秋霜/あなたの傷跡





 若い売春婦が一人、死んだ。母親はいない。賭博好きの父親に十二まで育てられ、売ら
れたが、それ以前も道端に立って身体を売っていた。ごくありがちな不幸な経歴と、あり
がちな女の顔、赤い口紅。ただ沢田の見た写真の彼女は頭が半分なかったが。それを吹っ
飛ばしたのはファミリーの者で、分別のない者とも思わなかったが、果たして。今は自宅
にいるそうだ。
 リボーンがさっきから沢田の脇に別の写真を突きつけている。今回の仕事の標的であっ
た男で、こちらは胴体に六発撃ち込まれて絶命している。その証拠写真だが沢田はさっき
から若い売春婦の写真から目を離さない。女には三発の銃弾が打ち込まれている。胸に二
発。頭を吹き飛ばした一発。
 説明を受けるに男が女を連れて歩いていたという、ありがちな不測の事態、ありがちな
不幸な巻き添えだ。
「ツナ」
 リボーンは強い声で呼びかけたが、返事をしない。鋭い眼がしばらく沢田を睨めつけて
いたが、やがて肩をすくめると燃える暖炉に写真を放った。写真はリボーンの手から離れ、
すい、と滑るように火の中に踊り入った。炎の中をふわりと舞い、炎をまとい、灰になる。
リボーンは沢田に向かって手を伸ばした。沢田は尚も写真に見入っている。
「ツナ!」
 叱責するような声だった。沢田はようやく振り向くと、手の中の写真を手渡した。リボ
ーンはその写真も暖炉にくべた。沢田は椅子に深くもたれかかると目を閉じた。リボーン
の声が話し掛ける。
「仕事は済んだ。報酬も頂いてる。クライアントも文句言わねーぞ」
「…分かってるよ」
「覚えてるか。やられた銀行屋の娘はこの娼婦より歳が下なんだ」
「…覚えてるよ」
「死んだのはお前が見も知らない娼婦だ。笹川京子じゃねー」
 沢田は息を止めた。リボーンの沈黙は忍耐強く待っていた。
「…知ってるよ」
 嘆息するように答えた。
 日本を離れて何年経つ。二十歳を過ぎた笹川京子の顔を沢田は知らない。向こうから写
真が送られてくることはない。沢田が連絡先を教えていない。ただ月に一度、電話で話す
だけが今も二人を繋ぐ線だ。
 プチ整形したよ、と京子は明るく、何でもないことのように言った。これでピアスとか
おしゃれもできるようになったの。合わせて髪も切ったよ。ツナ君がしってるよりずっと
短いんだから。
 笹川京子が整形手術を受けたのは耳だ。沢田がイタリアに渡る前、日本で迎えた最後の
冬のこと。笹川京子は沢田の目の前で狙撃された。耳たぶが千切れた。頬から首筋にかけ
てが真っ赤に染まった。隣を歩いていた沢田の頬にも血が飛び散った。笹川京子は呆然と
沢田の顔を見ていた。悲鳴一つ上げず、大きく見開いた目で沢田を見ていた。
 その夜、病院から帰宅した沢田に、リボーンは一言謝罪した。ただ一言だけだったが、
リボーンは首を垂れ謝罪をした。リボーンの口からそんな言葉を聞いたのはあれ一度きり
だ。沢田は首を垂れたリボーンの手から銃を受け取った。重いと思った。やっぱり重い。
 沢田は瞼を開く。暖炉の明かりにリボーンの横顔が浮かび上がる。目が、こちらを見た。
鋭く貫く。沢田もまたリボーンを見た。
 笹川京子ではない。それは分かっている。どこにでもいる不幸な女だ。頭を割られたの
も、たまたま当たり所が悪かっただけで、別に頭に当たらなかったとて生きていられた訳
ではないだろう。ヒットマンは任務に忠実に、標的と、自分の顔を見た女を殺しただけだ。
そして今は自宅にいる。仕事を終えた後ならば、きっとシャワーを浴びているだろう。
 暖炉は明々と燃えている。
「でもボスはオレだ」
 沢田は言った。
「決断はオレが下す」
「人心の掌握にどれだけ時間をかけたと思う」
「ご機嫌とって下についてもらうのか。違うだろ」
 引き出しを開ける。銃が一丁。手に取る。重い。射撃訓練は欠かさない。腕には十代の
ころ思いもしなかった筋肉がついた。が、今でも重い。
「オレのファミリーで、オレの街では許さない。オレが許さない」
 今度はリボーンが答えなかった。ただじっと沢田の目を見詰める。沢田は装填された六
発の弾を確認すると、立ち上がった。リボーンの視線が追った。
「オレがやる。問題ないな」
 上着を羽織り、ポケットに銃を突っ込む。扉を開けようとしたところを、リボーンの足
跡が追った。沢田は振り返らなかったが、リボーンが車を用意し運転席に座るのを拒まな
かった。


 六発のうち、二発を使った。リボーンは車で待っていた。


「窓を開けてくれ」
 沢田が言った。
「馬鹿言え、射的の的にされてーか」
「いいから、開けろよ」
 運転席のリボーンがバックミラーから沢田を睨みつけた。しかし沢田はもう目を瞑って
いて、それを見なかった。泥のような身体が座席に沈み込む。
 音をたてず窓が開いた。入り込む夜風が沢田の前髪を揺らした。風は抜けるように沢田
の上を走る。沢田はなぶられるままに風を受けた。橋の明かりや、街灯、酒場のネオンが
頬に色をつける。青ざめた白い頬の上を不健康なピンクが塗りたくる。そんな暴力的な色
に晒されても、沢田の瞼はぴくりとも動かなかった。
「生きてるか」
 リボーン。
「……ああ」
 掠れた返事を返す。
「ボス。……ドン・ボンゴレ」
 沢田は薄く目を開けた。眉間に皺を寄せ、斜からバックミラーのリボーンを睨む。疲れ
た右腕を背もたれにかけ、低く応える。
「なんだ」
「…いい返事だ」
 リボーンは窓を閉めた。










秋霜:刑罰の厳しい形容

お題配布元→10年後捏造で23のお題**

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