15コルクを抜く獄寺の慣れた手つきを見詰めて、沢田は頬杖をつく。グラスは右手に。差 し出すと、ソムリエの具体的なのか抽象的なのか分からない表現は抜きにして、ただ優し い手つきがワインを注ぐ。それは獄寺が、十代目、と声に出す様と似ている。そうだ、自 分を抱く時の獄寺の声のように、静かで、一途で、それ以外の目的を持たない。 一口、含む。当たり、と心の中で呟いた。橙色の光を反射する柔らかなカーブの向こう に、神妙な面持ちの獄寺がいる。 沢田は口元で笑った。グラスを持つ手を獄寺に伸ばす。濃い葡萄色の液体は闇の色をし て、ガラスの曲面の中、くるりと円を描く。良い香りがふわりと流れる。 「名探偵、みなを集めて、さてと言い。だっけ?」 「…え?」 「俳句」 それとも俳句じゃなかった?と沢田が問うと、季語が入っていませんから、と獄寺は答 えた。 「季語どころか、誰もいない」 「………」 「吃驚したよ」 沢田はグラスの中の液体を干した。空のグラスを越して獄寺に視線を投げる。 「いつの間にか、こんなにリボーンから信頼されたんだな」 獄寺もまた、グラスの向こうから沢田に視線を寄越した。沢田は続けた。 「山本は全てを知らなかった。ドクター・シャマルもきっと、役割を充てられただけだろ う。君だけだったんだ、全てを知っていたのは。全てをこの通りに進める為に、線路から 逸れないよう進行する為に、全ての俺たちの行動を誘導したのは、君」 グラスを持つ手で、鉄砲を作り、額を狙う。 「だったんだ」 撃つ。 「それから?」 ゆっくりと口を開いた獄寺は、沢田を見守るかのように優しく微笑んでいた。 「聞かせてください」 沢田は手を下ろす。獄寺の視線と真正面から交わり合う。今夜、何度見つめ合っただろ う。しかし、お互い心の奥底までガラスのように透かして見るのは初めてのことだった。 「君は大量の人間を操る必要はなかった。パニックのハルを黙らせたり、血の匂いに真っ 先に騒ぎ出すヴァリアーを押さえ込む必要もね。だって、この列車には最初から、そんな 奴ら、乗ってなかったんだ」 「何故、そうお思いに?」 「普通に考えればいい。全部、普通にね。そしたら、すぐに分かる。こんなことがあって、 ハルが黙ってる筈がない」 「怯えていただけでは?」 「ビアンキは?」 「………」 「リボーンの四番目の愛人だ。黙ってないよ。千紫毒万紅で、この列車ごとおじゃんにな ってたっておかしくない」 「あの部屋の様子は、どう説明されますか?」 「どうってことない。最初から用意すればいいんだ」 「全ての客室を?」 「全部の客室を」 沢田は唇の端を持ち上げる。 「リボーンは何事も徹底する奴だよ」 「…続けてください」 獄寺は促した。 「この列車に乗っていたのは最初から俺たちだけだった。俺と君、リボーン、山本、ドク ター・シャマル。そしてランボ」 「あれは本物の死体だと信じていらっしゃるんですか?」 「正確にはそうじゃないだろうね。でもランボも乗っていた。ただ、アレはランボの死体 じゃなかったと、今は思っている」 「十代目ご自身が確認されました」 「瞳孔開いて息止まって心臓止まってるかどうかね。俺はランボの首に触った。冷たい、 ゴムっぽい感触。でも、多分、全部が全部リアルな人形じゃなくてもよかったんだろ? 俺は怖くて触れなかったし、もし意を決したとしても君がいた。俺が生死を確認するのに は、二時間サスペンスで見たみたいに、首に触るだけで十分だったんだ。そして、役目が 終わったら、窓から捨てた。窓が割れていたのは、それっぽい殺人現場を演出するためだ ったけど、もう一つ死体のフィギュアを捨てやすくする為だ」 一旦、言葉を切り、沢田はグラスで周囲を指し示した。 「ここには誰もいないね」 「誰もいません」 「俺と君以外」 「誰も」 じゃあ、内緒の真実が言える。沢田は声をひそめた。 「ランボは生きているな?」 獄寺が、ブラボー、と囁いた。 「では次の問題です。何故、リボーンさんは殺されたんです? それにあの赤ん坊の姿を したリボーンさんは一体何なんですか?」 「敢えて言うなら自殺かな」 そこで沢田は初めて顔を顰め、趣味が悪い、と言った。 「リボーンは眠る時、目蓋を閉じない。でも、それだけじゃ駄目だ。でも言ったろ、あい つは徹底する奴なんだ。アッディーオを習っただろ」 「…あれが、習えるものかは」 「まあね。モレッティは特殊だから。心臓止まっても動けるからね。でもリボーンの場合 は、本当に自分の死を演出してみせた。…俺は少し悩んだんだ。もしかしたら、ランボも 同じように、ランボ自身の身体で死体を偽装したんじゃないかって。でも、それは出来な い。そもそもランボはリボーンみたいに器用じゃないからボロが出る確率が高いし、何よ りリボーンは、多分、それをさせたくなかったんじゃないか?」 「リボーンさんが、アホ牛の身を案じるんですか?」 「君が僕に優しいのと同じ理由で」 「………」 無言でグラスを差し出すと、獄寺は黙って、新たに闇色の液体を注ぐ。沢田は唇を湿ら し、話を続けた。 「俺はそう言えば、最初からあいつの姿を見ていない。リボーンの帽子の上に載った形状 記憶カメレオン。どこにもいなかった。赤ん坊のリボーンの正体は、レオンだ」 「レオンなら、扉の向こうに出た瞬間に壁や床に同化出来る、と言うことですか」 「そういうこと」 「そして実は生きているリボーンさんは…」 「部屋の内側から、鍵を開けて出て行った」 「では十代目のお考えだと、二人とも…」 「誰にも言っちゃ駄目だぜ?」 沢田は無邪気な風を装って笑った。 「山本を撃ったのもリボーンだろ? 一旦、退場しているから、見つからない限り行動は 自由だ。それに俺はすっごく視野が狭くなってたしね」 「山本を撃ちますか、リボーンさんが」 「繰り返すのは三度目。あいつは徹底してる。これをオリエント急行だかシベリア超特急 だかにするためなら。そして、俺がこれまで起こったことを全部、真実だと信じるために なら」 二人の顔から笑みが消えた。 「俺が信じることが重要だったんだ。だから君がいた」 「あなたのお側にいました」 「俺の目と、超直感を曇らせるために。それが君の一番の役割だ」 グラスがゆっくりと揺れる。闇色の水面を、蝋燭の明かりのような橙色の光が回転する。 「ボンゴレライナー」 沢田は言った。 「オーロラを見に行くための列車。オーロラの見える場所まで続く線路。リボーンはそこ まで作ったんだ。なのに、前の車両をこんなに不格好に作る筈がない。もし本気でそうし たいなら、リボーンはこれを蒸気機関車にしていた筈だ。そしたら石炭を積んだ車両と、 機関室が必要だ。でも、これは電車なんだ。俺が勉強できないダメツナだったからって言 っても、これくらいは知ってるさ。電車のエンジンがどこにあるかくらいはね」 靴が床を叩く。 「それらしい張りぼてだろ、あれは。大方、中は部屋みたいになってて、隠れてるんじゃ ないか? 山本とシャマルも」 沢田は前の車両に目を遣る。 「大体、前があんなにうるさかったら、ここにはいられないよ」 「超高性能の防音装置とか」 「なら特許を取ろう。そんで首都高とかに取り付けて、日本からもがっぽり儲けよう」 「自動走行…」 「そんなの最初からさ!」 「では…」 獄寺の目が、ひたと据えられる。 「では、何故こんなことを?」 沢田は頬杖を解き、ゆっくりと身体を起こした。グラスの底に残ったワインの香りをか ぐ。 「バースデイ・プレゼント。目が覚めたばかりの俺は、リボーンからそう言われて、今日 が十月十四日だと思いこんだ。違っていた。一日ずれてたんだよ」 手首を翻し、腕時計の文字盤を相手に向ける。 「日付が変わって、今日が十四日だ。ついさっきまで十三日だった。リボーンの誕生日だ った。これはリボーンのバースデイ・パーティーだったんだろ?」 獄寺の目が嬉しそうに細められる。 「俺がこう認めることが必要だったんだ。リボーンも、ランボも、死んだ」 その時、車体が揺れた。耳に響く鉄の悲鳴。慣性の法則に引っ張られた身体が傾ぐ。ボ ンゴレライナーが減速を始めていた。 天から下の |