Shall we love each other




 手を伸ばして届かない何かを欲しいと思ったことはない。
 あまり。ほとんど。
「何やってんだ、ツナ」
「ん?」
 うずくまり、食堂の冷たい床に額をぶつけていると上から山本の声が降ってくる。
「転んだ?」
「違う」
「何か落としたのか?」
「うん、大事なもの」
「探してやろうか」
「頼む」
 山本も隣に膝をつき、床の上をぐぐっと覗き込む。
 土曜日の午前だった。静かだった。厨房にも誰もいなかった。換気扇の回る音だけが低く響いていた。朝から小雨が降っているので陽が射さない。明かりがない。
 沢田と山本は大きなテーブルの下にしゃがみこみ、額を付き合わせる。
「暗いな。電気点けるか?」
「点けたら逃げる」
「何探してんだ?」
 沢田はごつんと額を床にぶつけたまま、何だろうね、と答えた。
「例えばさあ、俺達って最初からリモコンがあるテレビじゃない?」
「あ、そうな」
「母さんとかはリモコンがないテレビって知ってるんだ。でも慣れた」
「便利だしな」
「俺んちのテレビ、途中で、二画面とか、番組中に一時停止できるテレビになったんだよね。で、俺、最初使えなかったのに、やっぱり慣れたんだよ」
「うん」
「欲しいものが簡単に手に入ることに、俺、慣れたのかな」
「んん?」
「俺、もうボスやめたい」
「ツナ?」
「恋がしたい」
「………」
 山本は、床に額をぶつけたままの沢田の後頭部を見詰めた。泣いている様子はない。肩も震えていない。ただ、沢田はひどく疲れたようで、何かに飽きているようだった。滲み出る倦怠感と虚脱感。秋の初めの土曜日の朝。映画祭とヴェネツィアのシノギもうまくいき、立て続けに九月のゴンドラレースでも盛り上がった。燃え尽き症候群?
 頭を撫でながら、どうしたんだよ、と尋ねる。
「どうしたんだよ、ツナ。この前までヴェネツィアで楽しくやってたじゃねーか。お前もボンゴレ十代目でよかったってイタリア人みたいに叫んでたろ」
「獄寺くんに抱きついた」
「そうだったな」
「あの後、セックスしなきゃよかった」
「………」
 いやに悲しい気分になった。そのくせ、乾いた笑いの感覚さえ湧き上がった。
 山本は目の前の沢田の頭を両手でもしゃもしゃとかきまわし、くにゃりと笑う。
「探し物は何ですか?」
「……」
「見つけにくいものですか?」
「……」
「鞄の中も、机の中も探したけれど見つからないのに」
 まだまだ探す気ですか、と山本は歌う。
 落し物は、多分山本も遠くに落としてしまったものだ。十代の頃、何気なく掴んでいたもの。朝の涼しい空気をかぐと思い出せそうな気がする。朝食のコーヒーが美味しいと目の前を掠めるように見える。秋に入って裸足で踏んだ床が冷たいと驚く最初の朝。懐かしくて、それをなくしたことに気づく。
「しょうがないな。大人だもんな」
「…山本」
「ん?」
「踊りませんか、まで歌わないんだ?」
「…それより一緒にテーブルの下で落ち込みたかったんだよ」
 沢田は顔を上げ、山本の頬を両手で抓んだ。
「…なんか、ちょっと青春っぽい」
「懐かしいな」
 出よう、と沢田は笑った。二人でもぞもぞとテーブルの下から這い出し、服の埃を払う。
 沢田は伸びをすると、雨の降る窓の外を眺めた。
「これから降るよね、冷たいのが」
「今年は雪が早いかもな」
「決めた。獄寺くん、ミラノ出張」
「ええ?」
「遠恋してやる」
 と言う沢田の顔は、これから恋をする顔というより、ボンゴレ十代目策略の表情だったが、しごく真面目な顔でもあったので、山本はその背中をばんばん叩き、その意気だ、と励ました。





2010.9.27