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2015.7.16(thu) どっこい生きてる電脳の隅


自分用には映画感想など、時々日記をつけていたのだけれど、こちらにアップしないものだからすっかり音信不通となっておりました。
そこそこ生きてて、明日で35歳です。


2015.4.12(sun) いつだって感想お待ちしています


久しぶりにメルフォからメッセージが届いて狂喜乱舞しただよ。

というわけで、急ぎ、そのままお返事をしてしまうのですが、本を作っているのかという話。
実は、と改まるほどでもありませんが、SBRは3冊くらい紙媒体にしています。
くらい、というのは個人用のもあるため、果たして3冊あったかしら、というもの。
ただし、全てwebにアップしたものの再録本です。
しかも全てコピー本です。
内容は一切変わらずに、コピー本です。
一応文庫サイズです。
ほんの短い期間、通販をしていましたが、注文のあった数だけしか作っていないので在庫がありません。
それでも紙媒体がお好きな方向けに受注生産で作ってもいいなあとはずっと思っていたのですが、無精していました。

確認したら、「ストレイライン」のシリーズと、「もう一度サインディエゴから」のシリーズと、「サクロサンクトサクリファイス(支部のnotitled)」を作っていました。「ストレイ〜」は個人用でいっさい通販しなかった分ですな。

久しぶりに、書いたものへお言葉いただいてですねえ、とても嬉しかったですよ。
ありがとうございます。勇気を出してメルフォの送信ボタンを押してくださった方、ありがとうございます。


2015.4.7 自分一人がそんな風に思ってるんじゃなくったって


『あれよ星屑』(山田参助/エンターブレイン)の2巻を読んで気持ちの沈み込んだのが二週間ほど前である。
この漫画は戦時中、上官と部下であった二人の男が焼野原となった東京で再会して…という物語で、帯には「焼け跡ブロマンス」という言葉があった。ブロマンス的関係は、個人的には2巻の方がグッとくるのだけどその話題はまた後にして、どうして気分が落ち込んだのかという話。
2巻は主人公二人の過去の物語だ。戦時下の大陸での日々。主人公である部下を含め問題児だらけの隊と、そこに上官として就いたもう一人の主人公の男。上官は昼行燈と呼ばれる男で、暴力やリンチを嫌う。問題児たちには逆にその雰囲気が馴染むのだが、隣は対照的な隊だった。日常的な新兵いびり、その加熱。やがてそれは一つの悲劇的終着――ただし「西部戦線異状なし」的な、戦地ではありふれた悲劇という終着を見るが、その事件は主人公の心に深い傷を残す…。
怖い映画や怖いマンガを読めるようになったのはいつからだろう。かつては本当に漏らすほど、映画館を出た後も恐怖で震えるほどに恐ろしかったキャトルミューティレーションが平気になったのは何故だろう。かつて作品中の痛みはダイレクトに共有された。描かれる暴力、描かれる傷、描かれる血は同時に己が傷つけられたも同然のものだった。恐怖する登場人物の表情は、作品を読む自分の心の顔そのものだった。脳の主客の区別はない。暴力的な言葉は自分に宛てられたものでなくても、聞いた人間の心を傷つける。同じように、作品中の痛みも恐怖も読者は己の経験として味わうのだ。
流血も暴力も読めるようになった。観られるようになった。これは痛みだ、これは恐怖だ、最初からそう宣言されればそういうエンタメとして摂取することができる。だから、つまり『あれよ星屑』に描かれた深い傷を負わせる戦争体験は予告なしに来たから心の深いところまで刺さったのか、と言うと、無論物語を追っている上での衝撃もあるのだけれど、作中の経験が自分の経験となるのを数日間落ち込むくらいの影響力で味わったからなのだ。
私は戦争を体験していないし、一次資料にもほとんど目を通したことがない。それでも主人公らの隊ではなく、いじめやリンチが日常と化していた部隊の方が多数だったのだろうと想像できる。何故か。現代で自分が所属している、また所属してきたコミュニティがそうだったから。加害者の心境も被害者の心境も味わったことがあるから。
無茶を言いつけられたり、裸に剥かれたり、理不尽に殴られる新兵を見てかわいそうだと思う。同時にかわいそうと思った心の流れを濁す一筋がある。弱者をいたぶるあの感覚、より強い権力を握っていると信じ横暴に振る舞うあの感じ、自分が正義を為していると信じて疑っていない時の周囲を見下した苛立ち。私はそれを知っているぞ(お前はそれを知っているんだ)その心境をこの絵の中に見た(恥知らずな加害者だった過去は消えないぜ)。
痛みを知る人はいい人だ。その作品に触れることが出来ないほど痛みに敏感な人は善き人だ。きっとあなた方は報われるべき被害者なのだ。本当は癒されるべき心の傷を持っているのだ。
私は自分のことをろくでもない人間だなあと思った。私は己の行為をもって、一時の嗜虐的快楽と引き換えに、傷を浄化されるべき資格をドブに捨てたのだ。
今更きれいにもならないが、それでも新兵の受けた傷の数々、そして最後の大打撃は己の経験として私の中に蓄積された。落ち込んでいる当時は「読むんじゃなかった…」とまで思ったが、時間が経ち、消化されたのか、今では得たものなのだと思う。
しかしだからと言って読め読めと言うのではなくて、人それぞれキャパシティがあり、受け容れられるものを、受け容れられるように受け容れるしかないんだよなあ。私だっていまだにハピツリの「Wishy Washy」をもう一度観る勇気はないもの。それが人によってはワインでも、また別の人にとっては劇薬であって、無理強いしちゃならんのだ。私もよく正しさを追い求めるが、正しいからといって人の宗教を踏み躙る権利がある訳ではないと映画『オーバー・ザ・ブルースカイ』で学んだじゃないか…。
『葉隠』でも、人の話を聞いたり書物を読むことで己の経験となし、よりよい解決法を探ることができると教えているのだけれども、これはやはり修行なのであるな。道徳らしい言葉なのだけれども、薦められているのは修行の道なのですよ。ここで解決を見出すべき問題っていうのは、結構重い決断を伴うものも少なからずであろう時代のこと、それで人の話を聞こうとしたら、それは他者の重い経験、もしかしたら重たい失敗の経験を共有しないといけない。解決方法を探ろうという自分の心だけでもあっぷあっぷしているところへ他者の経験や心まで背負い込むのはつらい。だからこそ覚悟のいる行動、自己研鑽の修行であるのだな、と。
全てを拾わなくてもいい。全てを背負い込まなくてもいい。だが、なまくらで生きていられるのか。

さて『あれよ星屑』はおすすめの漫画です。時代が時代だからパンパンとか登場するんだけど、彼女らの逞しさとか、商売をしながらの明るさが、本人らは苦境であろうに、読者を笑わせてくれて、あんたらは女神か…と。性描写の明るいところはあっけらかんと明るくて救われる。また、日記の最初に言った2巻の問題児部隊、参謀役っぽい眼鏡の切れ者がいて惚れちゃうじゃねえかというか、最近ほんとそのへんにいそうな顔で眼鏡の、だが曲者っていうのに弱いんだけど、1巻の時点で部隊のほぼ全員が死んだって言われてたよね。そうだ、それにあのエピソード…!(思い当たったところで手記は途切れる)


2015.3.24(tue) 自分一人がそんな風に思ってるんじゃなくったって


私はこのタイトルでいったいどんな思いの丈をぶちまけようとしたんだろう。


2015.2.11(wed) 長崎行御報告


"長崎"御番である。一度は現地を体感しなければなるまい。思い付いて、行ってきた。
思い付きとは言え、易々と行ける地ではない。遠い。直線距離ならば鳥栖と同じくらいかそれより近いのに、倍くらいの距離がある。佐賀までは何とか車で行こうものの、それとて日帰りはきついのである。JRより他に手段がない。昔は地元から島原までフェリーが通っていたのだがいつの間にか消滅していた。このことにより当初の「次は島原に行って沖田畷に眠る(実際に眠るは高伝寺)タカノブニャンの霊を慰むるべく!」という目標は忘れ去られ、原爆資料館、史跡出島、歴史博物館、県立図書館、高島秋帆旧宅とギュウギュウに押し込めたスケジュールを行くこととなった、午前4時40分出発で。
いや、よく起きられたなあ、と自分でも思った。しかも電車の中ではずっと資料を読んで居眠りさえしなかった。早寝の効果すごいわ。皆さん早寝をするべき。
と言いたいところだが、いきなりの早起きと起き抜けからフルスロットルな活動に原爆資料館の展示は負担が大きかったのか、途中でスーッと血の気が引いてベンチに座り込んでしまった。冷や汗は止まらないわ、泣いてしまうわで。展示場内は時々解説の音声やから咳が聞こえる他だいたい穏やかに静かで、私はハンカチで顔を覆って俯いたまま自分の精神耐性について考えていた。色々、耐え得ない。日記などを読まれた方はとっくにご存知のことかとも思う。
展示の後半をすっ飛ばすように資料館を出るとあまりに寒いから逆に落ち着けようものである。精神より、酷寒を感じる肉体の方が優勢になったのである。予定より1時間ばかり早く史跡出島に向かった。
出島は、私が小学6年生の修学旅行で訪れた時は埋め立てられたまま、市街地のままで、バスで通り過ぎたはずだが、だいぶ復元が進んでいる。長崎は古いものを壊す・残さない傾向にあったらしいが、観光だけでなく学術面も考慮して遺していってほしいもの。四郎ヶ島砲台跡を本当に頼む。ちなみに復元された中で一番興奮したのは唐紙の壁紙で、オランダ人の住んでる部屋は明るいイメージで、日本家屋は薄暗くて、ベッドを見た感想は「小さい!」であった。
原爆資料館で冷や汗を大量に流して以降、体温が下がる一方である。昼食をゆっくり食べる暇がなければカロリーメイトでもいいかと思っていたが、さすがに保たないと判断された。食べたのはトルコライスだった。メニューになかったから仕方ないんだが、どうして長崎まで行ってちゃんぽんを食べなかった。
長崎歴史博物館は『仁 ―JIN―』にちなんだ医療の歴史の特別展示がなされていたが、時間の関係上常設展示だけを巡った。否、常設だけでもまず今回の目的としては十分なのだ。なにせ長崎奉行所が復元されているので。しかし「137年ぶりにオープン、長崎奉行所お白洲で遊ぼう」ってどうなんだ。心に引っ掛かるコピーだったのでこれは成功なのかもしらんが。お奉行様が座るとこに座って「打ち首」とか言っちゃうのか。ちなみに図書の間で申し付けるなら「切腹」かな。いや申し付ける側でなく己が切腹した長崎奉行もいたので(1808年没)洒落にならんか。
時間がなければ飛ばすはずだった県立図書館だが、歴史博物館と同じ敷地内であるし、この機会を逃せばいつ長崎来訪が叶うか分からないから、とにかく行ってみようと。しかし草木の繁茂する急な斜面を未舗装の階段で上ることになるとは思わなかった。(※裏から来たせい)。図書館に行くたびにコピーしまくるというのが昨年からの倣いだが、特に時間に追われながら適当な探し方をしたせいか、長崎県史にしろ市史にしろ、これぞというものは発見できず。どちらかというと博物館に展示されていた港警備の図などが情報として欲しくてな。それと長崎はやっぱり原爆の街なのだ。
後で考えたのは、私が探したのは長崎警備に関する資料であり、これは佐賀・福岡それぞれ結構な資料が出てくる。警備をしたのはこの二県だから当然のことなのだが、守ったのは他県、長崎奉行も幕府から派遣されてくる、となると私が着目すべきは土着の人々の生活、民俗だったのだろうか。長崎ぶらぶら節について全く調べていない。長崎現地まで行ったのに。(イメージだけで物を言えば、他県に守られ、他者に施政されながら長崎はゆったりと座り「よきにはからって」という印象がなくもない。長崎が怠けているわけではなくて、何だろうかこの感覚は。やはり"お姫様"なのか)。
今回、地図を見ていて直前に存在を知り、どうしても行きたかったのが高島秋帆旧宅である。簡単に紹介すれば、幕末の砲術師範。この旧宅が、いかにも長崎という坂の上にあった。建物はもうない。敷地に塀と石倉が残るばかりである。そこで今年初めての梅を見た。あちこちでは綻んでいたのだろうが、自分の生活圏内では見かけなんだ。上手く写真に写らない。塀だの訓練場跡だの砲跡の残る石だのを写真に収め、敷地内を出たところでまた道に迷いそうになる。坂の上から見下ろすと、長崎の町は実に立体迷路だ。また猫ともようやく出っ会わした。人慣れしていて逃げない。カメラを向けるとそっぽを向く。
路面電車に揺られながら、まさか予定の場所を全て巡ることができるとは、と思ったが、これ、と心に決めた土産物を買えなかったのが残念。美味しそうな、と言うか衝撃的なお菓子があったのだが。またの機会に。

そんな訳で長様がお住まいの屋敷を想像するんですが、ずっと坂の上を考えていたんですけど港町という性質上、海の側ですかねやっぱり(私信)。


2015.2.6(fri) だからどうだってんです


サニワと歴史修正主義者の戦いは「解釈違いは殺す」みたいなもんだと言われてから急に自分の考えてきたことというか、これだけ考えている自分が馬鹿みたいに見えて、尚且つこないだのメンテで「帰環」も「帰還」に修正されたらしいので、全部ぶん投げようと思います。多分20〜25話くらいの話になったと思うけどもういいや!


2015.2.4(wed)part.1 今日の日記のラインナップ


・part.1は今日のこと
・part.2は甥が自閉症と診断されて一昼夜感じたこと、ついでに障害と特性と超管理社会について
・part.3は刀剣乱舞の雑な考察に書き漏れていたことの補足

そんな訳で今日のこと。
地元県の図書館に行くからって下調べを怠っちゃあならねえな。
熊本県立図書館、改修中でした。
昔心理テストでも「欲しいけどいつも電池切れ」という答えをしたことがありますが、必要な時に限っていつも休館日だったり、ろくに訪れたことがないぜ熊本県立図書館。クソッ、郷土資料室はどうなってるんだろう。知りたい。こうなったら長崎に行く方が早いじゃねえか(早くない)。


2015.2.4(wed)part.2 私と日常


隠すことでもないが喧伝することでもない。難しいところだが、三歳の甥が自閉症と診断された。私の弟の長男である。
その一報を聞いて正直、ショックよりも先に納得するところがあり、また同時にいつか来るべき日が来たようにも感じた。
未だ発語がないこと、ルールに関する無関心さ、一つところへの執着など、それまで漠然とした不安だったものに名前がつけられた。定義ある名前をつけられたということは、一つ道はハッキリしたということである。今までおかしいと思っていたこともほぼ、先天的なこの特性に因するものだったのだ、と。
両家の家族の内八割が医療・福祉系に携わっており、障害に対し無知ではない。それは幸いである。だが無知ではない故のショックはある。これからの苦労を思う。おそらく昨夜は家族のほぼ全員が自分の一生、死ぬまでにやらなければならない仕事や残さなければならないものに考えを至らせた。私は考えたし、我が家でもその証拠となる出来事が幾らかあった。
障害を持たない子供ならば、乱暴な言い方だが、ある程度まで成長すれば放っておいても自分で生きてゆくことができる。しかし、甥にはケアやサポートが必要だ。障害の特性は年を取れば取るほど社会との間にギャップを起こし顕著となるだろうから。
それまでのぼんやりした不安だったら、いったい何が原因なのかとやきもきする気持ちはあっても、いつか言葉も覚えるしそれなりの成長をするんじゃないかという根拠のない楽観的希望を持ち得たのだが、少なくとも楽観視はできなくなった。
とはいえ悲観することもない。特性が障害とされ名前がついたが、昨日も今日も甥は甥である。漠然とした不安は解かれた。この先天的障害を持った人間は甥一人ではなく、既に先人が苦しみ、社会に働きかけ、少しでも良くしようとした最先端にいる。我々はまだ知識の十分でないものを目の前にショックを受けているけれども孤独ではない。顔さえ上げて、自分から手を伸ばそうとすればね。
とは言え、傍目にも父親の自覚の薄そうな弟が気がかりであり、これは私がファザーコンプレックスを持った、父親というものに幻想を抱いている人間だからそう見えるのかとも思っていたけど、始終スマホゲームにかかっている姿は義母の目にもよくは映っていなかったのだった。やっぱりか。障害がなければ、親がなくても子は育つの言葉どおり、弟は駄目な父親のまま終わるかなと思っていたが、サポートの必要な息子に面と向かおうとしなければ、こいつは人間として最低だ。
幸いにも今スタート地点だから、今後己の現状を把握し変わることができるや否や。何しろまだ一昼夜しか経っていないから、ここで説教をすると「今勉強するつもりだったのにお母さんのせいでやる気なくしたー!」という中学生みたいになりかねん。
お前なあ、お前も当事者だからつらいとか不安とか感じてるかもしれんし、それが同情されるべき、己の心や生活を大事にされるべき正当な理由と思っておるかもしれん。そこんとこの最初の部分は正しい。お前がまず感じたショックも不安も肯定されるものだ。障害児の親もまたケアされ、サポートされるべき存在だ。けど、だからって甘えてらんねえんだよ。お前は家族を持ったんだから。その男の子はお前の息子なんだから。
弟は私のことを離れた場所に住んでいる気楽な部外者だと思っているだろうし、家族を持つ者の大変さ、親の大変さは分からないと言うかもしれない。確かに私は今かなり自分勝手に生きているけれど、その分の代償は特に自分が年を取ってから払うんだよ。誰も積極的に老いた私をケアする義務を持つものはいない。金がなければ不自由をカバーする生活も送れない。何より私は一人で死ぬ。場合によっては自殺も視野に入れなければならない。これらの孤独と恐怖をもう片側の天秤に載せた自由なのだ、私が今享受しているのは。
私は、職業としては医療・福祉に携わっていないが要約筆記奉仕員としての十年の活動の中で福祉が日常となっている場に接してきた。先日、障害者サポーター制度の研修での活動で、障害種別の紹介DVDを観たが、その時ショックを受けたのが、知的障害者の特性として挙げられた内半分から半分強は自分に当てはまっていたことだ。それは障害と定義されない、病気でもない、社会で何とか生きていける程度ではあるが、どこか頭のおかしい人と見られていることへの受容を進めていた中でもショックであった。
だが、ここでショックを受けるのは間違っている、という気がした(この「間違っている」という表現も個人の特性を尊重する人権的には正しくないのかもしれないが)。障害を持った人が運が悪いのではない。世の不運とされるところのもの、誰にふりかかっても当然のことであり、誕生から死まで摩擦なく微笑と好意に包まれたままつるんと滑り抜ける人生はない。それは自分が人並みの就職ができなかった時に感じたものだ、負け組という言葉が存在するなら落伍者はいる。両親が離婚をした時に感じたものだ、完璧な家族などない。平凡な人生などない。いつか、何かを得るだろう。
自閉症の診断の話を聞きながら、私は甥を、もし自分が産んだ男の子だったとしてもこうなったろうと思った。誰か自分の知らない世界に存在する痛みじゃない、ちゃんと私の生きている世界に事件は起きた。そして一過性ではない、この事実は今日から私たちの日常となる。

それまで障害と見なされていなかったものが、実は己の努力ではどうにもならない原因を持つ、自分以外も多くの人が悩みとしてかかえてきた障害だったのだ、ということが最近ようやく社会に認知され始めた。
アニメ『サイコパス』を観た後で、あの成功したディストピアを見ながら考えていたことと、こういう考えが結びついた。
いずれ福祉が拡充すれば、障害は程度の差こそあれ、万人が有する特性となる。それは先天的、肉体的な不便から精神面に至るまで多岐にわたり、福祉とは行政が全面サポートするものではなく、住民同士が手を取り合って、互いに足りないものを補い、生活を共にするためのシステムとなる。
二人以上のバンド(band・帯で結ばれた者・組)でサポートし合って生きていくのが日常であり、結婚=家族単位とはなっていない。違うバンドの人間と結婚しても一緒に暮らす者は少数。通い婚が一般的となる。子育てもまた男親・女親の内、希望する方、また適切なのはどちらかという評議が当事者を含めて行われ、生まれてきた子供の特性も鑑みて決定される。
そこで行政に必要なのは特性(障害)種別への深い理解と、住民がより暮らしやすくするための住民同士の連結のサポートが主となる。特性にはそれぞれ名前がつけられ、色で分類され、行政に相談すれば、より暮らしやすい居住区、より自分にあった職業を紹介される。もちろん教育の段階からお互いへの理解をより深め、受け入れがたいものは受け入れがたいものとして自分が積極的に関わっていきたい活動はどんなものか、将来社会でどんな役割を持ちたいのか、という意識の育つような教育が幼年期から多様な特性(障害)を持った子供たちとの生活の中でなされている。
出産前診断についても、敢えて優性主義に走らなくてもよくて、どんな特性(障害)を持っていてもいいんだよ、それが君の個性なんだよ、この社会のなかでなら自分の個性を活かして社会の一員となり生きていけるんだよ、産んでいいんだよ、と人口はコントロールされる。
とは言え、特性種別によって向き不向きがあり、それを尊重するという立場を貫けば、その範囲の中で管理しやすい住居区画分け、進学・就職における人材の選別は可能であり、それが万人のおおまかな同意のもとで実行されている超管理社会がいずれやってくるんじゃないかな!
シビュラシステム肯定派です。あれほんとよく出来てるわー。


2015.2.4(wed)part.3 刀剣乱舞の雑な考察もとい妄想(補足)


敵の刀剣たちがおどろおどろしい姿をしていることと、歴史修正主義者がいかに敵刀剣を用いているかということ。
そもそも刀剣の思念としては、主を死なせたくない、というのが素直なところであり、そういった怨念は全国各地にあるのであり、だから幽霊や怨霊の話は尽きない。
歴史修正主義者たちは、こうやって歴史を改編しよう、よりよい世界を作ろう、と刀剣を教化しなくても、「あなたがたの意思は正しい、あなたがたの力を貸してくれれば、私たちはあなたがたの手助けもできるし、あなたがたの働きによって私たちの目指すよりよい世界を作ることができる。そのような姿で蔑まされているあなたがたこそが世界の救世主なのだ」と声をかけさえすれば、闇堕ち刀剣たちは向こうから集まってくる。歴史修正主義者たちは人材ならぬ刀材、その力に不足することはない。
むしろサニワが付喪神として現出させている方が刀剣たちの本来の望みをねじ曲げた方法なのだ。付喪神は主に気に入られるために見目麗しい姿で現れているのでは、という仮説を目にし、それもすごく魅力的ではあるが、逆にサニワが付喪神たちの心をつなぎ留めるために美しい姿として現出させ、意思に反してでも過去で主の死ぬ歴史を守って戦わせているのでは、という仮説も成り立つのではなかろうか。
ちなみに破壊時の科白を読んでいると闇堕ち案件にはなりそうにない小夜左文字と宗三左文字に心からホッとしているものの、この刀たちは刀という運命から解き放たれた方が幸せなのだなあと思うと、戦い続けている今の時間は実に価値あるものと思われる。


2015.2.2(mon) 妄想が煮詰まってきたから吐きだしておく


やっと2面をクリアして3面に入ったばかりですが、今入った情報だけで雑に考察してみようという。
雑なので考察でもない、妄想である。
ちなみに御手杵さんレシピを回して3度目、初めての3時間、御手杵さんキターーーー!と思ったら蜻蛉切さんでしたー。
ジャイロ…ジャイロに会いたい…(VOMIC版)。

・審神者(さにわ)
・さにわ【さ庭】(サは神稲の意)1斎み清めた場所。神おろしをおこなう場所。2神慮を審察する人。神命をうけたまわる人。3神楽で和琴を弾く人。(広辞苑より)
・とあるので、サニワが付喪神を現出させるフィールドのOSである可能性。
・オペレーターであるサニワも(2205年でもあるし)キーボードをダカダカ叩いてるんじゃなくて、十本くらいの弦でワイヤードされてて、コマンド実行のたびに響く振動の総体が一つの単調なメロディを奏でていたりしてな。
・という訳でサニワは2205年の技術職ではないかという気がしてきた。

・歴史修正主義者と時の政府
・修正するからには修正された歴史の方が好ましいという考えがある訳だ。
・歴史を修正してどうしようというのか→より好ましい世界を作りたい

・帰還の文字が「帰環」となっている
・つまりこの世界観で時間や歴史というものは円環状ではないか。
・時代時代で円環を形成しており、歴史的事件すなわち特異点によって他の円環と接触している鎖状の時間なのでは。
・しかも一本の鎖じゃなくて、土地土地で時間は循環していて並列し、接触している、鎖帷子状なのでは

・じゃあそういう構造の時間だと仮定して、時間遡行ができるということは構造を知っている訳で
・時間遡行のシステム自体は円環状の時間の中で特異点を探し出し、次の時代との接続を安定させてジャンプ
・だから近い時代から遠い時代に順々にステージは進んでいく
・歴史修正主義者の働きがどんどん過去に遡るのは影響力をより強くするためっていうのは前の日記のとおり

・ではこの仮説の上で歴史修正主義者が目指す世界とは何か
・普通、望まれるのは住みよい世界だ
・歴史修正主義者が最終的に目指すのもそれだと考えていいだろう
・時間の構造を知った上で平和な世界を構築するとなると
・歴史を修正することで争いの事実を消滅させ、特異点を消し、二つの円環(時代)を一つの大きな流れにする
・この繰り返しによって、争いのない歴史の中で大円環を完成させる
・大円環の世界では争いのない歴史が緩やかな循環をし、人類の誕生から消滅までを穏やかに繰り返す

・もしかして世界的には歴史修正主義の方がメジャーなんじゃないの?
・「バッキャロー! ニンゲン競い合ってこそ進化するんだろうが!」って修正を拒んだのが日本なんじゃないの?
・日本側からしたら、歴史修正主義者に通じて歴史を変えようとする過去への攻撃はテロルだけど、向こうは「平和な世界を作るための正しい介入」をしてるつもりなんじゃないの?

・時の政府とサニワ側からしたら「正しい歴史を守るための戦い」
・でも刀剣側からすれば「正しい歴史」の中では主が死に、歴史修正主義者の目指す世界では主も死なず世界も平和になるという考えも存在する。

・以上のろくすっぽ吟味してない雑な考察もとい妄想を前提に。

・2205年、資源は枯渇し、環境は破壊され、世界中が平和に生きる場所を求めていた
・現在戦争がなくなっていても、過去の過ちのせいで人間は滅亡寸前である
・生き延びる策を模索した人間は時間の鎖構造に気づき、時間遡行の技術を得る
・戦争をなくし、平和な世界の大円環を作ろうと動き出す世界
・唯一それに抗った日本は鎖国化したが、国内外の歴史修正主義者による過去改変攻撃をたびたび受けていた
・サニワは、改変によって特異点の消滅しそうになっている時代の円環を修復し、正史に戻すのが仕事である
・付喪神を現出させる技術、時間遡行をした先でのフィールドの安定、特異点の定着など技術とセンスが必要
・また時代は順を追ってジャンプを繰り返すため、遠い時代に遡れば遡るほど元の時間に戻れる確率は低くなる
・一度送り出されたら帰ってこられないどころではなく時間ごと消滅しかねない危険な仕事
・過去に飛んだサニワは、本丸においてのみ生身として存在できる
・フィールドの安定に費やされるエネルギーは莫大なので、勿論人間一人の手には負えない
・その力を付喪神から分け与えてもらうのが「内番」
・出陣をすると改変される時間の中で存在し得るフィールドをコントロールしなくてはならず、本丸の奥にワイアードされている
・意識はフィールド全体に広がっているので戦いの様子は手に取るように分かる
・また刀剣たちに指示を出す必要があるので、主botを端末として戦場には存在する
・そのステージのボスを倒すことで本来の歴史(特異点)を安定させ、次の時代に飛ぶことができるようになる
・遠征は特に現時点から離れた特異点の消滅危機部分に付喪神のみを向かわせること
・よって遠征から無事、元の時代の円環に戻ってきた意味で「帰環」と言われる

・っていう世界観で、次のような小説を妄想している。

・主人公であるサニワは乱似のTS。
・現在は世界的に平和第一主義なのでTSに対する差別はないことになっているが、産めよ増やせよの時代には非生産的な人種だとされていた偏見がまだ根強く残っている。
・現在に生きていても絶望しかないので工業系の進学をして技術を身につけ、サニワを志願。合格する。
・かといって「正しい歴史」に対する執着もないので、そこそこ性に寛容だった江戸時代をうろうろしている。
・大先輩サニワのサンジェルマン先生(オカマ)からはセンスがあるから昇格を目指せと薦められている。
・大先輩サニワのネコマタ先生(老人)からは、理念もないからサニワに向いていないと言われている。
・サニワに就いて以来、近侍は蜂須賀虎徹だったが、闇堕ちして敵になった。
・MVPを取りまくっていた陸奥守も闇堕ちして敵になった。
・長谷部をモデルにしてエロプログラムを組んだことがあり、それが長谷部にばれた
・「どうして俺なんですか…!」「何でも主命主命って言って後腐れなさそうだったから…」
・それとは全く無関係に、元の主恋しで長谷部は闇堕ちした
・歴史修正主義の理念を知った今剣から「まちがっているのは、あるじさまだ!」と泣きながら責められる
・怒ろうとすると「ぼくも、かいたいするの…!?」と言われ何も言えなくなった
・過去に新撰組に関わりの深い刀たちの扱いが面倒なので喰わせたことがある
・何故か持て余した歌仙を溶かしたこともある
・前科もあるので言い返せないでいると同田貫から(部下に言われっぱなしの咎で)鉄拳を食らう
・虎徹たちの闇堕ちがショックで江戸時代もろとも消滅しようかと思った時もある
・出陣前と帰陣後には、石切丸が必ず全員を祓い清めてくれる
・意外とそれが心の支えになって、自分もレベルを上げ、刀剣を闇堕ちさせず戦い勝ち抜こうと決意する
・現在の近侍は宗三左文字
・冷静な思考でありながら戦いに赴くことを望んでいる刀だから
・また戦うことのできる現状をこそ(サニワには見せないが)喜んでおり、歴史修正主義に流されない
・時々油断しては説教される
・それを神事ジョークでなだめるのが石切丸
・いつか今剣や岩融が闇堕ちしても戦い抜く覚悟はしている
・というわけで内部に不穏を抱えつつも、俺たちの戦いはこれからだ!

・みたいな。


2015.1.31(sat) なんかサニワ像が乱似でTSの若手技術者になってきたんだが


都道府県擬人化と土地擬人化ってちょっとニュアンスが違う気がするのだが、どうじゃろう。
色々考えたが、言葉の定義そのものより作品のが大事と思われたので、書いた作品をどちらにカテゴライズするかは出来上がったものの読み手の判断によると思った。
コミケのジャンルコード見てみようかいな。

と言う訳で「いいから書けよ」のサテライトスタジアムです。
まず地盤を固めねばならんから資料を読み込むことにした。あとアニメとか小説とか漫画とか時間があったら摂取しよう。
ゲームは…刀剣乱舞は、やり始めるとそっちの妄想がはかどるからなあ。取り敢えず毎晩、日直だけ決めて、どうしても気晴らししたくなった時にやろう。
ちょっと…仲間が増えましてね。増えたはいいけどこの付喪神たちのセリフを聞くだに私はこやつらと土いじりをして余生を送りたくなります。
でも2205年の話なんだよな。実際には青空を照射した生体隔壁ドームの下で疑似体験的畑仕事をしているだけなんだろうか。空の高さに見とれていた宗三さんがかわいそうだ。馬当番が世話してるのも政府から特別に貸与された稀少種だったらどうしよう。
付喪神のモチベーションを上げるために、刀剣たちが現役で活躍していたころの面影を残す馬だとかさ。
そも、付喪神が本当に神的存在とは思えないわけで、過去の所有者たちの人格や遭遇した事件、刀に物理的に与えられた影響をデータベース化してそこに指向性を与え人格として発現させることができるのがサニワではないかというありきたりな仮説も浮かぶ。
この技術があると仮定した場合、敵側「歴史改変主義者」の時間遡行技術はまず政府側から漏れ出したものであって、つまり現状の政府、政治体制に不満をもった者たちがいることになる。
何故不満を持つことで歴史の改変を進めようかとするのかと言えば、それは現政府が前提とする技術をもって現行の歴史構築に意図的な介入(勝者が歴史を作る、という以上の影響を与えるような)をしているのではないか。
故に現政府の打倒のためには現在ではなく、過去から書き換える必要がある。これは過去に遡れば遡るほどそこから離れた未来の振れ幅は大きくなるので、ステージが進むごとに更に過去へ遡っている。
…みたいなな。
嫌だわー。むっちゃんとか黄金聖闘士さんとか破壊されたら消滅じゃなくて即闇落ちして敵として目の前に現れそうだわ。ようやく苦しみから解放された泣き笑いの表情でこっちに向かってきそうだわ。
そういう展開が楽しみじゃないと言えば嘘だが。
苦しむのはサニワが用いている刀剣の方だ。歴史改変主義者に用いられる刀剣たちは意志と義務の間にズレがない。こっちの刀剣は義務ありきだ。戦は嫌だとか言うむっちゃんも五虎退も隊長さえ務めて戦場に出なければならない。

ARC-Vは楽しみに見ています。誰であれエクシーズ召喚を成功させると胸が高鳴ります。
ペンデュラムからのエクシーズ召喚はかなり興奮しました。
ゼアルを見直す勇気はないけどな。BSで再放送ってそれ拷問か何かなの。
踏み絵!?みたいな!?


2015.1.26(mon) 他人にやられてはたまらない、だが書かない人間には何を言う資格もない


いつも浮気が本気になるタイプなので、いつの間に頭まで浸かっているのか分からない。
県擬に関しても、片足突っ込んだのやら、肩まで浸かっているのやら。
ながさがに関しては片足どころか両足だろうなあ、ということは明日、大牟田(一番近い福岡県の町)の図書館まで行こうとしていることからも分かるけれども。

県擬ではうちトコなるのが最大手らしいが、これが存じ上げない。この存じ上げないというのは、最近書店にまめに通わなくなった上に、目当ての本しか手に取らなくなった、更には本棚をまじまじと見ることがなくなった証拠であろう。日々山のように本が出版され、その内生き残るのはいかばかりであろうか。十年前に出版された夏目漱石の孫・夏目金之助氏による漱石書評『孫が読む漱石』、これは地元新聞紙で連載していたコラムのまとめで久しぶりに読みたくなったため探したが、ない。ネットで調べると絶版だという。文庫は新潮から出てるのに。県中部の古本屋も六軒ばかり周ってみたのだが見つからなかった。
生き残る本の話ついでに賞を獲った本のことも少し考えた。もう近年では力がある賞と言えば本屋大賞だそうだが、芥川賞・直木賞と言ったら歴史があるしビッグタイトルであるし、字書きとしては一度なりとも夢見るもんではなかろうか。じゃあ、この賞を獲った作品をどれだけ覚えているかと言うと私の場合『ブエノスアイレス午前零時』で、これは藤沢周が私に与えた影響が強かったからまず忘れ得ぬ。他はどうかしら。モブ・ノリオの『介護入門』とか。この人、まだ書いてるのかしら。綿谷りさの『インストール』と金原ひとみの『蛇にピアス』はどっちだったっけ。文藝賞? 山崎ナオコーラは『人のセックスを笑うな』だったか。ああ、このように思い出すとやっぱりペンネームやタイトルの印象って大事だな。作家のキャラクター(最年少受賞というインパクトも)かなり要因としてはあるけれども。『介護入門』は少し読んだけど、それ以下の三作品は読んだことがないや。
最近ながさがながさが言ってるので『長崎ぶらぶら節』に辿り着いた。なかにし礼。これも直木賞受賞作だ。吉永小百合で映画にもなっている。原作はぺらぺら捲って丁重に本棚に戻した。何だろうな、九州の方言、特に女性の一人称で書かれた時に感じる猛烈な違和感は。博多華丸・大吉の漫才は面白いし、『ドリフターズ』の島津豊久の方言なんかは読んでいて心地よい。単になかにし礼の文体が肌に合わないだけか、もっと根本的な好みの問題か。女性的なものを忌避している訳ではないのだけれど、自分の文章を読んで男性的だとかいう感想をもらうと嬉しいし、自分に影響を与えた作家三人、五人、十人と列挙した時、その九割を男性作家が占める。単に、漢文的感覚を持った文語が好みなんじゃないかと思うんだが、喋り言葉は女性的だそうである。「〜だわ」とか「〜よ」とか普通に使う。しかし、分析も批評も作者自身のすることではない。私はとにかく小説を書くがよい。
とまあ、長々脱線したが県擬大手のうちトコに話題を戻すと、そうだなあ、擬人化っていうのは個人個人好みがあるもんだよなあ、とwikiの記事を見ながら思ったのであった。取り敢えずwikiかよ。本家に行かないのかよ。そのwikiの記事も熟読しやしないのだが、キャラクターを作る上で県内からのイメージは身近過ぎる故の見落としが出る、というのは蓋し頷けることである。地元方言が一番分からん。「〜ばい」って九州のどこまで使ってるの? 福岡も使うの? 博多華丸・大吉の漫才を見ることと、『ばらかもん』のアニメを見ることが急務だろうかと最近思っている(『坂道のアポロン』は毎週観てたけど違和感ないどころか方言って気もしてなかったが)。そうそう『長崎ぶらぶら節』もDVDをレンタルしたのだが、ドラマのところに見つからなんだ。おかしいなあと思いながら棚を移動したらロマンスの棚にあった。取り敢えずレンタルしたが凄く嫌な予感がする。こちとらぶらぶら節が聞きたいだけなのだが。
さてよ、うちトコのwiki記事で熊本県を見たら「熊本城は日本一」と言ってて、まあ、そりゃそうだなと頷く程度には自分も県民であったことである。あと阿蘇は世界一な。他県の人が熊本に来ると聞いても「何もないですよ」と口を揃えて言うが、その後で「あ、でも阿蘇は良いですよ」と付け加えるから郷土愛がない訳じゃない。
(地元の悪口を三〜四行くらい書いたので削除)
言わなくてもいいこと、っていうのはあるわな。どうしても、と口に出してしまったことは、大概言わない方がよかったことのようである。物言いの肝要は、である。

御恩のある方に光岡明先生がいらっしゃる。『機雷』で直木賞を受賞された。渡辺淳一から東京に出てこいと電話で言われたが、在熊で書かれることにこだわられた。亡くなられたのはもう十年以上も前である。
少し落ち着いて思い出すと目取真俊の『水滴』、玄侑宗久(タイトルは忘れた)、『邂逅の森』(こちらは作者の名前を忘れた)など少しずつ思い出す。検索してみると見覚えのあるタイトルがたくさんあった。ははあ、読んだのも読んでないのも、知ってる作者も、見覚えのない作者もたくさんあるじゃないかと考えていたら壁にがんがん十遍ばかり頭をぶつけて流血しながら「はい! 大丈夫です! 面白い小説書かなきゃいけませんね!」って言いたくなった。


2015.1.19(mon) よーし、私のデッキのエースモンスターはお前だ!


今でもヴォルカザウルスさんだよ!
ARC-Vではエクシーズ使いに頑張ってほしいのに、いざゼアルを見直そうとすると身体が竦む。初期さえ観れない。

さにわ、始めました。
そんな訳で毎日帰ってきては小夜左文字くんと戯れています。
最初に選ぶ五人の中でぐっと来る刀がおらず、ジョナサンの声だからって牡羊座の黄金聖闘士を選びましたのや。口癖のように「贋作とは違うんだ」って言っていて、この子はいざ重傷を負った時とか折れた時のことを考えると怖い。アイデンティティ大崩壊しそう。
白髪のショタ(五虎退)は足に劣情をもよおします。
最初に自分の意志で作った刀で小夜左文字くんが出た時には周囲がドン引きするくらい喜びました。
ショタなら誰でもいいって訳じゃあないんだ!
この、復讐が与えてくれる自己肯定に縋りついて、復讐っていうシステムなしには己の形を保てないにもかかわらず、それが実はまっとうな生き方(精神)ではないことが自覚できていて、己の抱える闇や澱みが醜悪なものであると分かっていつつ、それから解放されたいという願望を密かに抱きつつ、それでも復讐を求めてしまうという返り血の似合うショタだから好きなんだ!
でも小刀で隊を組んだらいっつも乱とか秋田とか、最近では五虎退がMVPを取っていくようになった。なかなか活躍できない。

我が心の主戦力。
黄金聖闘士。流石最初からいるからガンガン活躍してくれる。萌えない分仕事の頼れるパートナーっぽい。
殺伐ダヤンちゃん(声が日向とかジョーカーさんの声の人だから)。
宗左さん。最初に出た時「オカマが来たー!」とか言ってすみません。でも全身ピンクだからあなた…。
胴田貫先輩。いずれ来るべき殺伐部隊の隊長と目されている。最近急に殺る気を出してMVPを取りまくっている。
太郎様。謎レシピで出た大太刀。流石。つよい。
あとは入れ替わりで龍馬の佩刀(おい、剣で戦えよ)。乱(男の娘なんだか女なんだかって感じだがよく殺る)。この二本がよく活躍するが、やってるうちに愛着出てくるわなあ。

槍が欲しい。声がハマケンなんだ。VOMICのジャイロだよ。あと川端さん。エルたそー。
しかしまあ何はなくともVOMICのジャイロなんだよ、ハマケン。

いつか来派の太刀が、来國光の太刀が出てくることを願っている。
吉茂公の佩刀なんだよ。
『白雲や…』を書いているうちにそうなったんだと思うけど、私、まるで吉茂公のこと好きみたいじゃないか。
今、夏コミに出したい本のことで長崎御番について調べているんだが、そこでも吉茂公のことが出てくるとテンション上がる。
綱茂様から吉茂公に宛てた遺書で、長崎御番の重要性について語っているっていうとこ。
御番関連の展覧館、一昨年だったんだよなあ。今度こそ、佐賀に行ったら徴古館はマストプレイス!


2015.1.12(mon) こんにちは、生まれも育ちも中九州の春鮫です


大手のニューストピックスを見ても詳細が載っていないので、佐賀新聞にアクセスしたら、佐賀県知事選、武雄市長選、両方の記事を読んでそれぞれに涙ぐんでしまっている。熱いな…。投票率低かったけど。
武雄氏図書館は、佐賀のあまり派手ではない温泉地(楼門と新館は明治時代の建造物とは思えないほど派手だが)の中で突如ここだけ東京というレベルでびっくりする。こちとら田舎住まいだから図書館の中にスタバが入ってるだけで驚くんだよ!
図書館は郷土資料あってこそではないかというご意見はもっともだ。実際に佐賀県立図書館ではその恩恵にあずかている。しかし観光拠点の一、住民が憩い集うことのできる場としての図書館は衝撃的で、それを作った市長が今度の県知事選に出馬すること、そしてその市長が抜けた後の市政を誰が担い、果たして路線は継がれるのか、というのは非常に興味があったわけだ。
ええ、佐賀県民じゃないんですけど。

今回の佐賀行はちょうど選挙直前の二日間で、しかも武雄と佐賀市。両選挙区を見ることができました。図書館に籠ったり、山の神社に上ったり、図書館に籠ったり、お墓参りをしたりとしながらも、常にどこからか選挙カーの声が聞こえる。
帰りの高速に乗る時は、投票前日の夕方だからそりゃあもう力の入り様が違って。北上する道すがらめっちゃ手を振られ、笑顔でお辞儀されたのですが、すみません! 熊本県民ですみません! ここの選挙権なくてすみません! と通り過ぎました。
信号待ちにちょうどいたのが前武雄市長の樋渡氏。漠然とこの人が当選するのかと予想していましたが、いやあ、反樋渡の大逆転でしたね。それにしても「佐賀のことは佐賀が決める」は、ああ佐賀のいひゅうもん…、と思うけど、「佐賀の乱、佐賀の百姓一揆だ」って、あなた佐賀の乱で江藤新平はさらし首にされて土地は分割されて長崎に併合されましたがな…。でも確かに反樋渡陣営って佐賀vs中央の構図なのね。それまで神輿にかつがれた候補者が「この人に知事になってほしい」に変わっていったとか激アツ。
ちなみに武雄市長選は樋渡氏の後継が教育・福祉に重点を置いた市政を説いての勝利。こっちもこっちで胸アツです。県政とは逆の結果になってしまったけど、これからどう進んでいくのか気になります。
佐賀県民じゃないけどな!

そんなわけで今回の武雄温泉・佐賀行の話。
これまで佐賀行には高速道路を用いてきたのだけれど、グーグルマップで検索したら有明海沿岸を有料道路抜きで走るルートがあったんですね。確かに鳥栖市内までぐるっと回る高速道路と比べると内回りで距離が短縮されたイメージ。しかも所要時間は二時間強。本当に!?
四時間かかりました。
当然よね。一般道の法定速度で信号につっかかりまんかかりしながら走るんだもんね。知ってた。分かってた。でも距離短縮されてるからもしかしてって思った私が馬鹿だった。
と言いつつも有明海沿岸ルートは余裕さえあれば嫌いな道ではない。時間と心に余裕さえあれば。何せ高速道路は神経を磨り減らすから、それに比べたらのんびりした旅である。有明海はきれいで眺めもいいし。ただ走りながらどうしようもなく思ったよ。この海を一直線に突っ切ることができたら早いのにって。ついでに言うと長崎・島原の方が近いなって。今度は島原の沖田畷に行こう。タカノブニャン慰霊の旅をするニャン。
えー、ちなみに出発は一応午前中だったのですが、途中でカメラを忘れてUターンし、携帯電話を忘れてUターンし、そこから数えて四時間走り、到着したのは三時半でした。武雄市は既に夕方の雰囲気。武雄神社へのお詣りと、武雄市図書館の鍋島家洋学資料特別展、どちらを先に行こうか悩みつ、結局図書館の方がちょっと手前にあるのでそちらを先に見ました。よかった。神社まで上ってたら完全に疲労していた。
武雄鍋島家洋学資料展はですね、色々漏らしそうだった。これ全部人を殺すための道具&設計図だー!と思うとね、なぁんで佐賀藩がここまで躍起になったかって言うとね、フェートン号事件という我が国最大の国辱事件があったかと思うとね、狂うほどだなあ、と。
地球儀に天球儀にオルゴール付時計だのロマンチックなものもあったんだけど、本とかも蒐集品というより勉学実用のためで手垢、朱、書き込み、使用形跡ありとなると、全体狂気じみていて、非常によろしい。
で、主催側も「わがはんはさいきょうだな!」って言ってるんだけど、なして今はこんなに地味なんじゃろう。それこそ明治に入ってから戦争しーの、分割されーの、独立しーの、やっぱり地盤が軟らかいからか。(急遽地理・地質的属性に言及)。いやだって佐賀は本当に空が広いもん。熊本もたいがい田舎だけど、佐賀市はほんと空広い。建物に邪魔されない。
三十分くらいで…と思ってたら一時間は余裕でした。辺りは日が陰り始めているけど、そろそろ社務所も閉まりそうだけど、私は武雄神社に行くぜ! ちょっとした思い入れがあるのでね。で、山を登ってたらとても息切れしたから、疲れる前に図書館に行って正解だった…。
さて武雄温泉だ、楼門亭だ。外観はとても古い武雄温泉の旅館だけど、パンフレットを見るととても素敵な部屋があり、前日に予約した時から(直前の予約だけど、それでもちょっとは…)と期待しておりました。
そしたらね。
部屋を設定したのは誰だろうね。電話に対応した若い従業員かね。
建物が古くて壁が薄くてね、そりゃ確かに物音が筒抜けなんだけどね。
先に予約の入った部屋から一番離れた対角線上の部屋を設定するのは心配りだったのかもしれないけどね。
押し込め部屋感半端なかったよね。
いや、押し込め部屋は言い過ぎだ。古くてやっすい昭和の温泉旅館のふつうくらいの部屋じゃない?って言われればそんな感じ。うん。一応障子の向こうにはソファと卓もあったしね。ポットも冷蔵庫も完備だし、トイレもついてるしね。いいよ。文句ない。私らはここに本読んで小説書くために来たんだもん。それでいいんだよ。窓を開けたら目の前ブロック塀だったけど寒いし窓開けないし擦りガラスで窓の外の風景分からないから問題ないよ!
…と思っていたのだが、翌朝チェックアウト時に清掃のために開いている向かいの部屋をちょっと覗いたら窓の向こうに緑が見えた。ちなみに同じ並びの部屋でも隣はちょっとよさげだった。だけど気をつかったんだね。部屋が近くて物音が響いてトラブルが発生するよりはってね…。うおおおお! だけど釈然としねえええええ!

温泉は相変わらず最高でした。サウナに入ったら冷水風呂でうっかりトリップしてしまった。プッチ神父みたく、世界の中心になったみたいな。むしろエンポリオ少年かな。水平に落ちるなんてあり得ないィィ! みたいな。

翌朝、佐賀市へ。昨日の気分の続きでのんびり下道で行くかな、どうせ一時間もないし、と思っていたが、そこは何が何でも時間短縮をすべきだったのだ。図書館に行くのだから。佐賀県立図書館に行くと、予定した時間を最低でも三十分はオーバーします。今回も(いや、三時間もいないだろう)と思っていたら昼食抜きで気が付けば午後三時過ぎですよ。そっから神社とかお墓参りとか行くんだけどな…。
西方から佐賀市に入ると一番近いのが先生のお墓のある八戸。ここへは数十年前、その生涯を研究に捧げた栗原荒野先生が詣でられて先生のお墓に掌を押し当て、涙されたのであった。一月の訪れだったので余計にそのことを思った。そう言えば墓地に足を踏み入れる時、若い女の人と擦れ違って挨拶をしたんだけれど、単に檀家さんだろうか、それとも煙仲間だろうか。
図書館に着いたのはお昼前。調べるのは、長崎御番のこと、フェートン号事件、佐賀の長崎併合と独立の経緯。葉隠は前回コピーし忘れた資料をコピーするに留めて、取り敢えずメインはながさがです。棚を前に、どの本から手をつけたらいいのか分からず、こんな時は子供に教え諭すように教えてくださいということで、子供向けの図説から入りました。
私はこの図書館で初めて「図書館は郷土資料あってこそ」というのを感じたのですが、凄いよね、何かの会報とか雑誌の連載記事とかを自家製本したやつが寄贈されてるんだよね。その類いで『佐賀の乱』というのがあったから手に取ったら、佐賀の乱の幹部一覧(人物紹介)でした。濃いいよ。で、『佐賀百年史』という割りとがっちりした本を見つけて手に取ったのだが、この流れなら分かるな。そうだ。新聞記事の連載を油紙に貼って収集したのの、外側だけめちゃめちゃ気合い入れて製本されてたんだよ。夕刊フクニチ(『サザエさん』を連載していたフクニチ新聞の前身)の昭和三十八年の連載。これに載ってるフェートン号事件、県擬で想像するとえらいなことになる。(詳細は後日)
しかし過去の有志の熱心さのお蔭で現在の有志の変態も得たい情報に届くことができるので、先人には感謝が尽きない。寄贈してくれた人、ありがとう…!
後は、車を駐めて市内を徒歩で散策。まずは佐賀神社。土曜日のせいもあり人が多い。二人分お詣りしながら、鍋島杏葉と十二日足にぞわぞわしつつ。佐賀神社の敷地内には八つの社があって、佐賀・松原八社詣というそうな。各神社にスタンプ台があって、八社詣之証に押していくのだが、今回、松原神社だけ押してきました。十二日足です。次に来た時全部いただこう。
陣基のお墓のある東田代の瑞龍庵は歩くとちょっと距離があるので時間に余裕を持たなきゃと思っていたが、まあこの時点でそんなもんないわな。コンビニで清酒を一本買って向かう。常朝先生のお墓の前にワンカップが供えられていたので、ああお酒を捧げるという方法もあったなと思って。ただしワンカップはごく個人的なイメージで、ワンカップ片手に公園のブランコに座ると翌朝には冷たくなって見つかるような印象が子供の頃から拭えず苦手であり、ちょっとデザインの可愛いものにした。「お酒の中で、あいましょう」というもの。
まあ、その、何だ、色々考えただろうというツッコミが入れば、それはイエスだ。
東田代に向かう途中、あれれ、これは片田江にある先生の生誕地も寄れるんじゃないのって、すんなり立ち寄りましたよね。陣基の屋敷跡は遠回りになってしまうからまた今度。
期酔先生のお墓は、脇に立つ桜も葉が落ちきって、明るく見えた。花の影にあっても、葉蔭にあっても、冬枯れの明るい陽を浴びていても、それぞれに風流。時間があればもっとお話ししたかんたんだけどなあ。
結局例によって例のごとく、常朝先生と期酔先生のお墓に詣で、常朝先生の生誕地に立ち寄り、佐賀神社敷地内八社のうち五社くらいは参詣しと想像以上のフルコース。時間が許せば黒土原にも行く予定だったよ。
ようやくご飯を食べたのが高速に乗ってからの金立SAだったのだが、我がストマックには一気に血が集結。眠くなる。死ぬかと。SAで数分うとうとしたら今度は寒くて起きた。生きてるぜ…。

ところでなあ、私、前厄らしくて佐賀神社では厄除けのお守りをいただいたんだけどなあ、黒地に赤の鍋島杏葉ってなんか胸の奥まで深く貫くようなぎゅいーんとした気持ちがあったんだよ。
そりゃそうだわな、って今合点しとる(内輪ネタ)。


2015.1.9(fri) 浮世から何里あろうか楼門亭


年末の冬コミね、それ以前のイベのサークル参加に比べたらそりゃ余裕がありましたよ。
何せね、最後に参加した時は出発する朝まで表紙を印刷してたし、遊び紙は東京に着いて買ったし、直前まで製本してましたから。
それに比べりゃ余裕のよっちゃんと言っても過言ではなかった。ただしイベ数日前にプリンタを買い換えるとかそういうのを余裕あると言ってよければの話だ。

と言う訳で、冬コミで煙社まで足を運んでくださった方々、本を手に取ってくださった方々には厚く御礼申し上げます。持ってきた新刊をそのまま在庫として持ち帰る覚悟をしていたので帰りのキャリーカーが心持ち軽いのには涙が出る思いでした。
それと長らく音信の途切れていた方とかいらしていただいて、もう、有り難くて、ですねえ。
そういう思い出話を個人的に書き留めておこうと思います。

《出発前日まで》
年代物のプリンタ達に危機感を覚え、いつかする投資であると思い電器屋に走った。贅沢を言えばカラーレーザー、まあそうでなくても両面印刷のできるモノクロレーザーならいいや、と思っていたのだが、最終的に購入したのはカラーインクジェットプリンタであった。いいじゃんか、A3対応だし、自動両面印刷だし。
印刷は一気呵成であった。やー、インクカートリッジ2個ずつくらい使ったよね。今回、新刊三冊の表紙をしゃさんに描いてもらい、特に小説の表紙は白に映える絵であり、それなりに丁寧な印刷にするつもりであったものの、こちらが表紙データを作成する際にサイズが小さくなってしまうという事態が起こってしまう。
間に合わないからこのバージョンで…と印刷したが、翌日改めてデータを取り扱うとちゃんと原寸が扱えたので、出発前日だがこれは印刷し直すしかあるまい。私が納得のいく表紙の本が欲しいんじゃ、と仕事遅番の帰り道にイオンに飛び込みインクジェット用紙を探した。
最高級インクジェット紙しかなかった。
いいんじゃないかな!
帰宅して実際に印刷してみると、子供だましかと思われた最高級の言葉、伊達ではなかった。本当に綺麗だった。表紙作り直しになったからこそ、こんなに綺麗な表紙になったのだと思うと人生万事塞翁が馬すぎて…。
出発前夜がそのような調子だったので製本は9割8分終了させたところで東京に向かうことになった。

《前日・移動日》
宿とセットになっているのが便利なので上京する際は基本、新幹線を利用している。今回は瀬戸内海沿岸でくーちゃん(瀬戸内先生)が合流することになっていた。
顔を見るのは久しぶりなのに、しょっちゅう電話してるからちっとも久しぶりな気がしない。 行きはよく晴れていて、冠雪した富士山がよく見えた。ちゃんと意識して富士山を見たのは、おそらく初めてだった。それが青空を背景に冠雪した富士山の姿が窓一杯に広がって、というのは恵まれたことと思う。くーちゃんは買いたてのスマホで写真を取ったが、当方は「レンズ越しだと小さくなるのね」と瞳と記憶にその撮影を任せた。今は、一枚くらい撮っておけばよかったと思うけど。
到着した東京駅は帰省する人々か上京してきた人々か、とにかく混んでいて、昼食どころではない。目的の路線に乗るのも一苦労であった。そしてホテルを探す時になって路線のチョイスを間違ったことに気づく。
新橋駅にカーディガンを忘れるというアクシデントはあったものの、カーディガンは無事に手元に戻り、近くで買ったコーヒーは美味しく、製本の仕上げも完了。
逆に不安だ。

《冬コミ一日目・当日》
ぐずりながらも時間通りの早起きをしたくーちゃんのテキパキとした朝支度に引きずられ、何となく目を覚まし、のろのろと準備。相変わらず寝てると鼾をかき、寝起きが悪い。無呼吸…なんだそうです…。
痩せろ。
朝ご飯もそこそこにホテルを出る。乗り換えごとに、目的地が同一であろう人々が増える。多分この先はこの人達について行けば迷子になることはない。
ということで無事、ゆりかもめで国際展示場に到着。何年ぶりかな…。
西館はゆったりしていると教えてもらったとおり、会場直後も津波のような人ということはない。(買い物担当のくーちゃんは相当、人波に揉まれたようだが)。でも怖い。私は自サークルスペースから動かんぞ。両脇の人達は優しいし、ここに座っているぞ! と思っていたが、歩き始めると楽しい、西。濃い。めちゃめちゃ濃い。今回は西から一歩も外に出なかった。それでも散財した。科挙の参考書とか買ったよ。これで転職の際もバッチリだ!(女性は受験不可)
今回ゲットした唯一の遊戯王本がぼつおさんの燻製の本。前夜くーちゃんにサークルカットを示し「多分ここでゼアルの燻製の本を売っているはずだから」と自分でも言いながらこれ大丈夫かという説明をしました。当日くーちゃんが(このへんか…? よく分からない…)とうろうろしていると、「お姉さんお姉さん、ゼアル興味ないですか? 燻製興味ないですか?」と声をかけられ(ここだ!!)と確信し「使いの者です!」と無事一冊買ってきてくれました。「じゃあその人にもよろしく言ってください」と手渡されたミカンキャンディが財布の中に入っていました。財布開けた時(飴…?)と思ったけど、そういうことだったのか…。

スペースに座っていて一番楽しかったイベントだったと思います。
シモネーさんの妹様(それからシモネーさん)、さばさんのお友達様(それからさばさん)、ニナさん、来て下さってありがとうございました。
本も、意外と男性の方にも手に取っていただけたようで。私が応対した方のお一人が「カタログを見て、コミケにもとうとう葉隠サークルが来たか!と思ったんですよ」とおっしゃって、私にっこにこしてましたが、心の中ではもっとニコニコしてました。だってしゃさんと同じことをおっしゃるんだもの! その方も葉隠が好きで佐賀に行った時「何しに来たの?」「何もありませんよ!?」と言われたそうです。同志! 同志よ! 一緒です! 同じ経験をしました! ほんと、見ず知らずの人とこんなに盛り上がるとは思わなかったよね…。
他にも佐賀出身の人とかいらっしゃってですね。今も思い出せば一人一人追跡調査したいくらいな気分です。
私、いつまでも感想待ってます!
気が向いたら一言ください!
お願いします!!

撤収は結構遅く、再びゆりかもめに乗って見えたのは西日でした。
夕食は駅のラーメン屋さん、がくーちゃんのリクエスト。庶民的なところに入ると孤独のグルメごっこみたいで盛り上がります。そしてラーメン屋に来ながらラーメンを注文せず炒飯と餃子だけ食べているのが私です。すみません。 そしてこの夜、就寝前後の記憶があまりないと書こうとしたら思い出せた。戦利品を読もうと枕元に詰んだ状態で寝ました。読んでなーい。

《移動日・帰省》
イベ二日目も気になるジャンルがあったのですが、間に合わないだろうということで大人しく東京駅に向かいました。雨の朝。寒い。喉が痛い。
風邪は喉からくるタイプ、春鮫です。
到着した時どこかで薬局を見たはずだ、とおぼろげな記憶を頼りに東京駅を歩き回り、薬局を見つけたのはくーちゃん。私は液体葛根湯とリポビタンDを飲み干し、半ばお守り的に銀のベンザブロックをバッグに入れる。「一緒に飲んじゃ駄目なんだよ」とくーちゃん。大丈夫、心得てる。これは明日からの分。

《その後》
以来、今日まで銀のベンザとは何かと仲良しです。
いやー三連休取るからその後は働きづめでも俺はやる、っていう気持ちだったけど実際帰ってきて年末年始残業オール勤休日出勤のフルコースで七連勤するとは思わなかったわ。


今、武雄温泉の旅館でこれを書いています。
物書きが一番仕事が進むPCは何かって話でネットに繋がってないことだという言葉がありますが、まさしくそのとおりだ。温泉でゆっくりしてじっくり本を読み、ものを書こう、二連休などこの先いつやってくるか分からないことだし、という訳で。
しかし武雄市図書館でやっていた「日本を動かす! 武雄鍋島家洋学資料展」に思いの外時間をかけてしまい、夕飯を買いに出た際も、夕方六時過ぎだったのだが、既に真っ暗な中に商店街の照明が灯ってたりするのを見るとトイカメ片手に長崎街道を歩き回ってしまったりで、今日は本を一冊読めればいいかな、という時間だ。

PCの横に据えた額縁を横目ににやけている。