お前に手を握られた僕はひとりだ




 およそあと十分で寝ないと明日死ぬな。肉体的にも死ぬし社会的にも死ぬ。面接に遅刻して落ちるだけならともかくそこで初対面の大人に全力で罵倒されたら精神的に即死だし、この社会的死がもたらすのは財政の窮乏、明日のご飯粒がない可能性、つまり肉体的な死。死ぬ。結構な勢いで死ぬ。選択肢のどれを間違っても死ぬし、こういうこと考えてる内に既に三分過ぎていて僕はあと七分で寝ないと死ぬ。せめて十時間は寝ないと死ぬ。寝ないと死ぬんだよ。徹夜とかありえねえんだよ。ニート舐めんな。なのに僕は寝られない。真っ暗なのに寝られない。二階から他の部屋の住人の呑気な鼾が合唱で聞こえてきてんのに寝られない。カラ松は僕の手を握ってまだ何か語っている。多分人生について。
 古いアパートの外付け階段は錆くった鉄製で尻の下が冷たいっていうか痛い。今夜は結構冷えるから見栄も外聞もなくユニクロのフリースの上にどてらを羽織って帰らないカラ松を待ってたんだけど、階段に座り込んで人生相談を受けるのは想定外すぎた。っていうか何? 確かに僕が一番まともだけど僕ら六つ子だよ? ドングリの背比べでしょ。何相談するのさ。っていうかアドバイスとか聞く気あんの、お前に。実際ないんだろうカラ松がしてるのは人生相談というより自分語りでそれを誰かに聞いて欲しいだけなのは僕もそういう気持ちになることは時々あるから、ちょっと下品な例えで悪いけどさ、下痢の時って波があるじゃない。しばらく収まったと思ったらうわー来た来た来た今すぐ便器とお友達にならないと社会的に死ぬ!みたいに爆発寸前の高波がくるでしょ。あれみたいなもんでさ、心の下痢っていうか便秘解消っていうか、まあ時々は自分について語り倒してそれを誰かに聞いてもらうって必要なんだと思うよ。僕もニャーちゃんにどれだけ萌えるかって定期的に叫ばないと死ぬしね。でもさ、時と場所を選んでほしい訳。僕も寒いけどカラ松お前銭湯帰りだよな? 髪キンキンに凍ってない? 唇紫だよ? こっちも寒いし相手もガタガタ震え出すし正直僕は話なんか聞いてなくて適当に相槌ばっかり打ってた。しかもご存じの通り僕は六つ子の中で一番まともで明日面接に行こうってくらいは社交性があるから、分かるよ、とか、お前は悪くないよ、とか心にもないことまで言ってしまう。カラ松が手を強く握りしめた時、あ、何かミスったかなと一瞬焦ったけどそれに全力で冷や水ぶっかける科白が来た。
「許してくれるのか」
 何を。最後の最後の食費に取っといた三千円をパチンコでスッたとか言うなら殺す。僕のパンツを間違えて穿いたとかなら半分殺すけど半分許す。他には? ああ、もう十分とっくに経ったよな。明日僕確実に死ぬよ? そのへん責任とれんのかよ、てめえ、カラ松。
 でもカラ松は握り締めた手を離さない。寒くてブルブル震えてくるくせに目を星みたいに輝かせて僕に迫る。
「一松を愛したままお前を抱いても許してくれるか…?」
 許す訳ねーだろボケが。っていうかヤんねーよ? 僕お前と寝るなんてひとッことも言ってないからね。お前が勝手に勘違いしてるだけだからね。なのに僕はめちゃめちゃムカついて怒髪天、このまま怒鳴ってやろうかとしたんだけどカラ松って名前を呼ぼうとしたら今度は急転直下に悲しくなって手を振り解き力無く相手の胸を殴った。
「許す訳ねーだろボケが」
 どうして誰も僕を一番に選んでくれないんだろう。僕はアパートを飛び出す。誰かに話したくて仕方ない。でも誰も聞いてくれる人なんていない。僕を選んでくれる人はいないのだ。僕は橋の上から身を乗り出して肩で息をする。はあはあいう唇からヨダレが伝い真夜中の真っ黒な川に落ちる。誰か聞いてよ。兄さん。兄さん。僕には兄さんって呼べる相手が二人もいるのに二人とも目の前にはいない…。
 僕は朝まで帰らない。何をしたかあんまり覚えていない。徹夜とかあんまりしたことないから。コンビニ行ってマンガ立ち読みして、何かの雑誌の隅っこに載ってたニャーちゃんの記事十回くらい繰り返し読んで、トイレ行って、掃除する店員に追い出されるみたいに外に出て。アパートに戻ってくると僕と入れ違いに野球のユニフォームを着た十四松が出て行って部屋の中には目の下に隈を作ったカラ松が待っている。
「寝てねーの」
「…おかえり、チョロ松」
「バカじゃねーの」
 僕らは寝る。バイトの面接には行かない。夕方、書き上げていた履歴書を持って外に出る。通りすがりのレンタルビデオ屋がバイト募集の張り紙を出していたからそのまま入って面接を受ける。もしもの食費三千円はまだ使っていない。






2016.9