キッドナップとシエスタ




 時間が停滞してゆく。身体が死んでゆく。心が離れてゆく。俺たちはこんなことのため
に此処に居る訳ではないのに。何もかもが失われてゆく。それさえ悲しくない。悲しみさ
え消えてゆく。
 ボスと呼ばれることに慣れる。書類にサインすることと同じように人を傷つけることに
慣れる。傷つけられれば報復することが当たり前の思考となる。全て俺のため。俺のファ
ミリーのため。
 一日中この部屋にいると、この外では何もかもが死滅しているのではないかという妄想
に囚われる。窓の外さえ見えない。ブラインドと防弾ガラスに背を向けて売上の報告に、
負傷の知らせに、勝利の贈り物に、鉛玉のプレゼントに目を通してそう言えば俺は何歳に
なったっけ。
「今日、なんにち?」
「え?」
 返事をしたのは獄…じゃなかった山本だ。人の名前も間違える。
「11月2日」
「早いな」
「昨日も同じ事言ってたぜ」
「西暦何年だっけ」
 山本が溜息をつく。昨日も同じ事を訊いたんだろう。この男はやさしい。俺には勿体無
いと言いながら、でも俺は山本をずっと手元に置いておきたい。山本ナシだと俺は簡単に
バランスを崩す。この男みたいに俺を甘やかしてくれる人間がいないと。
 ペンを走らせながら声をかける。
「山本ー、この後ちょっとヤんない?」
「そういうのは獄寺に言えよ」
「そんなことになったら俺、仕事しなくなるよ」
 アイヨクに溺れる二人は昼も夜も関係なく絡まりあうものだぜ。ありえないけど。彼は
清潔だ。俺にかける言葉一つ、恐れながら触れる指の一本まで。獄寺が野獣のように襲っ
てきたら凄いことになりそうだが、どう想像を羽ばたかせてもそんな獄寺は浮かばない。
 考える間も手は自動書記のように動く。サインと日付と、これでオーケーか? 書類を
山のてっぺんに重ね、一枚終了。数字は苦手で後回し。これやってるうちに死にそうだ。
「ヤろう。我慢できない」
 いかにも萎えた疲れた声で言いながら顔を上げると、目の前で獄寺が目を丸くしている。
「………」
 みるみる俺の眉間に皺が寄る、のが分かる。獄寺の唖然と開いた口からぽろりと煙草が
落ちる。まあな。あーあ聞かれたくなかった。獄寺くんには聞かれたくなかった。しょう
がない。
「俺、疲れてるんだ」
「…はい」
「獄寺くんも疲れてるよね。シチリアからは直行でここに?」
「は、はい」
「じゃあ防弾、まだ着てる?」
「はい」
 躊躇なく獄寺の腹を撃った俺を見て山本が心底呆れた視線を寄越す。俺は不機嫌な眉間
の皺を消せないまま、硝煙の匂いの立ち昇るそれを机の上に置く。
「山本のせいだよ」
 山本は苦笑して、珍しく痛みに気絶した獄寺を抱え上げる。一発で気絶するなんてよっ
ぽど疲れてたんだな。そんなに急いで帰ってきたのか。そうだよ、俺は愛されてるんだよ。
知ってる。十年前から知ってる。ああ、クソ。素直に、ごめんって言いたい。
 俺は先に立って歩き出す。そして私室のドアを開ける。山本が不思議そうに開いたドア
と俺を見る。
「なんだ?」
「三人で寝る」
「いきなり大人の階段のぼりすぎじゃね?」
「それほどでもないぜ」


 時間は停滞したままだ。身体は眠りに軽く仮死状態。心は睡眠状態。窓の外も見えない、
俺の私室は暗い。ベッドは無意味に広い。俺はここで山本と寝たことはない。女を引っ張
り込んだことはないし、男もこれが初めてだ。俺たちは健全な昼寝をダラダラと貪る。
 夕方、リボーンがやってきて俺たちを怒る。熟睡している二人をよそに、俺は起き上が
りリボーンを見上げてニヤリ。
「羨ましいんだろ」
 リボーンは不愉快そうに鼻で笑った。






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