クラッシュ・ムーン/冷たい目





 息を止めて遠く遠くまで走るように、いつまでもいつまでも煙草の煙を吸った。舌を焼
いて、咽喉を焼いて、肺腑の奥の毛細血管の先の先まで染み込む毒を、好きなアルコール
を煽るように、いつまでもいつまでも呼吸と言えば吸うこととしか知らないかのように吸
い続けた。目から涙でも出ればいいと思ったよ。あるいは死んでしまいたかった。鞭打た
れることに快感を覚える人間が、もっとぶってくれと哀願するように、切羽詰って、追い
詰めて、千切れる声で願う。苦しい胸の奥を自分の手のひらで押して、自分の手のひらで
心臓を押し潰すように、もっともっと苦しさで縛り上げて、その先に楽になりたい。誰か
俺を殺してください。
 電話を前に手が出ない。沢田は葉巻を灰皿に押し付けると、低く低く息を吐いた。微か
に煙の名残のような白い息がぞろりと咽喉を這う。口元から瘴気のように漏れ出る。暗く
伏せた目でそれを追いながら、ゆっくりと背もたれに身を沈める。
 彼女を手に入れたなら、俺は彼女を殺すだろう。自分の拾ってきた仔犬を、自分が面倒
見切れなくなって寒い冬の日、凍えさせてしまったように。気づかぬ間に死なせてしまっ
たように。同じように、沢田は京子を殺すだろう。本当に、この手で殺してしまうことさ
えしかねないと、思う。
 右手をべっとりと顔面に押し付け、かいだ匂いは煙と硝煙と血と獄寺の体臭。意外と嗅
ぎ分けられるものだと頭の隅で思いながら、指の隙間から天井を見上げる。暗く高い天井
の先に、この建物の屋上が見え、そこで見張りをする部下の姿が見え、異常なしと確認す
る無線の声が聞こえ、その先にリボーンの不機嫌そうな応答を聞く。がさつく月夜だ。人
が大勢死んだ、がさつく夜だ。何年も鍛えているはずのこの腕が、電話を前にぶるぶる震
える。月が隠れても発狂しそうだ。内臓を食い破って叫びだしたい。
 化け物になって世界ごと壊してやりたいな。それから君を食べるんだ。そしたら俺はや
っと安心して死ねるだろ。
 沢田は右手で目の前の電話を退けた。目を瞑る。溜め息が出る。まだ煙の味がする。野
郎ども、今夜も今夜とて眠れねえな。ピアノの音が聞こえるか。お前は銃を手入れしてる
か。愛人宅にしけこむか。山本がつけたテレビの音さえ聞こえるのだ。古い映画のあばず
れが白黒画面の中、歌う。
 消しちゃえ、消しちゃえ、月を消しちゃえ。
 抱いたハジキが冷たく笑う。
 情けのナの字もねぇ!
 やーつーさぁー。
「ふざけてる」
 沢田は薄く目を開き、電話を見ては苦々しく、また瞼を閉じた。












お題配布元→10年後捏造で23のお題**

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