デスペラード/セックスとキスと切なさの間





 売春宿の女達の下着をくぐって顔をだすと、下着姿の女達が三人、洗濯に励んでいた。
彼女らは干された自分達の下着の下にぬっと出た顔を見て、少し驚き、すぐ笑い出し、レ
ース仕様のブラジャーを投げつける。山本武はその両端を持ち、動物の耳のように頭に被
って見せた。売春婦達はきゃらきゃらと声を上げて笑った。
「イルマ」
 人に威圧感を与えない程度にほどよく低く響く声が名前を呼ぶと、白い下着をつけた女
が笑うのを止めた。山本は後ろから慌てて駆けて来ては頭を下げる主人に余るほどの紙幣
を押し付け、イルマと呼んだ女の手を取った。女の手は山本の手をすり抜け、首に巻きつ
く。そのまま部屋へ駆けてゆくと、背後の洗濯場からまた売春婦達の笑い声が響いてきた。
 女の肌は浅黒い。黒い髪も少し縮れ気味で、飾りを外すとベッドの上に扇のようにその
髪は広がった。女は自ら白い下着を脱ぎ捨てた。丸く弾力のある乳房に山本は口付け、顔
を埋める。女の手がベルトにかかった。女の黒い指が自分のものに触れるのが気持ちよか
ったので、しばらくそのまま任せることにした。
 母親がアメリカ人だというこの女はイタリアに来て三番目に馴染みになった女だ。そし
て今では一番付き合いが長い。女の囁く睦言は英語とイタリア語が入り混じる。山本が教
えた日本語を戯れて囁くこともあった。私は英語で考えることもできるの、と女は言う。
そこが山本の気に入った部分だろう。異国の血を継ぎ、異国に溶けた女。異国からやって
きて、異国に溶け始めたのが山本で、今では山本もイタリア語で、この異国語で思考する
ことができる。
 ベッドに仰臥した山本の上で女の乳房が揺れていた。山本は手を伸ばしてその乳房を揉
んだ。女はそれに気づくと眉をひそめて山本の手を払い、ベッドの上に縫いとめる。結局、
女にされるがまま山本は達する。女が腹の上で満足気に高い声を上げた。
 足の間に流れ出すものをだらしなく放置したまま、女は山本の隣に横になる。山本は柔
らかく広がる女の髪を掻き上げ、肩に歯をたてる。
「なあ、キスは」
「駄目よ」
「どうして」
「どうしても」
 山本が頬に唇を寄せると、女は枕に顔を伏せて、掌で山本の顔を叩いた。
「今日はキスがしたいんだ」
「いや」
 女の声は笑っていながら、頑固だ。
 カーテンの向こうは明るい。夕方というにもまだ早かった。ベッドの上に身体を起こし
た山本は所在無く腹を掻く。狭い部屋に、カーテンの隙間から射す光が一本の線を描いて
いる。
 不意に、女が浅黒い肌を震わせ飛び起きた。そのまま山本の頭を掻き抱き、頬に唇を押
し付ける。
「嘘よ」
 山本が唇を合わせても抗わなかった。舌が触れる。
「嘘」
 女が笑う。細い指は山本の頬を撫で、髭の伸び始めた顎を何度も往復した。
「髭、剃ってあげようか」
「なに?」
「剃刀で」
「冗談言えよ」
 山本は返事をさせまいとひつこく絡みつく女の舌を引き離す。
 ふと山本は、覗き見た光景を思い出す。獄寺が沢田の髭をあたっている図だ。沢田は洗
面台の上に座り、目を瞑って、心持ち顎を上げていた。剃刀を持った獄寺の手がシャボン
まみれの沢田の顎を優しく滑る。マイトと銃の他、精々ナイフかフォークにしか縁のなさ
気な獄寺の手は、哀しみを滴らせるほどの優しさで沢田に触れる。
 あの手は怖れに震えはしなかったか、と山本は思う。獄寺はシャボンまみれの顎の上の、
沢田の唇に触れたことがあるのだろうか。あの後、触れたのだろうか、やはり触れられな
いままなのだろうか。
 山本は女の尻に手を伸ばす。さっきまで己がものを収めていたそこへ指を滑らせると、
女が耳を噛んできた。
 女を抱くように、山本はきっと、沢田も抱くことができると思う。あの唇に優しく触れ
ることも、ついばむことも、貪ることもできると思う。それどころか、獄寺に対してでさ
え、できると思った。
 沢田には言っている。沢田は眉をハの字に下げて笑う。山本が冗談を言っているのでは
ないことを沢田は分かっている。そして、山本になら、な、と言った。きっと山本が本気
で沢田を抱きたければ、沢田は拒まないはずだった。しかし沢田と獄寺の間には何がある
のだろう。顎の下に剃刀、それを甘んじるような関係にありながら?
 俺は顎の下の剃刀の方が怖い。
「あんたがなに考えてるか、知ってるよ」
 女は耳元で浅い息を繰り返しながら囁く。
「そろそろ、ここに来るのはよそうって。図星でしょ」
「そうだな…」
 女が剃刀を持ち出し始めたということは、この売春宿に別のファミリーの息がかかり始
めたということだ。いっそ今のうちに殺されちまいなよ、と女は微笑した。
「きっとどこ行ったって殺されるよ、あんたんところのボスもね、女の上に乗っかる限り
逃げらんないね、殺されっちゃうわ」
「女か」
「セックスよ。セックスの魔力、男は日の沈まぬ内から女の上に乗っかって…」
 女。沢田は笹川京子と寝たのだろうか。数年前イタリア行きの切符を手にした沢田の顔
は京子への想い断ち切りがたしというものだったし、今でも月に一度は国際電話の記録が
残っている。
「なにが可笑しいのよ、これから死んじゃうってのに」
「ん」
 山本は緩んだ頬を女の頬に擦り付ける。
「ボンゴレファミリーは安泰だと思ったのさ」
 身を滅ぼす原因が女ならば沢田は日本まで乗っかりにいかねばならず、しかし右腕の男
だったとて日が暮れてものっかろうとしないのだから、いっそ地中海の方が溺れるに近い
という訳だ。切ない想いには、あのスモーキン・ボムが些か溺れ気味のようだが、そこは
息ができるように協力するぜ、獄寺。
「わるい、おとこ」
 女が日本語で囁いた。そうさ、と山本は笑い、女の身体をベッドの上に押し倒した。斜
陽が女の黒い肌の上に、白い一本の線を描いた。階下からはボナセーラの声。山本はサイ
ドボードからビールを取り上げ、一気に呷った。女が物欲しげに手を伸ばした。山本は口
付けにビールを流し込む。溢れたそれが頬を濡らし、女は唇を吊り上げ、頬も拭わず山本
の頭を抱き寄せ強く唇を吸った。


 女はベッドの上にうつ伏せになり、絶え絶えの息を吐く。山本は全身から湯を滴らせそ
れを見下ろした。手にしたタオルでその身体を拭いてやろうとしたが、思いとどまり汗に
濡れた尻に口付けを落とす。
「すけべ」
 掠れた日本語は微かに笑みを滲ませていた。山本は女の身体をひっくり返し、熱いタオ
ルで乳房を下から拭った。
「ねえ、すけべ。あんたと最後だと思うと切ない」
 やっぱり髭を剃ろうよ、と女はねだる。しかし山本はそれを無視して女の身体を拭いた。
そして窓を閉め、空調を入れた。冷たい風が吹き出す。
「風邪ひくなよ」
「どうせ死ぬわ」
 山本は女の柔らかく広がる黒髪に指を通した。女はぽってりと厚い下唇を噛んでいた。
 衣服を身に着ける、その一枚ごとに思考がイタリア語にスライドしてゆく。部屋を下り
ると、まず階段に姿を現した主人の額を銃で撃った。撃たれた勢いで後ろへ倒れ込んだ身
体がどたどたと音を立てながら階段を落ちる。階段の入り口がわっと暗くなり、三人、こ
っちに突っ込んでくるのが分かった。
 切ないと呟いた女の顔を瞼の裏から消し、山本は、引き金を引いた。







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