ケークス・アンド・エール




 フィレンツェは午後から雨が雪に変わった。音を立てて窓を叩く霙は、雪よりも一層肌
に感じる寒さを強めるようだった。濃く、海のように深い青い闇が街を覆い尽くす。しか
しフィレンツェの12月の闇の下にあって沢田の右手に握られたナイフは、あまりにも猥雑
な赤いジャムにべっとりと濡れていた。ケーキの残骸の向こうには頬杖をついたリボーン
の退屈そうな顔が覗く。そう、幸せはいつも退屈だ。
 沢田はラジオを蹴飛ばす。スピーカーからは白い煙とヴァチカンからの中継が途切れ途
切れに低く床の上を這う。這って床の上に倒れ伏した死体にたどり着き渦を巻く。冬の入
り、あの寒い雨の日にボンゴレの戸を叩いた若者。年が明けたら、正式にファミリーに迎
え入れようと思っていた。
「本当にそうか?」
 リボーンは抜いたものの使わず仕舞いに終わったCZ75を懐に収めながら言った。
「お前に見抜けなかったのか?」
「ボスを疑うのか?」
「教え子だ」
 沢田は苦笑し、ナイフを投げる。ナイフはリボーンの頬を掠め、壁に深く突き刺さる。
リボーンは眉一つ動かさない。
 沢田はまた苦笑した。
「知ってるよ、リボーンが俺を信じてることくらい」
 リボーンは不愉快そうに鼻を鳴らしたが、表情は些か緩んでいた。彼はさっと席を立ち、
部屋を後にする。
 沢田は一度だけ死体を一瞥したが、山本を電話で呼びつけ後始末を頼むと、やはり後ろ
を振り返らず部屋を出た。
 車の運転席ではリボーンが待っている。
「これからどうするんだ?十代目?」
「とりあえずイタリアナンバーワンヒットマンの隠れ家なんか、静かにイヴを過ごすには
もってこいだと思うね」
「もてなしのワインがあるとでも思ってんのか?」
「それなら俺が持ってきたよ」
 フィレンツェの冷たい闇の下を、声を殺して笑う二人の男がいる。霙の中を夜に溶ける
ような真っ黒な車を駆って。クリスマスツリーにもケーキにも背を向けて。
 不意に笑い声が収まる。霙が軽い音を立ててフロントガラスを叩く。きらびやかな電飾
も消えた。寒い。
「リボーン」
 小さな声が呼んだ。
「俺はボンゴレに生まれてよかった。」
 リボーンの目はまっすぐと霙の降り来る闇を見つめている。
「お前が家庭教師でよかったよ」
 窓に当たり、涙のように滴る霙をワイパーが拭う。
「…知ってる」
 更に小さな声でリボーンが応えた。


 凍える古都の雨は翌朝、再び雪になるらしい。
 山本は、慌てて駆けつけた獄寺相手に壊れたケーキにナイフを入れながら、ラジオから
聞こえる途切れ途切れの天気予報に耳を傾けていた。






2005年冬、クリスマスネタとして、ナツさんと御月さんに携帯メールで送ったもの。

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