17痛みは大したことがないからと、山本はそう言って、最後尾の車両に独り腰掛けた。車 窓の氷を払うと、何時間か前まで天空のカーテンの輝いていた空が、今は夜明けを待つ青 みがかった灰色に染まっていた。列車は緩やかな速度で雪原を滑る。表定速度六〇キロ、 だそうだ。時々、彼方に森が見えたり、地平線から海が近づいてきたりした。なるほど、 列車は旅情とは言ったものだ。 深く息をつき、座り直す。背中は防弾に守られていたが、腕を撃たれたのは正真正銘本 物の傷だった。実の所、痛みが完全に引いた訳ではないのだが、しかし山本は気分が良か った。 「ハイになってるだけだ。怪我人は寝ろ」 後ろから不機嫌な医者が声をかける。 「後でぶっ倒れても、もう本当に、金輪際、男は看ねえからな」 「助かったよ。いや、マジで、だいぶ良い。普通に撃たれた時より良い。やっぱりあんた、 良い腕してんな」 シャマルが黙っているので、照れているのかと思いきや、本気で顔色を青くし鳥肌を立 てていた。 「…マジで男嫌いなのな」 「当たり前だ」 「でもあいつらの関係はいいのか?」 「人の性癖に口を出すほど小さかぁねえぞ」 「へえ」 思わずシャマルの股間に目を向けた山本は、すぐさま殴られそうな気配を察知して、目 を逸らした。 通路を挟んで反対側の座席にシャマルは腰掛ける。 「さて、あんたはどこまで知ってた?」 「俺は騙されたんだ。ビアンキちゃんから並盛のお嬢ちゃん達、果てはクロームちゃんま で勢揃いで電車の旅をしたがってるなんて聞いたら、乗らざるを得ないだろうが」 「本気で?」 「まあ…リボーンの頼みだったからな」 「俺は何も知らなかった」 山本は車窓から青灰色の空を見上げ、言った。 「結局、何も知らないのと同じことだった。でも悪い気分じゃない」 「そりゃ随分お人好しだぜ?」 「惚れた弱みさ」 首を傾けてシャマルを見、山本は笑う。 「あいつらが笑ってるなら、な」 「……はあ、それで女を引っかけないとは勿体ねえ」 盛大に溜息をつき、シャマルは呆れる。 実際にはそこまで達観している訳ではない。ただ、姿を見せた途端、沢田が飛んできて 抱きついたので、全て許せてしまった。それだけなのだ。しかし稀代の女たらしに誉めら れたのは光栄なので、黙っておく。ついでに、話題を変えた。 「ところで、リボーンとランボは?」 「ボンゴレ十代目が死んだと言ったんだ。死んだんだろ」 あいつらはオーロラの下で眠ってるんだよ、と沢田は、顔と目の縁を赤くして、今にも 泣きそうな、今にも笑いそうな、やっぱり泣き出し崩れ落ちそうな顔で言った。 あれは二十代男子が口にするにはロマンチックな言葉に照れていたのではなかった。沢 田は本当に泣き出したかったのだろう。 窓の外の空気が澄んでゆく。雪が止み、オーロラが消え、惨劇を終えた列車は復路につ く。北の大地はまるで無表情にも見えるが、その実、夜明けの空気と共に慈悲に似た色を 孕み始めた。 「おはよ」 小さい、少し寝ぼけた声が聞こえた。山本とシャマルは一緒に振り向く。扉を開けて入 ってきたのは沢田と、後ろに控える獄寺だった。 「もう起きて大丈夫なのか?」 「山本こそ。俺はちょっと寝たよ。でも目が覚めた」 沢田は山本の前の席に腰掛ける。獄寺は黙ってシャマルの背中合わせの席に座った。 沢田の視線が優しく腕をなぞる。もう平気だ、と言おうとして、それも嘘だと思ったか ら、やはり言わなかった。ただ、笑ってみせると、沢田は少し悲しそうに眉を寄せた。 「そうだ!」 山本は大きな声を出した。傷に響いたが構わない。 「誕生日おめでとう、ツナ」 「おめでとうよ、ボンゴレボーズ」 すると沢田の顔はくしゃっと歪んで、くすぐったそうに笑った。 山本は首を捻って、獄寺を振り返る。 「…獄寺?」 「獄寺君からは、もう百回聞いたんだ」 沢田が頬を赤く染めながら言い、獄寺は顔を背ける。 「そっか、良かったな」 取り敢えず、山本は笑った。今は良い気分なので、詳細は聞きたくない。 「そう言えば…」 山本は笑みを引っ込める。 「俺も、リボーンにはプレゼントをやれなかったな」 「ううん、十分だよ」 沢田の手が伸びて、そっと羽根の触れるように傷の上に当てられる。山本はその指先が、 地平線から顔を覗かせた朝日の輝きに照らされる瞬間を見た。まさにその時、山本の身体 から一切の苦痛が消えた。 「…ツナ」 唇が魔法にかけられたかのように、自然と名を呼ぶ。沢田が顔を上げて自分を見る。そ の目も、柔らかな金色をしている。 「誕生日プレゼント、何が欲しい?」 「俺?」 「何でもいいぜ。何でも」 沢田は少し考え込んだ。シャマルがその顔を見ている。獄寺が耳を澄ましている。 「俺、もうボンゴレライナーをもらったから、何もいらないけど。でも、ボンゴレ十代目 として我儘言うなら」 「うん」 「いつか、リボーンとランボが帰ってくるといいな」 沢田は優しく笑っていた。 「俺、あの二人が死んだって言ったけど、でも、ひょっこり帰ってきそうな気がするんだ よ。あいつら神出鬼没だし、特にリボーンなんかビックリ大好きだからさ。いつか、当た り前みたいに帰ってくるんじゃないかな。ドアを開けてさ」 皆の視線が自然と、外に繋がる最後部のドアに注がれた。窓からは朝日が射し、通路に 光を落とす。 が、急にそれが翳った。 四人の肩が緊張に強張る。もうこの列車には誰も乗っていないはずだ。 ドアは普通に開き、逆光の人影が車内に顔を覗かせた。 「ちゃおっス」 沢田は黒いスーツ姿の人影を指さし、口をぱくぱくさせていたが 「…って早すぎるだろ!」 と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で笑った。 その時山本は、彼が知っていた唯一の真実を思い出した。十月十四日は沢田綱吉の誕生 日で、ボンゴレファミリーの凄腕ヒットマンにして、家庭教師のリボーンはそれを、祝う、 と言ったのだ。そうだ。それは、ボンゴレライナーに乗り込む際の、山本とリボーンの最 初の会話だった。 アンドレオークの知っている事 |