カタストローフェ




 その結婚式の招待状を見せられたのは式の期日より随分後で、たまたまイタリアに帰ってきていた飲んだくれの医者の胸ポケットからはみ出していたのをこっそり覗き見たという、さして後ろめたくもないが、そうしないと知る由もなかったという経緯がダメージに若干の加重を与え、俺の情報網もまだまだ広げる必要があるぞと職業的義務感を奮わせてみたものの、酔い潰れた医者をバーに置き去りにしたままヤサに戻り、気づけば三日も経った後で目覚めた時、とうとうモレッティは自分が落ち込んでいたのだと認めざるを得なかった。
 冷たい床の上に横たわり、すっかり干乾びてしまった身体をみしみしと軋ませながら何とか起き上がり、彼は瞬きを一つした。カーテンの開けられた窓から遅い西日が射し込んでいた。部屋は真っ赤に染まっていた。
 血の匂いがした。
 口元を拭うとすっかり乾いてこびりついた血がぱらぱらと膝の上に落ちた。遠くから音楽が聞こえる。天使の喇叭ではないらしい。俺はもう疲れたよ、そう呟いてモレッティはもう一度倒れ伏そうと思った。生き返り、生き続けるのも面倒だった。あの女。酔いどれの医者ももう何年と言う前からアタックし続けているいい女。俺は彼女がこの世界に足を踏み入れた頃から知っている。弟を追いかけて家を飛び出した向こう見ずなお嬢さん。二度目に会った時、彼女は刺青を彫り、三度目に会った時、この首のクルスをくれた。どれも気まぐれで、単なる偶然の重なり合いによる立会いだったが、つまり自分がその胸に消せぬ影を宿らせるには十分だった訳で。初めて会った日、彼女は。
 ビアンキはモレッティに新品の洋服をねだった。海の見えるホテルの一室で、彼女はベッドの上に色とりどりジェリービーンズを撒き散らし、その真ん中に蹲って眠った。モレッティはソファに腰掛け、一晩中眠らなかった。
 今なら女が、男は莫迦だ、という科白が解ったし、また酔っ払いの医者が同じような意味のことを自嘲でなく言うのも解った。成程、莫迦だ。まるで、俺のもののように思ってしまっていた。彼女の名前を、毒サソリ、と知りながら。

 血の匂いがした。
 白い足が見えた。その内側を血が一滴、するするとしたたり落ちた。モレッティはゆっくりと顔を上げた。
「おかえりなさい」
 ビアンキが言った。素裸のまま、シャワーの冷たい雫を滴らせ、脚の間から一滴の血を垂らしながら。まるで何でもないことのように、そう笑いもせずに言った。
「…ただいま」
「また死んでたの」
「ああ…」
 白い足は踵を返し、タオルを探す。モレッティは今度こそ立ち上がり、クローゼットからタオルとバスローブを取り出して彼女に渡す。彼女はそれを羽織ると、まるで当たり前のようにベッドに腰掛けた。
「シャンパンは?」
「…え?」
「ないの?」
 あった。戸棚の奥に、誰に探される訳でもないのに、一本隠していた。
 モレッティはせがまれるままにビアンキにそれを差し出し、彼女は白い肩を震わせながら嬉しそうにグラスを取った。チャイムが鳴り、ピザが届けられた。モレッティはポケットの中でくしゃくしゃに潰れていた札で支払った。両手に抱えたまま佇んでいると、ビアンキが手を伸ばしたので、それもまた差し出した。
「ねえ」
 下から見上げるように、ビアンキは言った。
「こっちに来て」
「…遠慮しておきます」
「どうして?」
 モレッティは隅のソファに腰を下ろし、彼女はそんな男をじっと見た。
「六月だからさ」
 男の答えに満足したかのように彼女は笑った。
 彼女はよく飲み、よく食べ、よく笑い、そして静かに眠りについた。何の不安もない、安らかな寝顔だった。それを見下ろしてやはり、モレッティはその夜も眠れなかった。





11.11 ゾロの誕生日なのに、ビアンキ誕。そしてハピバっぽくない。