スピーク・ウィズ・デッド、スピーク・ウィズ・フレンドシップ/抵抗する




 マフィアの仕事が、まるで映画のように年がら年中殺しであるようなことがあるはずも
なく、しかし映画でそう描かれる程度には血が流れることもなくはない。またそれと同程
度の確率で、普段穏やかな殺され屋の目に酷薄な光が宿るのもない話ではなかった。
 ビーチに人影はない。波の音がひっきりなしに耳を打つ。シャマルは上着を脱いだ。真
夏の太陽が容赦なく背中に照りつける。脇の下が汗で濡れている。目の前のアドリア海に
今にも飛び込みたい欲求が数秒ごとに頭を掠める。しかもビキニの女とだ。トップレスよ
りも、些かの慎みや恥じらいをもって隠された姿が、今はぐっとくる。そうだ、事務机で
汗もかかずタイプを打っているような女を、スーツのまま沈めてやったらさぞ美しいだろ
う。濡れた服に初めて形を露にする胸。
 妄想が頭をいよいよ熱する気配に、気分さえ悪くなってきた。シャマルは懐から取り出
した煙草に火をつけた。200種類以上の有害物質を含む4000種余りの化学物質が瞬
時に経皮吸収され、血流に乗って時速60キロメートルのスピードで身体中を駆け巡る。
脳に萎縮ともしれない鎮静作用が訪れ、シャマルは足元に向かって低く低く煙を吐き出す。
 殺され屋はパンクした黒のメルセデスに背をもたれたまま、先と全く変わらぬ様子で座
っている。あの暑苦しいニット帽を脱ぎ、黒く強い髪を海風に晒している。顔の半分は返
り血で真っ赤に濡れていた。視線に気づいたのか、殺され屋は薄く目を開いて医者を見た。
酷薄な光は今や影となって、表面や黒目の奥に薄っすらと見えるだけだった。
 死体は何をされても抵抗しない。
 死体は動かない。
 殺され屋は瞳孔の開きっぱなしの目で全ての情報を記録し、コンクリートに無残に押し
付けられた耳で全ての会話を聞き取る。人間離れした能力と言うのは悪魔的と言うより、
むしろごく短い時間の後に死神の案内を待つ者の最後の特権のようだった。が、目に宿る
酷薄な光。残念ながら生者でね。皮肉な呟きをその目に見るようだ。
 その殺され屋の脇腹には銃弾が埋まったままだ。シャマルは医者たる自分の能力をもっ
て止血と応急処置を施したがそれでも裂いたシャツの上に広がる血の花を止めることが出
来なかった。それもこれもこの殺され屋が大人しく死んでいなかったからだ。いつものよ
うに心臓を止め、呼吸を止め、殺され屋としてのぎりぎりの意識さえ残しておけば、ぽっ
くりあの世へ行く危険性は何倍も低かったはずだ。それをわざわざ助けに立ち上がるなん
ぞは愚の骨頂としか思えない。こちとら元・ヴァリアーだ。そう簡単にやられるかっての
よ。自分の死に抵抗せず、人の死に抵抗する死体なぞ聞いたことがない。
 シャマルは短くなった煙草を砂の上に落とし、踵で踏み躙った。
「生きてるか?」
 吸殻を踏み躙る靴を見下ろしながら尋ねる。
「…十代目に報告も済ませていないんでね。死ねませんよ」
 低い声が聞こえた。体温の無い声音。しかし静かな悟りきったあの響きはまだだ。
 シャマルは携帯電話を取り出し、差し出して見せた。殺され屋は目を開いていなかった
が、わずかに首を逸らしそれを拒んだ。
「直接お会いしたいな」
 そこで殺され屋は非常に納得したように、小さく頷いた。
「直接お会いして、それからです」
「その意気だ」
 シャマルはその場にしゃがみこんだ。俯いた顔から、砂の上に汗が落ちる。美女と海中
に戯れる夢想は完全に消えていた。ただ真夏の日差しだけが背中を焼き、痛みに換えてシ
ャマルを責め立てた。彼はそれに耐えながらもう一本、煙草を唇に挟んだ。ちらりと振り
向くと、殺され屋がわずかに開いた目でこちらを見ていた。
「…お前もやるか?」
「遠慮します」
 酷薄な影が死神に抵抗の嘲笑をしながら、手を振った。
「…その意気だ」
 唇に歪んだ笑みが浮かんだ。波の音が絶え間なく耳を叩く。海風に舞い上がった砂が剥
き出しの足首や手の甲を掠めた。アドリア海の青さに顔を上げることが出来なかった。死
神の姿など想像し得ない真夏の砂浜に、喪失の気配はひたひたと満ちていた。






こっそりシャマル過去ヴァリアー捏造。

お題配布元→ボコ題

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