カッサンドラの予言




「こんなことを続けていたら、きっとあなたは死ぬわ」
「君だってご同業だろう?」
「違うわよ」
 海風が声を掻き消す。モレッティはビアンキの声に耳を澄ます。彼女の声はきれぎれに耳に届く。その言葉にもならない囁きが心地よく、モレッティは微笑み、頷く。
「あなたは莫迦だわ」
 最後の言葉だけが、はっきりと耳に届いた。

          *

 強い日が照っている。道路の向こうには陽炎が立ち、その先の世界などないのだと教えているかのようだった。もう迎えは来ないだろう。きっとここには、もう誰も来ないのだろう。
 もうもうと経つ黒い煙が海風に吹かれてモレッティの肌を焼く。彼は僅かに身を起こし、破れたガードレールから岸壁の下を見下ろす。二台の車が黒煙と炎に包まれ、灰になっていた。長いブレーキ痕が足元まで伸びている。彼は溜息をつき、再びアスファルトの上に横になった。これで暗殺すべき対象は見事、事故死を遂げた。しかし得るべき情報も失われてしまった。たとえ生きて帰っても、ただの処分では済まないだろう。ならばここでくたばるのも、そう変わりはない。
 笑おうとすると、喉の奥から血の塊がせり上がり、堪える間もなく口から溢れ出た。胸を貫く捩れた鉄片が体内で軋みを上げる。死の間際に笑うことも許されないのは、やはりこのような稼業についた罰だろうか。ならば、若きボンゴレと、彼の守護者たちに神が慈悲を与えんことを。この末期は、酷く淋しい。
 淋しいのだとモレッティは気づいた。海風の向きが変わり、黒煙が空高くに吹き飛ばされる。爽やかな風と潮の匂いがモレッティを包んだ。きれぎれに海鳥の声が聞こえる。カモメだ。モレッティは首を巡らせた。白い影。カモメだ。
 あなたは莫迦だわ、と声が聞こえた。モレッティは、ビアンキ、と呼ぼうとしたが、穴の開いた肺から空気の漏れる音がするだけだ。風に乗ってビアンキの声は届く。
「きっとあなたは死ぬわ」
「あなたは淋しく死んでいくの」
「きっと一人きりで、誰もいない、誰も来ない場所で、一人きりで」
「私の顔も見れずに」
「私の名さえ呼べずに」
「だから、覚えておいてね」
 ああ、あの時ビアンキがくれたキスはこの為にあったのかと、モレッティは嘆息した。
 ゆっくりと日が落ちる。海の彼方から夜が染みてくる。天を見上げると、夜を前に光を手放し始めた夕焼けが、仄かに柔らかな色をしている。既に声も出ず、また上手く考えることも出来ない。モレッティは黙ってそれを見詰める。時々、風の音と一緒に女の声がして、それがひどく懐かしい人のものだと思うが、おそらく母親ではない。ビアンキという名前が綴りもバラバラに頭の中を浮遊する。彼女の髪の色はこの空と同じ色をしていたと思うと、自然、頬が緩んだ。
 覚えているよ、と手を伸ばす。君が言ったことを覚えているよ。私にはちゃんと聞こえていたんだ。でも私は莫迦だから、君の予言にも微笑んでしまったのさ。私は、君が私のためにキスをしてくれたことが嬉しくて仕方がなかったんだ。今だって、子供のように嬉しくって仕方がないのさ。
 暮れなずみの空を背に、泣く彼女の顔が見える。笑って欲しいので手を伸ばす。彼女は優しくキスをする。モレッティは目蓋を閉じる。