バッドエンド・オブ・ザ・ワールド/ひっぱる




 選局が悪いのか古い歌ばかり流すラジオを足で隅に追いやり、今一度グラスの酒に口を
つけたが雨の夜の気分は憂鬱になるばかりだ。ノイズにさえその雨音は混じるようで、悲
しげな女の歌の途切れ途切れに小さいのが余計に気になり、シャマルはグラスのそれを飲
み干して不貞寝してしまおうかとも思う。窓の外は暗い。黒一色の上に幽霊のように自分
の姿が映り、いよいよ気が滅入った。死人顔で窓ガラスに映るなど、“殺され屋”の奴だ
けで十分だ。
 未整理のカルテがまだ数人分残っていた。しかしインデックスに書かれたどの女の名前
もこの憂鬱を拭うことができなかった。その中には聖母だっているのに。ああ、マリア、
俺を助けてくれよ。口先で助けを請いながらフォルダに収め引き出しを足で閉める。錆び
た音が気に障る。
「糞っ」
 小さく罵り、診療室の明かりを消す。真っ暗な中に酒の匂い。己の姿も影も消えた中で、
手に掴んだビンから酒の味だけ堪能すると、さっきよりは少しはましだった。
 よろめきながら廊下に出る。非常灯の緑色の明かりはくすんで、これが世界の終わりだ
とでも告げるかのようだ。その中に小さな黒い影があった。
「診療時間は終わったんだ。帰ってくれねーか」
 しかし小さな影はシャマルの行く手を阻むように廊下を塞いでいた。
「リボーン」
 普段なら決してしないような苛ついた口調がなめらかに滑り出す。
「ややは寝んねの時間だろうが、帰った帰った」
「飲んでるな」
「餓鬼にゃあ関係ねえ」
 雨音が近い。どこか雨漏りしているのではないか。いよいよ憂鬱だ。この雨は何日か降
り続くという予報なのに。いつ修理をすればいいのだろう。
「シャマル」
 行き過ぎようとしたところへ抵抗。白衣の裾を引っ張られている。
「手を離せ。俺は今から聖母の御許で慈悲を乞うてくるんだからよ」
「相変わらず患者に手を出してるのか」
「今更説教もねえだろうが、ヒットマン殿よお」
「待て」
 ぐい、と白衣を引かれたが、今度はよろめきはしなかった。
 ビンを手放す。酔いは全身を回っていたが誤らない自信があった。思いの外細い手首を
捕まえる。勢い任せで壁に打ち付ける。髪の毛を掴み乱暴に上向かせる。そこでようやく、
ビンの床の上で砕ける音が聞こえた。残り少ない酒が裾を濡らした。
「お前が相手になるか。ああ? できねーだろ?」
 毟り取る勢いで髪を引っ張る。それは指に強く食い込んだ。リボーンの髪は雨に濡れて
いた。
 雨はもう数日降り止まないという予想だ。気が滅入る。憂鬱な日が続くと言う訳だ。俺
は飲んだくれているだけでいい。マリアだって洗濯物が乾かないだろう。古い下着で迫ら
れても、今は気が乗らない。レースのほつれた古い下着。
 指にぎりぎりと黒髪を食い込ませる。自分の影になったリボーンの白い面。左目だけが
覗いている。暗い緑色に照らされているのは瞼だ。お前も聖女よろしく目を瞑って俺を待
とうってか。冗談じゃねえ。
「冗談じゃねえ」
 こんな餓鬼に手を出した日には、それこそ世界の終わりだ。
「この世の破滅じゃねえか」
 強い酒の匂い。この世の終わりの全てを、この廊下に閉じ込めるような雨音。リボーン
の顔が完全に闇の中に落ちた。







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