サーティフィケイト・アバウト・ラブ part.2/たたく




 傾きかけた日の柔らかな光が廊下の突き当たりの窓から射す。それに照らされた扉には
新聞が数日分たまっていた。モレッティは腰を曲げてそれを拾い、久しぶりの我が家に溜
息をついた。
 仕事で長らく死んでいたので(これが実は喩えではない)身体中の筋肉が強張っている。
シャワーやベッドの誘惑もあったが、真っ先に目に付いたソファに腰を下ろした途端、根
が生えてしまったかのように身体はソファから離れなくなった。折りしもカーテン越しの
光に、部屋の空気は心地よくぬくもっている。瞬きをしたかと思うと視界が暗くなった。
 目覚めたのは数時間後だったろう。シャワーの音が遠くから聞こえる。瞼を開くと部屋
は真っ暗だった。窓も壁も区別なく黒く塗られている。首を巡らせると、奥の扉からオレ
ンジ色の光が漏れて、床に線を引いていた。モレッティは背もたれに全体重をもたせ、深
く深く溜息をつくと、ようやく身体を起こした。膝から落ちた新聞の束が暗闇の中でバサ
バサと音を立てた。
 明かりをつけると、屋内のものが白々しく存在感を持つ。このところビールのストック
ばかり増える冷蔵庫。日曜大工で作った椅子と古道具のテーブル。その上には片付け損ね
ていたビールの空き缶と、女物のバッグが乗っていた。
 モレッティは床から拾った新聞を脇に挟むと、ビールを手にもう一度ソファに座りなお
した。ひとまず一口。それから新聞を古い順に繰る。
 その小さな記事は今朝の新聞に載っていた。この街の片隅で男の死体が見つかったとい
う記事だった。男は餓死をしていた。モレッティはもみあげを指で掻く。この世には様々
な死体があるが、餓死などは自分にも真似のできない死に様だ。餓死、か。シャワーの水
音が耳を叩く。
 ビアンキは肩から湯気を立ち上らせて出てきた。目の周りに薄く青痣が残っているが、
もう目立った新しい傷はない。巻きつけたバスタオルから覗く身体はどこも白く、湯にぬ
くもっている。
「おかえりなさい」
 ビアンキが笑った。
「…ただいま」
 白い腕が伸びてモレッティの手からビールを取り上げる。ビアンキはそれを一気にあお
り、たまになら悪くないわ、と言った。モレッティは新聞を畳むと、君もお疲れ様、と囁
いた。
「ねえ。モレッティ」
 名前まで呼ばれて、少し驚く。モレッティは目で次の言葉を促す。
「次のバカンスはどこかに行きたいわ」
「日本かい?」
「え?」
「お盆に…」
 言いかけたところで白い手のひらが、パァン、と実によく響く音を立ててモレッティの
頬を叩いた。モレッティが動転していると、白い裸体がしっとりと重たくのしかかった。
それからビアンキは立て続けに何度もモレッティの頬を叩いた。
「馬鹿ね」
 ビアンキの声は笑っていた。
「あなたと出掛けるのよ」
 モレッティは床の上に落ちたバスタオルを見た。手を伸ばそうと試みたが、無理なこと
だった。薄く痣の残る身体を彼は押し退けなかった。彼はバスタオルを諦めて、ビアンキ
の手からビールを取った。缶の底に残ったその液体が、彼女の手の中で異様なものに変化
しているのは匂いで知れていたが、目を瞑って飲み干す。
 目尻に滲む涙を耐え、モレッティは新しい水着と温泉地への旅行を提案した。いいわ、
とビアンキが囁いた。白い腕が首に巻きついた。モレッティは、僕は何日もシャワーを浴
びていない、と断わってビアンキの背に手を回した。ビアンキはモレッティの肩に顔を埋
めた。
「いいわ」






お題配布元→ボコ題

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