親切に不誠実な詐欺師




 突き放すように、そっと腕に触れられた。振り返ったがその表情は見えない。彼は背が
高い。自分がただ振り向いただけでは駄目なのだ。しかし触れる手が、リボーンの顔を上
げることを優しく拒んだ。医者は言う。
「お前は知らないんだ」
「ああ。何も、知ったこっちゃねーよ」
 次ごうとする言葉は溢れるが、腕に触れられた、その僅かな接触が緩い抑制となってリ
ボーンの内部に流れる。この殺し屋の中にも芽生えていた少年らしい感性が、かかりつけ
の医者が見えないところで緩く微笑するのを感じた。
「知らないだろう?」
「何をだ」
 素直に聞き返すと、医者は故意に黙りこくり、それからゆっくり、その沈黙の底からそ
っと掌ですくい上げるように口を開いた。
「灰色の人の群。死んでいないだけの人間の押し潰された沈黙。支払わなければならない
ものとして自ら命を絶つ王。支払い得たものも支払う間もないまま命を奪われた王の五千
万倍の数の人間。顔にナプキンをかけられた死体。敷布も、きられる十字架もないまま穴
だらけの道路に横たわる兵隊。夜は雨が降っていた。夜明けに外に出てみると、砲弾の落
ちた跡が幾つも水溜りになってた…」
 何の話だ、それは。リボーンは沈黙する。ただこのヤブ医者の言葉に耳を傾けているだ
けではいけない。この男の手管だ。いつの間にか真実からかけ離れた場所に置いてけぼり
を食らうに決まっている。嘘だ。俺は知っている。お前の過去にそんなものはありはしな
い。俺が調べたんだ。嘘に決まっている…。
「俺は」
「…シャマル」
「本当は銃声が嫌いだ」
 銃声だけでは人は死なない。多分、死なない。死なないんだぞ?
「でも、お前はその只中にいて、平気なんだな」
 当たり前だ。銃声だけで死ぬもんか。何を恐れているんだろう。どうして腹が震えてい
るんだ。何故、喉を引き攣らせているんだ。解らない。お前は殺し屋じゃないのか、トラ
イデント・シャマル。
 腕が離れる。リボーンは不意に均衡を崩す。医者はとっとと踵を返し、立て直した視界
に入るのは白衣の背中だけだ。白衣だと。暗喩にもなりはしない。白々しい嘘で覆い隠し
てしまえると、俺を相手に本当にそう思っているのか?
 リボーンはCZ75を抜く。基本中の基本だ。両手で構える。身体の中心を狙う。トリ
ガーを、引く。
 慣れた反動、慣れた破裂音が身体を突き抜ける。リボーンの意識は白衣の背中の向こう
に飛ぶ。外した。外させられた。虫の羽音がしたようだが、それももう聞こえない。かか
りつけの医者は遠くから振り返り、にやにやとこちらを見て笑っている。右手が伸ばされ
る。人差し指が眉間を狙う。
 バン。
 法螺もいいとこだ、大嘘じゃねーか。






チキンさんのサイト『OIL』の絵掲示板にお邪魔して書いたもの。
Present for チキンさん。

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