山羊の目の女




 私の中で光は膨張する。私の頭の中で? この頭蓋骨の内側に乱反射した末、波長の長いこの赤い光を作り出すのだろうか。私のいる世界が常闇ならぬ永遠に終わらない黄昏なのだと教えたのは三番目のパートナーで、私が相手を殺さず――また殺されることなく――解消することのできた唯一の女だった。
「赤い、ということは分かるの」
 私はファッション雑誌に踊る文字を指さす。
「赤」
 彼女は微笑み、私の指を摘まんでずらした。
「これは?」
「黒だろう」
「紫よ」
「かもしれない」
「濃い葡萄色」
「名前はないのか?」
「紫紺」
 彼女は私の指を自分の胸へと誘う。
「鉄紺」
「これが鉄の色か」
 なめらかな肌触りのシャツの上、私の指は滑る。
 すぐ目の前で彼女の唇が開いた。
「鍛え上げた鋼の色よ」
 あなたみたい、と囁いた彼女の唇は私の記憶の中では葡萄色だ。白いシャツにこぼした葡萄の汁の色。濡れて艶やかな葡萄色の隙間から白い歯が覗く。白い歯が、あなた、と呼ぶ。私は彼女の胸を鷲掴みにした。
 色の名前は彼女の教えた分くらいしか区別していない。赤、夕焼けの色、茜色、葡萄色、紫紺、そして鋼の色。目から入る情報は曖昧だ。私はそれに頼らない。短い髪に隠した両の耳、音、それ以上にこの鼻が頼り。でも彼女に関しては声も、匂いさえ覚えていない。香水が彼女の体臭を消した。ベッドの中でもだった。私の頭蓋の中で乱反射する光線を彼女は今も支配している。絶対的支配は悔しさの一年を脱して安息となった。鉄紺のセーターをすっぽり頭から被り、自分の体臭も、気配さえ薄れたのを確認する。私は鍛え抜かれた鋼。練り上げた意志が鋼の肉体を自在に操る。私は刃だ。鉄紺の殺意。
 次に出会った時は彼女も殺すことになるだろうと思う。彼女はそれを知っている。もう日本にはいないだろう。今頃、どこにいるのか。私はこの瞳の映し出す永遠の茜色の世界を歩く。彼女はきっと「抜けるような青空の下」にいる。私は永遠に辿り着かない。