メルト/それでも





 白いバスタブの中に佇む。乾いた滑らかな曲線の底に足をつけ、不思議な程光に満ちた
浴室の中で息をする。アンティーク的な意匠のカランに手を伸ばす。ゆっくり捻ると遠く
からやってくる雨のように熱い湯が降り注ぎ、沢田の顔を濡らした。熱いシャワーは色素
の薄い髪の間に入り込み、背を伝い、腹を這い、細い身体をくまなく濡らす。沢田は目を
瞑る。くまなく溶けてゆく気分だった。ゆっくりとバスタブに崩れ落ちる。そのまま熱い
湯に打たれて、溶けてなくなる。
 獄寺が起こしにきてくれたとき、どれほどの時間が経ったのか分からない。この山腹の
城に到着したのが昼前だった。その後、軽い昼食を勧められたが、先に汗を流したいと入
った浴室だった。獄寺は浴槽の脇に跪いている。その顔がぼやける程に浴室からは光が失
われていた。重たい両腕を持ち上げる。両の手を触れ合わせる。指の腹に皺がよってでこ
ぼこしている。そう言えば全然寒くない。蛇口からゆるゆると流れ込む湯が微かに湯気を
立たせている。縁からはナイアガラのように絶え間なく湯がこぼれだし、跪く獄寺の膝を
濡らしていた。
「獄寺くん…」
「もっと早くにお起こしした方がよかったですか」
「ううん」
 沢田は首を振ると起き上がろうとした。が、身体は水をたっぷり吸ったスポンジのよう
に重く、感覚がない。沢田が手を伸ばすと、獄寺がその手を引っ張って沢田の身体を浴槽
から引き上げた。
 湯船から出た途端、刺すような空気の冷たさに気づく。まだ秋に入ったばかりというの
に、随分ここの空気は冷えている。獄寺が広い真っ白なバスタオルを広げた。沢田は大人
しくそれに巻かれる。暖かい、日なたの匂いがする。優しく拭われると自分の身体が帰っ
てくる。いつの間にバスタブから溢れ出して、流れていってしまったと思ったのに。
 獄寺は同じように暖かそうなバスローブを用意していたが、沢田はその横をすり抜け、
素裸のまま部屋へ出た。開け放たれた窓から涼しい風が吹き込む。沢田はカーテンの揺れ
る窓辺に寄り、眼下の景色を見下ろした。山の緑は遠くは濃く夜の黒に染まり始めていた
が、すぐ近くに生えた樹の緑はまだその目に鮮やかだ。その緑をなだらかに下っていった
先に夕霞の海が広がっていた。街は乳白色の薄い霞に沈み、明かりは海に浮かぶ星影のよ
うに揺れる。
 背後では獄寺がバスローブを天蓋付きのベッドの端に置き、少し離れたところから沢田
を見守っている。沢田がくしゃみをすると慌てて駆け寄った。
「十代目…」
「…大丈夫」
 沢田は洟をすすり上げながら、少し笑う。
「やっと静かになったのに風邪ひいたんじゃ、笑えないや」
 獄寺の手が触れない程度に肩を促し、沢田はゆっくりとベッドに近寄る。腕に触れると
鳥肌が立っていた。獄寺は赤ん坊でも包むように沢田に柔らかな羽根布団を掛ける。
「リボーンさんももうすぐ到着されます。一応ご一緒に夕食をと思ったのですが…」
「眠い…」
「でしょうね」
 獄寺は微かに笑いを滲ませて言った。
「安心して眠ってください」
「うん」
 既にうとうとと閉じ始めていた沢田の瞼が薄く開いた。羽根布団からそっと細い腕が伸
びる。獄寺は枕元に跪くと沢田の白い手に触れた。沢田はゆるやかにそれを握った。
「膝、濡れてる…」
「大したことじゃありません」
 眠りを誘うような優しい声が溶け始める。握った指の一本一本、溶ける。溶けて混ざっ
てしまう。柔らかな湯が溜まるように。触れて、溶けて、一緒に溜まる。早い秋風に微か
に表面を波立たせながら、しかし失われない微熱にゆらゆら揺れながら。温かく、溶ける。


 風がカーテンを揺らす、衣擦れの音さえ聞こえた。夕闇の中で沢田の瞼はいつの間にか
閉じている。しかし獄寺は跪いたまま、背筋は真っ直ぐに伸ばしたまま、沢田に握られた
手を捧げ続けた。青い空気の中で、沢田は眠っている。寝息が青い空気に密かに溶ける。
 庭の砂利をタイヤの踏む音が近づいてきた。ヘッドライトに驚いたのか森から鳥の飛び
立つ羽ばたきが聞こえる。一瞬過ぎった強烈な光が壁を走った。リボーンの到着だ。
 それでも獄寺は沢田にその手を捧げたまま、じっと動かなかった。








それから五年後


お題配布元→10年後捏造で23のお題**

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