相手が違うぜ」
 山本は来たとおり墓所の中を車をバックさせ、林の入り口で向きを変えた。ウィンドウ
から飛び出た腕が二、三度振られ、ブルンと胴に響く排気音を立て、車は林の中に消える。
夕闇の中目をこらし、いつまでも見送っていると背後で軋む音がした。リボーンが墓守り
の小屋に入ろうとしていた。ランボは慌てて後を追った。
 闇の中にジッポーの炎が揺らめいた。それは粗末な机の上に蝋燭を見つけだし、近づく。
蝋燭に火が移されると、ようやく明かりは安定したものとなった。
 リボーンはベッドらしい藁の上に腰を下ろすと、中折れ帽を取った。カメレオンはする
りと肩の上に滑り降り、主人の意図を察すると、藁の上に丸くなった。ランボは入り口に
突っ立ったまま、視線を落としている。
「脱げ」
 短く言われた。感情も、抑揚もなかった。ただ当たり前のことのように、リボーンは言
った。見ると、彼は倦んだように手を組み、それを鼻に押し付けていた。
 ランボは抗わなかった。そして数少ない、とまったボタンに指をかけた。脱いだシャツ
の背中は血にまみれていた。それが模様であるかのように、もとの牛柄さえ隠すように染
み付いていた。
「下もだ」
 命ぜられるままに従った。足首まで落ちた下着を蹴飛ばす。蹴飛ばされたそれは部屋の
隅で埃にまみれた。
 リボーンの立ち上がる気配はなかった。当たる視線さえ乾いたものだった。
「後ろを向け」
 ようやくリボーンは言った。ランボは言われるまま、リボーンに背中を向けた。
 そこで初めてリボーンの視線が形を成した。背中に刻まれた文字をなぞっているのが分
かる。きしきしと始終痛みを訴える上を、ちりちりとした視線がなぞる。太股や腕には縄
の痕が残っている。あの一昼夜、気絶しても尚この身体はいたぶられた。
 かすかに布擦れの音がした。聞き慣れた音だ。自分の背後で、あるいは目の前で見せつ
けるようにリボーンはネクタイを外す。
 首を捻って振り返った。目が合った。
「乗れ」
「え?」
 リボーンはシャツを脱ぐ。蝋燭の明かりに筋肉の陰影が彩られる。リボーンの目は、ま
たランボを見た。
「後ろからやられたいのか。乗るんだ」
 ランボはのろのろと藁のベッドに近づいた。ゆっくりとリボーンの腰を跨ぐと、裸の腰
から背中に腕が添えられた。身体の奥からランボは震えた。この肌を知っている。この手
を知っている。この熱を知っている。ランボは自分を支える肩に口づけを落とす。
「場所が違うぞ」
 真上からリボーンを見下ろした。リボーンは視線を逸らさなかった。ランボが口づけて
も視線を逸らさなかった。ランボも瞼を閉じなかった。
「あのさ…」
 ランボは声を震わせた。
「俺、臭いよ……」
 リボーンはランボの胸に口づけただけで答えなかった。

 目覚めると、床の上に這いつくばるリボーンの背中が見えた。何をしているのか尋ねよ
うとしたが、声が出なかった。見ているとリボーンは床板を外し、そこからライフルやサ
ブマシンガンを無造作に取り出し放っていた。箱に入った弾ががちゃがちゃと耳障りな音
を立てた。
 しかし結局リボーンはそのどれにも手をつけなかった。彼は蝋燭の明かりを手元に引き
寄せると、自分の懐から取り出したリボルバーを分解し始めた。
「散らかすだけ散らかして…」
 ランボが小声で呟くと
「秒単位で決着がつくのに、これは無駄だ」
 と返事が返された。
 ちゃんとした返事が返されるとは思ってもみなかったので、ランボは少し驚く。そして
口を噤む。リボーンの所作は手早く、無駄ない。ハンカチに変身したカメレオンの上に、
部品は次々と並べられ、あっと言う間に解体が完了する。今度はそれを、一つ一つ確認す
るようにゆっくりと組み立て始めた。
「なあ」
「何だ」
「俺にも何か貸してよ」
 しかし相手は返事どころか視線も上げようとしない。
「リボーン」
「………」
「まさか戦うなって言うのか」
「………」
「足手まといになるとか何とか言って、優しい気持ちを隠すつもりなんだろ?」
 リボーンは組み上がった銃のシリンダーを回すと、音を立ててランボの眉間に狙いを定
めた。
「お前が武器持つと、俺がお前を殺したくなるんだ」
「…上等じゃんか」
 ランボは立ち上がり、リボーンの積み上げた武器の山を物色し始めた。リボーンは腕を
下ろすと、弾を一つ一つ光にかざしながらシリンダーに詰めた。

 夜明け前の天は曇っている。鬱蒼と茂って見える林は梟の声や小動物の気配を想像させ
たが、あるは沈黙する墓石ばかり。死の気配とでも言うような、静まり返ってそれ以上の
何も生み出しようもない静寂が墓所を占めていた。リボーンは適当な墓石を背に腰を下ろ
した。ランボは少し迷い、大きなオベリスクの足元に座り込む。
「なあ、どういう因縁があるんだよ。その、セカンドって奴と」
 ランボはサブマシンガンを両手に抱え、横目にリボーンを見た。
「目には目をって…」
 少し躊躇うが答えるような気配はない。思い切って口にする。
「こういうこと、お前もやったのか」
 リボーンは本当に何も答えなかった。石のように口を噤んでいた。
 沈黙はイエスだろうと質そうとしたとき、不意にリボーンが口を開いた。
「黒幕の名前を教えてやる」
「えっ!」
「三浦ハルだ」
「はっ?」
「ツナを独占するために、影響下にあるマフィアを全滅させようとした。最終目的が俺の
抹殺だ」
「え、ええっ!」
「嘘だ。撃て」
 言うや否やリボーンは振り返り、右手のオートマチックを連射した。慌てて振り向いた
ランボの目に、夜明け前の淡い空を背にした二つの影が見えた。反射的に背中に走った恐
怖に引き金を引いたが、銃口は暴れて古くなった墓石を幾つか砕いた。
「無様だ」
 その声はあまりにも静かで、小さなものだったのに、ランボは耳元で聞くようにはっき
りとその声を聞いた。あの声だ。あの男だ。
 思ったときには視界に影が侵入している。まるで壁のように、声のない悪魔のように、
それはランボの隣にたたずんでいる。ランボは今度こそしっかりと腰だめに構え引き金を
引いたが、男は幽霊のように目の前から消え、弾は地面に穴を空けるばかりだ。
「ホント、無様だよ、お前」
 今度は背後から声がする。降ってきたナイフをランボは銃身で受け止めた。自分を荷物
のように縛り上げ、ラブレターを刻んだ当人が、侮蔑の視線と共に言った。
「こんなになったら、普通、死ぬもんだ。誇りをもつ者はな」
「うるさいな」
「死ねよ」
 真顔で青年は囁いた。蛇の舌がちらりとのぞき、悪魔のように囁いた。
「死ねよ、あいつと一緒にあの世に送ってやる。愛人だろ」
「ふざけんな」
「ホント、ふざけてんじゃねーぞ」
 その台詞の終わらない内に銃声はなっていた。ふと押し返す抵抗がなくなる。青年の姿
が崩れ落ち、その向こうにリボーンの姿が見えた。銃口はこちらを向いていた。
「お前ら喋りすぎだ」
 リボーンは墓所の真ん中に向き直った。
 悪魔のように、死神のように、夜のように男は立っている。墓石に囲まれて、明け始め
た薄紫の空を背にして。そしてその顔は、何だか優しい顔をしていた。
「お前が私から全てを奪った瞬間を覚えている」
「俺は忘れた」
「お前の撃った弾は今もここにある」
 男は人差し指で左の側頭部を二度叩いた。
「以来、俺の頭の中には常に銃声が響いている。長い長い銃声だ。お前の撃った銃声だ。
あれが、消えないのさ」
「気の毒だな」
「全くだ」
 その瞬間、銃声が聞こえた。それはランボの耳にも聞こえる本物の銃声だった。なのに、
それは長く長くいつまでも響いた。
 男は倒れなかった。背後の十字架にもたれかかり、動かなかった。
 リボーンがため息をついて腕を降ろした。銃口からは微かに硝煙が立ちのぼっていた。
「……え?」
 ランボは小さく声を上げる。
「これだけ…?」
 リボーンは疲れたようにランボを一瞥すると、腰を下ろして煙草に火をつけた。
「これで、終わりなのか…?」
「終わってほしくないような口ぶりだな」
「だって……」
 十字架を背に男は動かない。足元に血溜まりの広がるのが見えた。
「そんな、だって……」
「ランボ」
 短く、絞り出すような声だった。ランボは口を噤んだ。
「こっちに来い」
 敵意さえ滲む声だった。ランボが硬直していると、敵意の滲んだ声が更に投げられた。
「来てくれ」
 頼んでいるのに、いかにも不機嫌そうで、敵意にあふれていて、こんなにも疲れたよう
な顔で。
 ランボは空を仰ぐ。雲は去り、のぞく空が明けの光に射され青く澄み渡る。急に胸の中
から何かが抜けていった。替わりにひどく冷たい空気が吹き渡った。ランボは一瞬、悲し
い、と感じた。しかしそれさえ胸を吹く冷たい空気に拭い払われた。
 嘆息し、緩慢に口を開く。
「マフィアのくせに」
 リボーンは答えない。
「ナンバーワンのヒットマンのくせに」
 ランボはゆっくりと近づいた。
 近づくと銃口がランボを狙った。異常なほど冴えきった目がランボを捕らえていた。ラ
ンボもそれを見つめ返す。ともすれば目を逸らしたくなる眼光だったが、しかし意地で見
返した。
 銃口が逸れた。それは真っすぐ天を向き、一発だけ明け方の空に銃声を轟かせた。
「…それで、気が済んだか?」
「偉そうな口をきくな」
「きくよ。だって俺、お前より四つ年上なんだもん」
 リボーンは深く息をついた。煙草の煙が地を這った。ランボはゆっくり歩きだした。十
字架を背に動かない男の前まで来て、その潰れた左目を見た。そして振り返ると、ぎらつ
いた視線で睨み返してくるリボーンが両の目で自分を捕らえていることに、心の中でひそ
かにため息をついた。
 林の向こうから車の音が近づいてくる。あの癖のある排気音は山本に違いない。

          *

 背中の傷に新しい皮膚が薄く張り、もう僅かな痒みににた痛みしか残らなくなったころ、
ランボは新しいヤサを出て、越してきたばかりの目新しい路地を散歩した。飴玉を売って
いる露店はもう幾つも見つけている。多分、最初に見つけた店が馴染みになるだろう。
 新しい生活はそこそこに快適で、アジトへや以前より遠回りになってしまったが面倒に
は感じない。
 リボーンが訪れる以上にランボに構うのは山本で、何かと世話を焼いては楽しげに去っ
てゆく。親切心とういより単に屈託がないのと、単に暇らしい。新興のファミリーが壊滅
してこちら、どこも珍しく静かなんだそうだ。
 螺旋階段を降り、陰の落ちる路地を出る。午後の明るい光が頭上に降り注ぐ。
 ちりり、と背中が声を上げた。
 ランボは路地を振り向いた。長身の黒いシルエットに中折れ帽。冷たい双眸がじっと見
つめている。ランボはそれを見つめ返す。二人の視線はするりと結び合う。
 数秒のことだった。それは不意に解かれた。二人は共に相手から顔を背けた。中折れ帽
を深く被り直した影は路地の向こうに、そしてランボは飴玉を買いに日の当たる大通りを
歩きだした。








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