黄金時代/リラ





 遠い日の話をしよう。黄金の河を見た。朝焼けの橋の上で、何者の姿もなく、何物の音
も聞こえず、神秘的なまでの強烈な黄金が視覚ばかりか五感全てを支配した。黄金の音の
与える音を聞いたことがあるだろうか。それを音楽だ、どうだと表現するのは難しい。
 この景色がオレの人生の中でオレの為に存在することが一度でもあったということが今
もって不思議な程、神々しかった。何せオレは硝煙の匂いに包まれて生きてきたから。産
まれてすぐ、それに包まれていたからだ。なのに、その時、オレの鼻に匂っていた朝の空
気はたしかに黄金の匂いだったよ。それを甘いか、どうかとか訊かれると難しいが。
 遠い日の話だ。教えてくれたのはボスだった。オレに初めて銃を手渡す夜、ボスは箱の
底のそれを見せてくれた。山のようなリラ札。薄汚れ、皺くちゃで、所々血の滲んだリラ
札の山。
 オレはリラ札に包まれて捨てられていた。文字通り捨てられていた。路地裏のゴミ箱の
中に、オレは汚れたタオルとリラ札にくるまれ眠っていた。ゴミ箱の外では野良犬が二匹
盛んに吠えていた。ボスが見つけたとき、オレは唇の端からミルクを垂らしていて、それ
が頬で乾いていたそうだ。ボスに抱き上げられてもオレはぐっすり眠っていた。
 おまえのものだと、ボスは言った。でもオレはそのリラ札をボスに捧げた。硝煙の匂い
でオレを包んだボス。オレの手に拳銃を手渡したボス。その扱いも、重みも、持つ理由も、
何もかも教えてくれたのはボスだ。オレはボスに包まれて生きている。
 ユーロ札で葡萄を買いながら、オレは思い出した。日本に旅立つ前、もう一度ボスは箱
の底のリラ札を見せた。これをユーロに換算したら幾らになるかって聞いたっけな。オレ
は首を振った。ボスは笑って言った。百億万ユーロだ。
 オレの遠い日は、なんてものに包まれていたんだろう。輝かしい。黄金の河が流れてい
る。リラ札をどけてオレの頬を撫でたボスの手、オレの涙と硝煙の匂い、血の味、銃声、
しかしそれら全てを抱いてあまりに幼いオレの生を祝福してくれた朝焼けの黄金の河。
 今朝、思い切りリボーンを拒んだのは、あの朝焼けに似た匂いを感じたからだ。朝靄が
晴れて黄金の光が射すのが、鎧戸の隙間を越して分かったからだ。リボーンの身体からは
硝煙の匂いが漂っていた。でも、それは、オレの人生を包む、オレのボスの匂いだ。今、
リボーンに、あの、息の止まるようなセックスをされたら、オレはきっと黄金の音や匂い
や、箱の底のリラ札や、全部自分の手で捨ててしまうような気がしたんだ。
 オレはずっと目を瞑っていた。
 目を開けたのは夕方になってからだ。リボーンが何も言わず叩きつけてベッドの上に散
らばったユーロ札を拾った。それで今、葡萄を買った。高い葡萄が二房。袋一杯の飴玉も
買った。いつの間にたどりついた橋の上でオレはそれを食べる。
 葡萄、甘い。飴玉、甘い。
 そのとき、どうしようもなく残酷な運命の存在というか、オレを泣かせた出来事は、夕
焼けの河が黄金に染まっていたことだ。旅行客がそれを背景に写真を撮っていた。オレは
その隣で涙をぼろぼろこぼし葡萄を食べながら泣いていた。葡萄の皮を橋の下に吐き捨て
ると、黄金が小さく揺れて、でも蟻が溺れるほどの小ささですぐ消えた。
 黄金の河、ベッドの上のオレをずっと見下ろしていたリボーンの沈黙、散らばったユー
ロ札、息のとまるような快楽、セックス、オレの涙、リボーン、リボーン、リボーンの纏
わりつかせた硝煙の匂い、苦いキス…。
 新たに涙が湧き出した、刹那、力を失った手から葡萄が一房、滑り落ちて、黄金の河に
飲み込まれて消えた。










お題配布元→10年後捏造で23のお題**

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