静謐の午後/今、この瞬間に





 扉を開いた途端、無音に包まれる。静けさ、急な音の無さ。図書館はそれこそ遠くの溜
め息さえ聞こえるような静けさに満たされていたはずなのに、古く重たいドアを押して外
へ出た途端に自分は放り出された、この無音の中に。
 青い空がのぞいている。雲が多いが、雨はこないだろう。十一月の冷たい風が建物の屋
根を越えて道路に吹き降ろす。道行く車は横っ面を寒風に張られ、頑なな鉄の塊と化す。
道行く子供のマフラーがなびく。しかし風の音も無い。いや、じわりと。
 どう、と。時間差をもって耳に届く低い響き。風の音に空が揺れる。雲が流れ、日が翳
る。コートの内側を這うような寒さ。獄寺は風邪を引いている。
 待たせている車の中が煙草の煙に充満しているのが見える。あそこに入れば盛大に咳き
込みそうだ。慣れた、愛しい煙の中で。苦しいだろう。思うと、咳が一つ、二つ、続けざ
まに出た。
 すると、また無音の世界が。
 広がる。包み込む。その中にぽつんと佇んでいる。宙に浮くような。獄寺。隼。人。名
前を呟く。無音の世界では名を呼ぶ人はいないから。自分の正体など簡単に奪われてしま
うから。寒い風に吹かれたら、もう元の場所には立っていない。
 車には乗りたくない。無様に咳をする、きっと。図書館にも戻りたくない。人工的な静
けさに神経が刺される。寒気がやまない。情報屋にはバレていないだろうか。顔色は何度
も鏡で確認した。このコートの厚さも、季節柄からすれば十分。なのに。
 不安がつのる。
 コートに手を突っ込み、マイトの感触を確かめる。爆音さえ飲み込まれた無音の世界で。
この存在。紙の感触。指先をかすれ、導火線。乾いた煙草も、ライターも、どこに。どこ
に。忘れてくるはずなどない、のに。無くなる。消える。無音の世界は。獄。寺。隼人。
思う先から消えてしまいそうな。刹那。
 道の向こうに小柄な影を見た。黒い影だ。全身真っ黒の、細い影だ。
 死神。
 という言葉が脳裏を過ぎり、まさか、でもひるがえるのは真っ黒のコート。中折れ帽に
隠れた目。薄く笑った唇。
 車のひっきりなしに通う通りを、その影は、左右を見向きもせずに、こつり、と足音を
立てて一歩踏み出す。こつり、と石畳に足音を響かせて。こつり、と一歩。一歩。
 少し怖かった。
 その影が目の前にやってきたとき、思わず肩をすくめてしまった。目を瞑って、足が後
ずさりかけ、伸ばされた手に恐れた。怖かったんだ、獄寺は、少し。
 だから、頭の上にあたたかな感触。驚いて、それが何か知るのに少々の時間を要した。
目の前から消えた気配に、恐る恐る目を開けて、指先で頭に触れて。載せられた中折れ帽
に指先が触れて、ちょっと目を見開く。パウダの匂い。引き金を引く指の纏う匂い。
 目の周りが熱い。泣く前に似ている。いや、眠くなる前に似ている。
 違うだろうか。
 十一月の冷たい風が吹く。空には少し青い切れ間。背後の建物に風を遮られ、陥った無
音の世界、にひとりぼっち、のような。子供のころ、感じた孤独な時間、に似た。異国の
空港にひとり降り立った、不安感、に似た。人を殺した後の、煙草の最初の一服、目を瞑
って煙を味わった、夜明け前、に似た。過去に似た。
 死ぬ瞬間に似た。
 知りもしない未来の最期の記憶に似た、時間の、去ってゆく今一瞬に縋るように、中折
れ帽のひさしを両手で掴む。吐いた息、が、熱い。少し熱がある。背中は寒いのに。目の
端には、映る。黒い影が、待たせてある車に寄って、ドアを開けさせる。煙が空に立ち昇
る、じゃない、ドアから出た瞬間に、風に千切れて、消える。充満していた白い魂。消え
て、身体が軽くなる。車が待っている。エンジンふかして。
 今、この瞬間に、死んでしまいそう、な。
「獄寺」
 際で、抱き締める、よう、な。
 名を呼ぶ。
 声。
 無音の世界に青い空が吸い込まれる。世界が、ひっくり返る。足元が揺れて、少し、支
えられる、背中に、手。背中。マフィアの背中に、手。触れる手。柔らかく、押され、図
書館前の階段を、少し揺れる。中折れ帽の陰で流れていた涙が、宙に、丸く、浮く。
 青空は無重力だ。
「獄寺」
 笑っている。歩き出したその隣で、目の覚めるような青の中で、黒いコートがひるがえ
り、寒い、寒い、寒くない。風なんて冷たくなくて、この足元から這い上がる寒気、も今
はどうでもよくて、少しだけ背中を押した、手が、凄く熱いものだったような。
 熱い、それは、目元。
「こんな姿を不用意に晒すな。ボンゴレファミリーの一員なら。ツナの右腕なら」
「分かってます、分かって、ます」
 獄寺は何度もうなずく。車はエンジンをふかして待っている。ドアが開けられる。促さ
れるように後部座席に倒れこむ。ど、ど、ど、と動き出す車の振動。頭が揺れる。くらく
らと、右カーブ。
「獄寺」
 中折れ帽の下で、涙が止まらない。目の周りが熱い。これは風邪を引いているせいで。
 決してリボーンが肩を抱いてくれているせいでは、ないと、思う。











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