駱駝と針の奇譚 2
広く狭い布団の上。くたびれたシーツ。頭が枕から滑り落ちる。背後から伸びる腕が腕が頑是無い力加減でオレの肉体を抱き寄せる。タンクトップの肩に生ぬるい息がかかる。涎がぬめるのも感じた。不愉快ではない。只目覚めてしまった。闇夜を守る番人のように、兄弟達の安眠を守る疲れ果てたナイトのように、オレの視線は寝室の闇へ投げられた。 ―― 一松。 兄弟の中でも特にオレへの態度が辛い。酷だと言ってもいい。一松を相手にする時、オレは常に愛を試される。愛は見返りを求めない。孤高でさえある。故に美しく気高い。その至高の愛をオマエにも持っているのだとオレは証を立て続けている。たとえ目覚めた一松が抱きついた相手、オレがカラ松だということを知って殴りかかってこようとだ。オレは一松を抱擁する。そしてもう一度殴られるだろう。 太腿の肉の感触がたっぷりしていて、はたちを過ぎた肉体にだらだら溜まってゆく怠惰の柔らかさに安堵が半分。言い知れぬ不安が四分の一。残り四分の一は形も色も曖昧でぬるい。多分脂肪に直接手で触ったらこんな感触なんだろうという不思議なものがオレ達の皮膚の内側を占めていた。オレはその四分の一に自分の心を頭から突っ込ませた。一松の脂肪。弛んだ太腿の肉の中。擦り寄せられる太腿も抱き締める腕も一松の意志からなるものじゃない。オレたちは縋る何かが必要だ。お前達は大人だと宣言されたその日からだ。とにかく今日一日、現状を無視してやり過ごすための飯、菓子、ぬくもり、暇。セックスを満たせる兄弟は多くない。オレはそうじゃない。一松もそうじゃない。弟達のうちもしかしたら一人くらいは関知しない時間の中で上手いことやっているのかもしれない。兄は常に飢えている。自分は…。自分が女に手を出さないのは向こうが奥手で近づいてこないからだと昼間は思い込んでいる。夜、眠る前は真実らしきものが垣間見える。視界に入る前に目を瞑る。眠るために縋るものが必要だ。 今、自分を枕だか砂袋がわりだかにする一松に突っ込んだことがある。ヘタクソと殴られたのは翌日になってからだった。タイムラグの理由は分からない。一松が本気で怒っていたのかただの照れ隠しなのかも今では分からなくなってしまった。生まれ育った家を出て行く前夜、オレは眠れない。一松は早々に寝息を立てた。寝返りを打てば両隣のどちらかにぶつかる布団だ。押し合いへし合い、遺伝子も同じ慣れた肉体が並んでいる。思春期に嫌悪もあれば敵愾心も発生したが、この世の誰よりも自分の一部のように扱うことのできる相手だ。特に考えもなく身を寄せ合うこともある。温もりを分け合うこともある。あやまち――と呼ぶならば――も自分と一松の間でだけ発生したものではない。それでもこんな腕は久しぶりだ。離れることなどないと思っていた隣の身体を当たり前のように抱き締めて眠るのはオレたちが悪ガキになるよりももっと昔の記憶だった。あの時の相手は誰だったろうか。兄か。それともやはり一松だったのか。 太腿だけではない、ふくらはぎもたっぷり膨らんでいる。自分の胸に巻きついた腕よりなまっちろい脚がたぷたぷとオレの脚にも押しつけられる。擦り寄るとすね毛がジャージに擦れてざりざり音を立てる。これはオレにしか聞こえない。きっと隣で眠る他の兄弟達には聞こえない。おそ松とトド松が枕を高くして寝ているのは分かるとして、チョロ松が軽く鼾をかいて寝ているのは意外だった。十四松さえ静寂の中の眠りを享受する今宵、この家を追い出される現実的な不安感を一番抱えているのはこの弟であるはずだのに。オレはこの弟がいるから平気で寝ていられる。いざとなれば養ってやると約束したのはチョロ松の方からだ。心配しなくてもいい。なのに、寝てないのはオレだけか。 縋る相手は問わない。突っ込んだ相手だろうと、突っ込んだことのない相手だろうと。猫だろうと枕だろうと砂袋だろうと。何でも。一松が未練で抱きついているのではないとオレは分かっている。あの寒さと孤独に凍えそうな晩、この柔らかい尻に突っ込んだ。あの時緊張していた尻が今は優しくぬるくオレに抱きついているのが分かる。寝られないな。窓のカーテンを開けたのは誰だ。街灯の光がここまで這入り込む。寝られねえな。オレは眉を寄せる。三秒後に朝が訪れている。 オレを叩き起こしたのはチョロ松だった。布団の上にはもう誰もいなかった。寝汚いおそ松さえ。勿論、一松もだ。オレは布団の上に立ち竦んだ。これが兄弟六人で迎える最後の朝だというのに、ドライすぎるぜ。血も涙もないのか、ゴッド。せめてオレだけでもこの朝に悲嘆を刻みつけようとしたが、チョロ松が布団でオレを簀巻きにしにかかり諦めて自分の布団を畳んだ。窓から放り投げると引っ越し用の軽トラックの荷台に待機していた十四松が力強く受けとめる。顔を出すと軽トラの隣に引っ越し会社のトラックが二台駐まっている。荷物を運んでいるのは青い制服を着た業者の人間だけだ。 「かあさん達は」 オレは窓辺に腰掛け、背後のチョロ松に尋ねた。 「朝食用のおにぎりだけ作って、もう出てったよ。僕が起きた時にはいなかった」 「とうさんは」 「僕達が出て行って、この家を不動産屋に引き渡してから行くってさ」 「あのトラック、一台はとうさんのか」 「二台ともかあさん達のだよ。とうさんの部屋はもう出来てるんだ」 「出来てる…?」 「やもめ暮らしにいいように整えてあるってこと」 おにぎりが残っている、とチョロ松は先だって階段を下りた。 「五分前は確かにあったよ。ぼーっとしてたら、お腹減らした十四松に食べられるかもよ」 かあさんがオレの為に作ってくれた最後のおにぎり、か。涙の塩味がきいてそうだが悪くない。台所に残された二個の握り飯をオレは食べた。具なし。塩さえ振られていない。漬物を探して冷蔵庫を開けようとしたが、既になかった。家の中のほとんどの家具が持ち去られた後だった。オレの朝食が終わるのを待ちかねたようにテーブルが運び去られ、オレはフローリングの床に佇んで掌を舐めた。塩味なら今口の中に広がっている。 軽トラックがクラクションを鳴らす。オレを呼ぶ悲しみの泣き声のようだ。 「今行く」 玄関から踏み出し、転びそうになった。あやうく飛び石に頭をぶつけそうになったが持ち前のオレの運動神経はそう易々とオレを殺させない。体勢を立て直し、振り返ると玄関脇に貼りつくように隠れているおそ松の姿があった。突き出した右足に、オレは転んだのだ。 「別れの挨拶にしちゃ随分じゃないか、おそ松」 「これから寂しくなるだろ。長男としてアドバイスしてやろうと思ってな」 「聞いておこう」 「ドラフト会議が始まった時、俺は正直なところ自立しようって思ったよ。俺達だけじゃなくてとうさんもかあさんもおかしいもん。でもな、結局俺は扶養の座を勝ち取ってこれからもかあさんのマンションでスネ囓ってのんびり暮らすことになった。つまり」 「つまり…?」 「人生なるようになるぜ。運さえよけりゃな」 「ケ・セラ・セラだよ」 ひょいとトド松が顔を覗かせた。 「ケラか…。道を踏み外したオレ達には似合いかもしれないな」 「一緒にしないで!」 軽トラックの運転席から身を乗り出し、チョロ松は顔を真っ赤にする。 「踏み外してないから! 僕もうバイト先決まってるから! それとケ・セラ・セラだから! 虫じゃないから日本語じゃないから!」 「フッ……スペイン語か」 「どうしてそこだけ正解すんの! 腹立つ!」 荷台に腰掛けようとすると、道交法を知らないのかと怒るチョロ松に引きずり下ろされ助手席に詰め込まれた。が、狭くない。 「おい、十四松は」 「アレはいいの」 荷台には真っ赤な三角コーンが埋もれていた。そういうことだ。 窓を開け、オレは一松の姿を探した。しかし見つからなかった。もう引っ越しのトラックに乗ってしまったのだろうか。それともタクシーで。玄関先にはとうさんが顔を出した。 「じゃ、松野家解散」 「バイバイとうさん!」 荷台から三角コーンが叫ぶ。オレはサングラスを掛け頬杖をつく。チョロ松の厳しい声がシートベルトを締めろと言う。 「なあ、チョロ松」 「なに」 「オレにはオマエのその科白も、レ・ミゼラブルって聞こえるぜ…」 「病院に連れてく余裕はないから。その耳、自分でどうにかしろよ」 目を開ける。暗い。が、ギトギトと明るい。カーテンがピンク色に光っている。オレは闇を凝視する。今自分がいる場所がどこか考える。 狭い布団の中で押し合いへし合いをしながら眠っているのは今までどおりだ。だが壁が近い。この部屋は四畳半しかない。そこへみっしりと布団を敷き詰めてオレ達三人は寝ている。寝相の悪い十四松を避けるようにチョロ松がオレの肩を押す。そして唸っている。 カーテンを光らせているのはすぐそばのパチンコ屋のネオン看板だ。この部屋は昼間は日当たりが悪く、日が暮れると欲望にまみれた蛍光色の光がわずかな安息の時間さえ蹂躙する。そしてチョロ松。 枕元にはフリーの求人情報誌が広げられたままになっている。駅裏のレンタルビデオ屋でチョロ松が働き初めて一週間。チョロ松はもうバイトを辞めることを考えている。多分、初日から考えていた。何がつらいのか話してみろと言ったが口を割らない。帰宅すると帰りがけに買ったコンビニ弁当を食べて寝ている。実家にいた頃もオレ達は十時まで寝ているのが当たり前だったが、今のチョロ松は現実逃避をするように寝ている。壁に貼ったアイドルのポスターだけが薄暗い部屋に微笑みかける。 「チョロ松」 歯ぎしりの音まで聞こえだし、オレはチョロ松の肩を掴んだ。 「起きろ、チョロ松」 チョロ松はハッと目を開けて目覚まし時計に手を伸ばす。その時勢いでオレの頬をぶったが気にもしない。急激に覚醒した目は文字盤を見つめ、まだ夜中…、と力を失った。 「どうして起こしたんだよカラ松、寝せろよ…」 「うなされていた」 「あ……?」 チョロ松は黙りこくる。手が静かに目覚まし時計を元の位置に戻す。チョロ松の枕の真上。ああ、とチョロ松は低く呟いた。 「そうかもね」 「つらいのか」 不思議そうな目がオレを見つめ返した。 「バイト先でいじめられでもしてるのか」 「……バカじゃないの?」 皮肉めいた笑みを残してチョロ松は背を向ける。 「ヒモはヒモらしくぐーすか寝てればいいんだよ」 翌朝――という名の昼――オレは一人の部屋を飛び出しおそ松を探す。いつもの釣り堀に見慣れた兄弟の姿はあった。いつもの赤いパーカー。おそ松だ。懐かしいが泣いてはいない。走ったせいで目にゴミが入っただけだ。泣いてない。 いつもと同じ足取りを意識し、隣の木箱に座る。 「おそ松」 「よお、カラ松。生きてたな」 「お互いにな」 いや俺はフツーに生きてるし、とおそ松は楽しそうに笑った。 「そっちはどうだ。かあさんは元気か」 「元気元気」 「オレの可愛い弟達は…」 「元・弟だろ」 離婚と別居に際して、離婚したかあさんだけでなく、オレ達兄弟は松野家から籍を抜いていた。とうさんもかあさんも、そしてオレ達も、完全なる自由を手に入れたのだ。虚空に浮かぶ星々のように、オレ達は今や別々の存在として生きていた。 「変わんねーよ」 おそ松は答える。 「あ、変わったかな。トド松最近なんかおかしいんだよな。なかなかお兄ちゃんと遊んでくれないの。一松は…一松こそいつも通りだよ。あいつ。猫さえいればいいんだから」 「寂しくは…ないか?」 「そりゃお前だろ」 そうかもしれない。今まで両隣に眠っていた兄弟が、遠く離れた場所に住み、戸籍上もバラバラになってしまった。オレの孤独は深まるばかりだ。だが孤独の中にも愛は燃える。オレは次男で、チョロ松、十四松の兄だ。あの四畳半の柱だ。今オレが大切にすべきはオレの寂しさではない。 ――チョロ松。 「おそ松、聞きたいことがある」 「何? スリーサイズ?」 「ヒモの仕事って……何だ?」 兄だからと言って何でも知っている訳ではないだろう。それでも尋ねるならおそ松しかいなかった。難しい質問かもしれなかった。しかしおそ松はニカッと笑って一言で答えた。 「セックスだろ」 「セッ……」 言葉を詰まらせたオレを尻目におそ松はタバコに火を点け、オレにも勧めた。オレは一口だけ吸って咳き込んで返した。 「お前、当たり前だけど働いてないんだろ」 「当然だ」 「飯は?」 「コンビニだ」 「洗濯は?」 「チョロ松がしてくれる」 「はーい、無職の上に家事もしない穀潰しがどうして一緒に暮らしてるんでしょうか」 「家族…だからじゃないか?」 「かっこつけんな。その家族が解散したんだろ。いいか、金も稼がない、家事もしない、そんな男をどうして同じ屋根の下に置いとくのかってったらそりゃもう夜のお仕事しかないだろ」 ま、頑張んなさいよ、と鼻から煙を吐きながらおそ松はオレの肩を叩いた。 部屋に戻ったオレは小さな冷蔵庫の扉に貼られたチョロ松のシフト表を見た。今日は閉店まで仕事だ。十四松が弁当を買って帰って来た。二人で食べた。部屋は四畳半だがこのアパートにはユニットバスがついている。肝心の浴槽は体操座りをしなければ入れないが、とにかくユニットバスだ。十四松が先にシャワーを浴び畳の上に布団を広げた。 「カラ松兄さん、寝ないの?」 「ああ」 「チョロ松兄さん、遅いよ」 「気にするな」 「分かった。おやすみ!」 オレは床にも壁にも水滴の滴るユニットバスに入った。熱いシャワーで汗を洗い流し、ボディソープの泡を丹念に脇の下に擦り込んだ。 引っ越しでオレが持ち込んだ数少ない私物。裸の胸に金メッキのネックレスをつけ、真っ白なバスローブを羽織り、ワイングラスにファンタを注いでチョロ松を待つ。 夜中二時近く、ドアの鍵が開いた。外灯に照らされてチョロ松の俯いた顔が一瞬見えた。青白い顔だ。生気を失った表情。オレがぬくもりを取り戻してやるぜ。 「チョロ松、ベイビー」 しかしチョロ松はオレの身体を跨ぎ越えると押入から取り出したオレのパジャマを投げつけた。 「風邪引いても病院に連れてく余裕なんかないんだからね。早くそれ着て寝て……」 科白の最後は欠伸に溶け、チョロ松はそのまま十四松の隣にパタンと横になった。あとは孤独も置き去りにするような都会の冷たい夜が更けるばかりだ。くしゃみが出た。 それから毎晩誘ったが、チョロ松は疲れているの一点張りでオレに抱かれようとしない。一度だけ、恥ずかしくないのかと尋ねられたが、兄弟を愛することの何を恥じ入る必要があるだろう。 「そういうことじゃなくて、僕とヤッて…ヤるとして問題ないの?」 「ゴムならいつも準備…」 「違う!」 一松、とチョロ松は言いかけた。オレの意識はふとあの夜に溯った。太腿のたっぷりした脂肪…。 上手い答えを返す前にチョロ松はオレに背を向けて眠っている。寝たふりかもしれないが、チョロ松が疲れているのは事実だ。 「おやすみ」 背中に囁きかけ、オレは瞼の闇の中へオレを眠らせる。 オレは、ヒモの仕事は何かとおそ松に相談に行くのも――躊躇はしなかったが――それでも遠慮した。オレの中では今でもおそ松は兄、離れて暮らす一松もトド松もオレの弟だ。それでも別々の人生を歩み出した今、その行く手を阻むものが過去であってはならない。オレは養ってもらえるなら最高で文句はないが、オレの兄弟の幸せを地上の誰よりも願っている。オレの愛は兄弟を幸福へ向かって羽ばたかせる翼にこそなるべきなのだ。その為には我慢もする。かつて兄弟の誰かがパチンコで勝った日には儲けを平等に配分すべく全力を傾けた。それと同じように全力で我慢をしている。会いたいが、会いには行けない。それが愛だ。 しかしオレは知ってしまった。夕焼けが東京を真っ赤に染めた夕暮れ、オレはオレ以外の兄弟五人が仲良く並んで歩いているのを見てしまった。五人はまるで当たり前のように隣にいて、そのまま、あの頃のまま銭湯へ向かった。オレは銭湯の前に佇んだ。ポケットには金がなかった。 夕焼けと同じ色の毛並みをした猫が銭湯の入口に待っている。オレは猫がじっとオレを見つめているのに気がついた。 「よう、ロンリー・キャット」 ウィンクをする。 「さびしいなあ」 声が聞こえた。 「…誰だ」 「誰だ?」 「この声は…一体…」 「この声は悪魔の囁きか?」 「それはオレの科白だ」 「それはオレが今言おうとした科白だ」 猫の口が動いている。猫…? 「まさか…」 呟きに答えるように猫は甘えた鳴き声を上げた。オレが喉を撫でると嬉しそうにゴロゴロ鳴らす。 脱衣場がわっと騒がしくなる。十四松の声はよく響く。またコーヒー牛乳を飲んでいる。オレは猫の喉をさするのを止め、立ち上がった。猫が物思わしげにオレを見上げた。 「グッバイ、ロンリー・キャット」 どうして…、という心細げな声がオレの背中を追った。 四畳半に一人待つ。チョロ松と十四松は一緒に帰ってきた。十四松がスーパーの袋に入れたタッパーを、おみやげ、と開いた。剥いた梨が詰められている。 「これは」 「かあさんから」 「もらいものだってさ。皮剥いたのをもらってきたよ」 「…かあさんのマンションに行ったのか」 「寄っただけ」 その日の夕飯は梨だけだった。それでも腹が膨れた。狭い布団の上で横になると消化されないものが胃の中でゴロゴロと音を立てる。 「…チョロ松」 「明日は早番なんだ、寝せてよ」 「チョロ松」 オレはチョロ松の肩を押さえつけ無理矢理唇を押しつけた。チョロ松は抵抗しなかった。だが反応もしなかった。どれだけ吸っても唇を開けようとしなかった。 「…梨の食べ過ぎで頭おかしくなった?」 「違う」 「ヒモの仕事っておそ松兄さんに吹き込まれたの?」 「違う、チョロ松。オレが…」 オレがしたい。そう囁くとチョロ松の唇が開いた。舌をねじ込むとチョロ松は小さく呻いた。 「……やめよう…やめよう、カラ松」 チョロ松の腕は一生懸命オレの胸を押してようやくもぎ離した。 「僕らはやめよう、こういうこと」 「どうして…」 「遭難した人間が海水を飲むのと一緒だよ。余計に喉が渇くだけだ」 背を向けようとするチョロ松の肩は震えていた。枕を抱き締め顔を埋める、その姿は泣いているように見えた。オレは…オレのワガママな愛は大事な弟を傷つけてしまったのだ。オレはようやくそのことに気づいた。悪い…、と言葉を重ねたがチョロ松は振り向かなかった。 やけに静かな夜だった。酔っぱらいのわめき声も聞こえなかった。ネオン看板が音もなく点滅しカーテンはピンクと紫に交互に光る。十四松に起きているか…と尋ねると、ねてるよ、と優しい声が返事をした。 2016 |