グレートヒェンの問い女子学生が飾りつけたジャック・オー・ランタンの下で当然のようにハロウィンの話を振ると、かつてない天才と呼ばれる不良学生はつまらなそうに一瞥寄越した。 「騒ぐのは…お嫌いで?」 「やったことねえんだよ」 最初は小児科が患者の子供たちの為に始めたことだった。内科が便乗し、やがて学内に広まった。モレッティが入学を果たしたころはもう、大学をあげてのお祭りになっていたから、シャマルは自分の意志で参加しなかったに違いない。別に世俗的なことを厭う男ではない。酒と女と煙草は人並以上に嗜む。研究室に厳然と君臨する老教授の目が厳しいというのも違うだろう。彼は、この男には甘いのだ。 「宗教が…苦手ですか?」 「かもな」 シャマルは短く答えた。 研究室前の廊下にはミイラ男が列を成していた。 「おお、手伝え!」 開きっぱなしの扉から中を覗くと、ロマーリオが眼鏡の上から汗を拭いながら、本日何体目だか分からないミイラ男を作成していた。最初は冗談半分だった学生も、白い包帯を巻きつけられるにつれ、鬼気迫る血走った眼と、地の底から湧き上がるような呻き声を上げた。 「お好きですね」 「好きじゃねえよ。頼まれただけだよ」 ロマーリオは笑いながら包帯を手に取り、汗を拭うかのような仕草を見せたが、そのまま自分の身体に巻きつけ始めた。 「手伝ってくれ」 意外なことにシャマルが手伝った。所々を緩く、だらりと垂らして、血のペイントを施す。 「口髭は、隠した方がいいんじゃないですか?」 「駄目だ。記念写真を撮るからな。これじゃあ誰が誰だか分からねえ」 するとシャマルが包帯の上にマジックペンで口髭を描き、無理矢理巻きつけてしまった。 「さあ」 掛け声とともに、ロマーリオがシャマルを見た。 「…何だ」 「何だじゃないさ」 シャマルは、年上だが級は下の、この南米生まれの男には少し弱いようだった。カーニバルの街からやって来た強引さというより、ロマーリオはおおらかなのだと、モレッティは思う。そのおおらかさは、少々道を踏み外し始めた彼らがそれでも尊敬し、師事する恩師にもないものだった。 そしておそらく、シャマルの人生にもないものではなかったか。 仮装は狼男に決まった。茶色の髭をたくわえ、牙をつける。最後にマントを羽織る。 「それ、吸血鬼のでしょう」 「文句あるか」 それはそれで決まっていたので、文句はない。 「さあ」 掛け声とともにロマーリオが次に見たのは、もちろんモレッティだった。 「私はご遠慮を…」 「ご遠慮なんてお国柄じゃなかろうに」 「包帯も、もうないですし」 「とっておきがある」 ニヤリ、とロマーリオは笑った。 ちょいと勘違いしたんだがなあ、と言って彼が取り出したのはヴェネツィアのカーニバルで見る仮面だった。 「…どうしたんです、それ」 「通信販売でな。電話で取り寄せたんだ」 ロマーリオは言葉の半分を仮面の向こうから、くぐもった声で返した。 シャマルが吸血鬼用のタキシードを放り投げ、その上からカーニバルの仮面が落ちてくる。 と言う訳で、外科医の研究室はお菓子を奪う側にまわったのである。 戦果は大きく、また素晴らしいものだった。この世の美しいもの、シャマル曰く女を構成するために生まれたありとあらゆる色彩たちが全て、研究室の中央に鎮座するテーブルの上うず高く積み上げられ、甘やかな香りが消毒薬とメスの清潔な匂いを打ち消し、医学書をその影も見えない。三人の賊どもはそれを均等に三分した。 ロマーリオはそれを早速箱に詰め、最後に仮面を乗せて封をした。 「故郷に送るのさ」 ミイラ男の弟は兄より先に大学を卒業し、故国で教師となっていた。後に聞いた話である。 モレッティが蝶ネクタイを解き、窓辺で煙草を吸っていると、扮装を解かぬままの不良首席が地味な女物の鞄の中にキャンディを一杯に詰め込んでいた。 「楽しかったですか?」 声をかけると、獣の髭面が振り返る。 「これから楽しくなってくらあ」 鞄の中だけではない。彼の懐もぱんぱんに張っているのをモレッティは知っていた。行く先々の研究室で、彼は懐を肥やしていったのだ。どういう魔法かは知らないが、何だか知らない魔法が通用するのが今日のハロウィンなのかもしれない。ケルトから始まり、カトリックが受け入れ、世俗という鍋の中でごったに煮られた鍋の中に、初めてこの天才が飛び込んだのだから。 「ねえ…あんた、本当に初めてだったんですか、ハロウィン」 狼男は振り返らなかった。漆黒のマントが翻り、その向こうで「それがどうした」と笑いに上擦った声がした。その瞬間、モレッティは急な愉快の発作に襲われた。これが若さだ、と思い、彼は声に出して「ざまあみろ」と罵った。 煙草の火が指を焼くほどに、時も忘れ若さに酔ったのである。 夜が来た。菓子の類は小児科の若い女学生に寄付をして、彼は家路についた。 が、突然、足が棒になったかのようにモレッティは立ち止まった。 夜のホームに立つ倦怠と寂寞だった。 俺はこうは老いまいぞ。日の下で哄笑するかのように湧き出でた思いも、乾いてしんとしたコンクリートの上で、立ち尽くすこの身体とともに、今は化石のように転がった。即ち彼は、渋面の貼り付いてしまった老駅員と同じように老いるということを、覚悟する間もなく知らされてしまったのだった。 彼は電話をかけた。そして自らの肉体の秘密を受話器の向こうに告白した。沈黙は砂漠の砂のように静かにモレッティの声を飲み込んだ。 電話を切って、しばらくして電車はやって来た。晩秋の空気の染み渡っていた鼻に、香水と人の体臭の入り混じった生ぬるい空気が潜り込んだ。彼は端の席に腰を下ろし、窓の外を流れる街明かりを眺めた。一つ一つから人の匂いの匂い立つ暖かな光だった。 彼は街の光から目を伏せ、死んだように眠った。 10.31〜11.1 駅のホームにて突然原稿用紙に向かって書き始めたり。 |