エピローグ暗く、涼しい廊下にゆったりとしたピアノの音が流れていた。山本は繰り返しの多いそ の旋律を鼻歌で歌いながら部屋に入る。沢田の執務室にはリボーンが一人、ソファの上に 寝転び、帽子を顔の上に乗せてくつろいでいた。 山本は沢田の机に回りこむと、書類の散らかったままのそこを片付けた。書類の山の下 からは銀縁の写真立てが現れた。その中に納まっているのは、写真立てに対し小さすぎる 写真だった。中学生の沢田が笑っている。その笑顔は一度裂かれ、丁寧に修復した跡があ った。山本はその写真を取り出した。裏には『at the 11th hour』のメモ。 聖書の話と、土壇場で間に合う、という慣用句を聞いたのは、イタリアに帰国後だった。 教えてくれたのは意外にもボヴィーノファミリーのランボで、俺はボスと一緒に聖書を読 むんだ、と言いながらブドウ園がどうのという話を教えてくれたが、そちらはよく覚えて いない。 懐から一葉の写真を取り出すと、何だ、とリボーンが声をかけた。目が覚めたのか、そ れとも最初から眠っていなかったのか、ソファに腰掛け、こちらを見ている。ほら、と二 葉の写真を差し出すと、カメレオンが舌を伸ばしそれを受け取った。 「ツナの写真の後ろで、俺の顔が半分に切れてるだろ。それで思い出して、ずっと探して たんだけど、ようやく見つかってよ」 リボーンがもう片手に持った写真には、獄寺が写っていた。少し不機嫌そうに後ろを振 り向きかけている。その先に山本がおり、山本は二人を呼ぶように大きく両手を挙げて笑 っていた。 「十年前、お前と二人で獄寺の部屋に行った時、見つけたやつさ」 両手の写真を合わせると、山本の笑顔がパズルのようにぴたりと完成した。この写真を 鋏で二つに切り分けて、獄寺は日本を出たのだ。それから何カ国と彷徨った。この家族に 帰ってくるまで、いくつもの傷を背負いながら、いくつもの街を渡り続けた。何人にも裏 切られ、その倍の人間を裏切り、しかし生きていた。この写真の半分を抱いて。 その半分の写真を更に引き裂いた男は、今もブエノスアイレスに生きている。十年前の 獄寺の身に起きた真実を知らされた沢田は、リボーンの力を借りず、自力で獄寺を探し出 した。そして獄寺と一番親しい男にコンタクトを取り、獄寺をイタリアに連れて帰ること を告げた。それを嗅ぎつけたリボーンが更に試験という条件を取り付けたが、果たして二 人とも男が本気で獄寺を引き渡すことを拒むなど、想像していたのだろうか。しかし、だ からこそ獄寺はここに帰ってくる資格を得たのだ。 山本は返ってきた写真を裏側からセロテープで貼り付けると、写真立てに戻した。この 写真はもう誰にも引き裂かせない。ここがゴール、ここが終着地点だ。 「見せてくる」 「怒るぞ、無意味に」 「だろうな」 笑って山本は行こうとしたが、ふと足を止めた。ゆっくりとしたリズムのピアノ。 「手、大分よくなったな」 「ああ」 リボーンは微笑を隠すように帽子を顔の上に伏せた。 外では若い緑から濃く色づき始めた木の葉が風に揺れながら、涼しい陰を窓ガラスに落 としている。この爽やかな風が熱くなれば、もうすぐイタリアも夏だ。 ピアノの音を辿るように山本は歩く。突き当たりの大きな扉の前で立ち止まり、一度咳 払い。胸がはやる。写真立てを背に隠して深呼吸。扉を開く。 「ツナ、獄寺」 窓の光を背に受け、大きなグランドピアノと二人の影。 と、開いた窓から扉に向けて強い風が吹き抜け、楽譜がばらばらと舞った。その向こう に怒り始めた獄寺の表情。慌てふためきつつ、笑顔を隠しきれない沢田。ベートーヴェン は青空を飛ぶ鳥のように風に乗って舞う。 「悪り」 途端にはじける沢田の笑い声。山本は写真立てをピアノの上に置くと、獄寺に怒られな がら楽譜を拾った。一枚一枚拾い上げながら、山本は、これが幸福だと知った。 11番目の終着駅 |