駱駝と針の奇譚 6




 朝が来たみたいな音がして目を開けると確かに昼十二時くらいの光でああよく寝たと思ったら隣でトド松が俺のタバコを吸おうとしてる。唇の先にタバコを咥えてるんだけどライターを両手で点けて近づけようとする仕草がぎこちなくて初々しくて気配を消してタバコを取り上げるとトド松は小さな悲鳴を上げてライターを放り出した。オレンジの火が青い残像を残してすぐ消えて、ライターはダブルベッドの上に跳ねた。
「危ないなー、もう」
 手を伸ばして取ろうとしたけど、カバーはごわごわしててライターの重みを受けとめずそのまま俺達二人の身体が作った山から滑らせる。結局床に落ちたそれを拾うため俺はベッドを下りた。ビジネスホテルの部屋もダブルはちょっと広い。カーテンを開けた窓から上野駅のホームの灰色の屋根と線路が、その向こうに上野公園の緑が見える。結構上の階だから遠くまで見渡せるし人の姿なんか見えてもゴマ粒だ。そうそう、愚民は働けってね。
「もっかいする?」
「おそ松兄さん結構ガチで寝るよね」
 トド松は吸ってないタバコを枕元の灰皿に横たえて伸びをした。
「もう帰るよ。いいでしょ」
「よくねーよ」
「何がよくないの」
「俺が寂しいの」
「ボク、バイトあるから」
「本当にぃ?」
 俺が意地悪く笑うとトド松は思い切り渋い顔を作った。うわぶっさいく。流石俺の弟だわ。俺はこの前トド松のバイト先がスタバァコーヒーであることを突き止めて遊びに行ってやったのだ。ちょっとテンション上がったところはあったかもしんないね。だって、あるだろ? 思いがけない所で親しい人間に会うとさあ、変に嬉しくなったり照れたりすんの。俺はお兄ちゃんだから、その中でも末っ子のトド松がスタバァの制服を着てまるで社会人らしく働いててしかも同僚の女の子からトッティって呼ばれてて慶應ボーイだって嘘ついて合コンまで行こうとしてたのがもー許せなくってね! 全力で妨害しちゃった。それで恨まれてるのかもしれないけどそりゃトド松が悪いよ。最初に嘘ついたのはトッティなんて愛称で猫被ったお前だし、何よりこの長兄様を差し置いて彼女を作ろうなんて許せません! バイトはまあ…おこぼれを期待して許すとするかな。俺は兄貴らしく寛大だけど、お前はどうだろうな、本当のこと暴露されてあんだけ恥かいてそれでもバイトを続けられるのかな、トッティ?
「行くよ、バイトくらい」
 トド松はベッドから足を下ろす。
「やろうぜ、あと一回くらい。映画みたいにさー、窓に手ぇ突いてこう…」
「ホモのセックスなんか見せびらかして何が楽しい訳?」
「需要あるだろ。ホモの方々とか隠れホモとか、その辺いっぱい歩いてるかもよ」
「バッカみたい」
「なー、どうしてそんな不機嫌なんだよ。賢者タイム?」
 いよいよそっぽ向こうとするトド松をベッドに押し倒し脇を擽るけど不機嫌そうでマジ笑わない。不機嫌だな。今日だけじゃない。ずっとだ。とうさんとかあさんが離婚して兄弟と別居するようになってからずっと。そうだろ?
 俺はトド松が諦めたタバコを咥えて片手で火を点け、ダッチワイフより無表情に横たわるトド松の唇に咥えさせる。
「まあ一服してけよ」
 笑いかけるとトド松は鼻から溜息をついて遠慮がちに煙を吸った。俺は隣に横になった。ダブルベッドか。広いな…。
 ふーっと細い煙が天井に向かって立ち上る。トド松が小さな声で言った。
「ほんとにさ、おそ松兄さん、寝るよね」
「え?」
「ヤッた後」
「ああ、うん。だって寝たくね? 眠くね?」
「女の子とやる時、嫌われるんじゃないの」
「さーね。今んところお前しかヤる相手いないし、なら別によくない? つかお前は疲れねーの? 自分からあんなに腰振ってアンアン大声出しといて」
「兄さんの精気吸い取ってるから」
「マジか。疲れるはずだわ」
 リップサービスが上手い弟だけど全部が嘘って訳でもないだろ。トド松だって俺が嫌いならヤらないだろうし、俺もトド松のこと可愛いから結構サービスしてる。お腹にかけてってリクエストされれば中出ししたいの我慢してお腹に出すし、腹の上のぬるぬる精液をトド松が自分のヘソに塗りつけたり、それでベトベトになった手で俺の腹を撫でたりヘソにキスしてきたり匂いかいだりするのを許してる。俺は兄弟平等に愛してるつもりだけど、こういう時のトド松は一番可愛いと思ってるんだぜ?
 腕を貸すとトド松は自分から俺の脇まで擦り寄って枕にした。タバコの灰が揺れてシーツの上に落ちた。やべ、と俺が笑った。トド松は小さく咳き込んで、もういい、と俺にタバコを返した。根元まで一気に吸う。
「お前とヤッた後は特に眠いのかもな。なんか安心するし」
「…ふーん」
 吸い殻を指先で弄んでいるとトド松が手を伸ばして取り上げた灰皿を俺の腹の上に置いた。さっき自分がさんざんキスした上だ。俺は吸い殻を置いて新しい一本に火を点ける。
「ボク本当にバイト行くから」
「おう、いってらっしゃい。何時から?」
「三時」
「じゃ、間に合うな」
 二人でシャワー浴びて洗いっことか、逆にトド松はやらない。自分のペースがあるからと俺を追い出す。俺はもう一本タバコを吸う。こういうの逆にのってくれんの一松なんだよな。やっぱ寂しいんだろな、あいつも。
 両親が離婚して三ヶ月。新しい生活にも慣れてきたっていうか住む場所が変わるだけでしょ、これからも親のスネ囓って暮らしてけるんだし。俺はそう思っていた。でも想像以上に現実は変化して、母さんは普通にフルタイムで働き出すし、トド松は家を空けることが多くなった。前から自分のことは話さないなーと思ってたけど、いよいよよそよそしくなってお兄ちゃん自らストーキングして実体を暴くことになったじゃない。
 一松は俺とヤらなくなった。十四松ともヤらなくなった。多分毎日猫と遊んでるんだと思う。一度、一松が一番気に入ってる猫がエスパーになって兄弟全員…じゃなかったカラ松以外全員集まったことがあったんだけど、そん時の恐い感じが今でも続いてる。寂しさが風船みたいに膨らんで今にも爆発しそうだったのがエスパーニャンコの時だった。今は風船がしぼんで空から落ちちゃいそうな怖さだ。寂しさを諦めて、心から寂しさを追い出したら、また心は空っぽになるのだ。
 二人でビジネスホテルを出た。俺的にはラブホがよかったんだけどトド松が嫌がった。まあ昼のビジネスホテルも悪くないけど。
 すぐそばでムーッムーッと音がしてトド松がスマホを取り出す。いつの間にかスマホ使ってるし…。
「一松兄さん?」
 電話の向こうに話しかけながらトド松はまるで空中に相手がいるみたいに斜め上を見た。
「おそ松兄さんならいるよ。分かった、替わる」
「一松から?」
「そ」
 電話の向こう、一松はマンションにいるらしい。デカパンの研究所から電話が入ったと言った。正確にはデカパンの研究所から十四松が電話をかけてきた。
「兄弟全員集まってほしいって?」
 一松は行きたくないってほど積極的に拒否したい訳じゃないんだけど、兄弟全員ってことはそこにカラ松がいるだろうから、カラ松のいる所に自分から足を運ぶのに抵抗を感じている。
「取り敢えず外出て来いよ」
 俺は兄らしく余裕ぶって行った。
「そしたら俺が引き摺って連れてってやるから」
 合流すると俺達の顔を見た一松は少し気が大きくなったらしくて実際心配することもない、普通に歩いて行ける。でもデカパンの研究所の前を通り過ぎた。
「おいおいビビってんのか?」
「違うよ」
 ボソボソと一松は言った。
「集合場所は、うち」
「え?」
「実家」
「あのさおそ松兄さん、一松兄さん、ボクこれからバイトが…」
「トド松」
 俺はトド松の手を掴んで引っ張った。
「明日俺が一緒に謝ってやるから」
「おそ松兄さん、完全に社会のこと舐めてるでしょ」
「ペロペロしちゃう」
 トド松は今日一番深い溜息をつく。一松はもう坂を上へ上り始めている。俺達はその後を追う。
 兄弟それぞれに会ったり、ちょっと集まったりすることはあったけど、あの家の前に行くのは初めてだ。俺は行かなかった。だって俺達が生まれてからこの前まで暮らしていた家が売られて今は誰か別の人間が住んでるところを見るのはショックだ。無用な痛みを抱え込みたくない。俺は遊んで暮らしたいだけ。楽して楽しく暮らしたいだけ。
 二月だから通りのあちこちにピンク色のPOPやハート型の風船が並んでる。でもそれがちょっとずつ消えてなーんか昭和臭の漂う通りまで来ると俺らの家だ。元・俺らの家。板塀の前には円柱型の赤い郵便ポスト。木造二階屋瓦葺き。パラボラアンテナはついてるけどいまだにベランダだって木造だし、台所の上にはブリキの煙突が突き出てる。風呂はあるけど効率的じゃないから使わない。
 俺んち。確かに俺んちだ。俺んちのままだ。玄関の戸に売家と大きく書いた看板が打ちつけられている以外全部俺んちのまま。玄関前には木のベンチが残ってて、そこに寒さに震える薄着の三人がいた。チョロ松、十四松、それとほんっと久しぶりに顔見たな、カラ松。十四松が立ち上がり両手を挙げる。
「きた!」
「おう、来てやったぞ。今日の首謀者は誰だ?」
「十四松…かな」
 チョロ松が答える。
「アイム・フィクサー」
 十四松はドスのきいた声で自分を指す。
「フィクサーって何だ」
「黒幕とかそういう意味だよカラ松兄さん」
「ふん……ブラック・フードか…」
「やめて! 早速やめて! イタイ!」
「黙ってろクソ松」
「話が進まなくなるから今は黙っててカラ松」
 やべえー。玄関先に集まっただけでこの空気やべえ。これに安心する自分に腹立つから余計にヤバイ。騒ぐと隣にバレるからとチョロ松が促して家に入ることにしたけど鍵が開かない。
「鍵持ってるのとうさんなんだろ。あ、今は不動産屋か」
「十四松」
 チョロ松が指示を出す。チョロ松はフッと短く息を吐いて二本指で突くと鍵の部分にズドンと穴が開いた。
「サンキュー・フィクサー」
「ユアウェルカム・ブラザー」
 この遣り取りにどうしてもまざりたいらしいカラ松がうずうずしてるけど一松とトド松の視線になんとか我慢する。家に入ったチョロ松は、穴は塞いでおかなきゃと言って壊れた鍵を無理矢理嵌め込んだ。
「どうせ帰る時また外すだろ」
 俺が言うけど無視。
 おかしいな。まあおかしいよな。全員集まるにしたってこの家っていう時点でブラックな気配がぷんぷんする。でも悪くない。長年無茶やってきた俺の勘がそう言ってる。なんせテレビが白黒の頃から馬鹿やってるからな。その中でもかなりデカイことをやらかそうって気配だ。
 茶の間には何もない。ちゃぶ台も、テレビも、薬箱の載った食器棚も、新しいテレビの仕事が始まって追加された岡本太郎の椅子も。赤塚先生の肖像もない。俺達は人が住まなくなって煤けた畳の上に車座に腰を下ろした。
「で、何やろうってんだ、チョロ松」
 名前を呼ばれたチョロ松が顔を上げる。確かにお前、首謀者は十四松だって言ったけど、こいつに全部任せるようなリスクは冒さないだろ。ニヤッと笑うとチョロ松の頬が少しだけ紅潮した。
「みんながどう考えてるか分からないけど、僕らは今のままじゃいけないと思った」
「まあね」
 トド松が言う。
「チョロ松兄さん、またバイト辞めたんでしょ。すぐに噂が聞こえたよ。変な名前のバイトが辞めたって」
「変な名前はここにいる全員だろ。今は関係ない」
「で、何? ボクはもうボクのバイト始めてるから今のままでいいけど」
「本当か?」
 チョロ松の真剣味を帯びた表情、いつもなら兄弟の中でも割りとスルーされるのに、この時だけはトド松を黙らせた。
「おそ松兄さんはどう思ってる? 一松は?」
「おれは別に…」
 ボソッと呟く一松にもその視線は向けられた。一松は受け流す。
「結論言っちゃえよチョロ松。何がしたいんだ?」
 俺は弟の視線に怯んだりしない。チョロ松が見つめても笑って返す。チョロ松は膝の前に手をついて身を乗り出す。
「あの離婚がなければ、僕らは今でもこの家で一緒に暮らせた。これが正しい姿なんじゃないのか。この家で、とうさんがいて、かあさんがいて、僕ら六人が揃って暮らしてる。僕らの世界のあるべき姿ってそうだろ。おそ松兄さんが一番分かってるんじゃないの」
 まあなチョロ松。そうだよ。俺の名前に誓ってその通りだ。
「離婚がなければの話だろ。実際離婚しちゃったんだ。誰も時間を巻き戻すことは…」
 俺にその先を言わせなかったのは長年の勘だ。
 そうだ、俺はこんな科白を言っちゃいけない。こんな常識的な科白を吐いて枠を決めちゃ駄目なんだ。俺達六つ子は何でもしてきた。何でもできる。
 一松とトド松の二人も気づいてた。だから黙ってチョロ松を見た。
 午後の薄明るい光が茶の間に満ちていた。隣にビルが建ってこの家も結構日陰に侵蝕され始めた。でも今は明るかった。もうすぐ夕方になる。この家には何もない。空っぽだ。人の気配もなかった。そこに隣のビルのカフェから漂ってくる匂いが変な色をつける。俺達は現実から無重力になって夢の中に足を突っ込んだような、座ってる足下が揺れるような気がした。
 チョロ松はパーカーのポケットからソフトボール大の金色の球を取り出した。
「何それ、デカパンの金玉?」
「違う。確かにデカパンが作ってくれた金の玉だけど」
「じゃやっぱデカパンの金玉じゃん」
「変な風に略すな!」
 金の玉は十四松に手渡された。結構重そうだ。さっきまでチョロ松のパーカーに入ってたのに全然気づかなかった。
 十四松はそれを両手の掌で上下に挟んでシュッと滑らせた。風みたいな音がする。小学生だったころ、校庭で見た小さな竜巻みたいな音だ。俺の頬にも風があたる。みんなにもだ。俺と一松とトド松は不思議そうにほっぺたに触っている。チョロ松とカラ松は驚かない。
「僕らは過去に戻るんだ」
 チョロ松が宣言をした。
「もう一度やり直す。この家でとうさんとかあさんと僕ら六人全員一緒に暮らせるように」
 穏やかな声で、静かな声でチョロ松は続けた。タイムトリップをするにはタイムマシンになる容器を高速で回転させて地球上のこの空間から切り離さなければならない。それができればこの場所に留まっている間に、宇宙の膨張によって運ばれてくる過去の時間にぶつかるはずだ。何言ってるか分かんねえけど、それらしい理由がついてる感じが結構成功しそうだ。
「ただし最後の難関があった。座標を正しく設定しなければならない。宇宙空間上。公転軌道上。地球表面上。この三つの座標が正しくないと、過去の時間にぶつかっても宇宙空間に放り出されてしまう。運が良くて地球上だったとしてもアフリカの砂漠だったりね。まあそれならそれで帰ってくることが僕らならできそうだけど、それより座標を正しく設定できるのが一番いい」
「チョロ松兄さん、頭良さそうな言葉並べてるけどそれ無理くさくない?」
「おいトド松、話の腰を折ってやるなよ。せっかくクソ童貞…じゃなかったチョロ松先生がヤル気出してんだから」
「そうやってちょいちょい僕の悪口挟まなくていいからおそ松」
「場をなごませようとしただけじゃん」
「座標」
 ボソッと呟き。一松だ。カラ松がちらっと見た。
「どうなったんだよ」
「あったんだよ。座標を完全に一致させる方法が」
 十四松が回転する金の玉を畳の上に置いた。一瞬、地震みたいに家が震えた。
「始まった、な」
 カラ松とチョロ松、十四松が目を合わせる。
「始まったって、は? もう? タイムトリップしたの?」
「してる最中」
「いや全然おかしなとこないんだけど。もっと暗くなったり光がこうパーッと」
「なってるかもね。ううん、障子を開けない方がいいよ。今この家は高速回転している。穴を空けたらどうなるか分からない」
「いや、回ってねーだろ。グルグル感皆無なんだけど」
「電車に乗ってると隣の車両だけ凄い勢いで揺れてるように見えるだろ。あれと一緒だよ」
「…じゃあ」
 俺達は畳の上で回転する金の玉を見つめた。
「止まってるのは金玉で…」
「回転しているのが僕達」
「ローリングストーンズ、と言う訳だ」
 全員無視した。だって全然変わってないのにだよ、普通に畳があって襖があって障子があって、ガタガタガタとかゴゴゴゴゴとか音も聞こえないのにタイムトリップの最中でしかも外見ちゃ駄目とかもう見たくて見たくてしょうがないじゃん。テンション上がってカラ松に付き合ってる暇がない。
 でもマジで命の保証できないからと言われて仕方なく大人しく待つことにした。
「で、どんくらいかかるって?」
「僕らが実験の第一号だ。僕らの主観時間でどれくらいかかるのかは分からない」
「やべーじゃん、ジジイになるまで閉じ込められるかもしれないじゃん?」
「いや、そんなことはないはずだ。戻るって言っても三ヶ月だけだし、それに必ずこの家のあるこの場所に到着する」
「その自信は何だよ」
「引き合う力だよ。僕らもこの家も、これまでは地球とお互いに引き合っていたから自転しても公転しても地球から振り落とされずに生きてきた。今はそれを切り離した。僕らがいた地球はどんどん未来に遠ざかってる。替わりに過去が近づいてくる。デカパンは言ったよ。タイムトリップする人間と世界を隔てる箱が必要だ。つまりタイムマシンになる箱が。僕らが選んだのはこの箱だ。僕らの家。この家こそが正しい座標なんだよ。僕らの家は時間と空間から切り離されて過去が来るのを待っている。そして過去がやって来た時、この家という座標と、過去の時間に存在する座標は引かれ合う」
 ピタッと音を立てるように金の玉が止まった。一瞬前まですごい高速回転してたのに、もう全然動いていない。全員がビックリして金の玉を見下ろした。
「…チョロ松」
「止まったってことは……到着したってことだ」
 チョロ松は金の玉を持ち上げた。全員が息を飲んだ。何も起きなかった。チョロ松は金の玉をノックした。何も聞こえない。
「外」
 十四松が立ち上がって障子を指さす。
「見てみようよ」
 五人が俺を見た。俺? 俺がやんの? でも見てる。くっそしょうがねえなあ。俺お兄ちゃんだもんなあ。
「分かった」
 俺は立ち上がった。
「俺が障子開けて全員宇宙空間に放り出されても文句言わないんだな」
「言わないよ」
 チョロ松が答えた。
「おそ松兄さんがやるんだから」
 一、二の三で開けたらよけいに緊張するから、一で開けた。
 目の前には板塀。
 その上に。
 夕焼け。
 俺達は玄関に走った。十四松が壊した鍵を引っこ抜いて勢いよく戸を開く。
 眩しいくらいの夕焼けだった。こんなに明るいのは久しぶりだ。めちゃめちゃ日当たりがいい。ぞろぞろと外に出ると埃っぽい風が吹く。土埃が舞っている。
 郵便ポストがない。木のベンチがない。それだけじゃない、隣のビルもない。一階にカフェ、二階に探偵事務所が入ってて俺んちの日当たりをめちゃめちゃ悪くしたあのビルがなくなってる。それに目の前の道路が舗装されていない。西部劇なみに砂埃が舞っている。俺達は呆然として空を見上げた。その時。
 サイレンだ。火事か? 長い。いつまでも鳴っている。その内近所の家から人が出てきて俺達の目の前を走り去っていく。俺達は多分そういう絵を小学生の時に見たことがある。もんぺを穿いて防空頭巾を被った子供が逃げる図。
 あ…あ…と声を上げて誰かが空の一点を指さした。その時俺はもう俺以外の誰が誰なのか分からないくらい混乱していた。俺が誰なのかもわからない。俺がおそ松だっけ?
 空を飛ぶ飛行機。その腹から何か黒いものが落ちてくる。やがて街の向こうに煙が上がる。そらは段々暗くなるのに、そこだけ炎で赤く染まっている。
「あのさ」
 トド松が悲鳴を上げた。
「戻りすぎじゃない!?」






2016