「アデル、ブルーは熱い色」感想



最初は「3時間もあるの!?」と思っていたけど、描写を重ねることで一つの恋の始まりから破れる様を描こうとしたら確かにこのくらいの時間がかかるか。
科白にも行動にも全て意味があるのは確かに描写の理想。
でも実際の日常の中で大して意味もないものとか無駄な繰り返しとかある訳で、日常をそのまま切り取るように描写をしたらプラス1時間の量になるかもしれない。
先日『もののけ姫』が放送された時、エボシ様の過去とか、サンが美しいと言われて何故あれほど動揺したのかとか、そういう制作裏話とでもいうような情報をネット上で見かけたけど、しっかりと物語を読み込めば前者はぼんやりとでも想像し得るものだし、後者に関しては読み解くことが可能なはずだ。そういう、科白一つを口に出すのさえ心地いいような練りに練られた脚本にあこがれると同時に、日常をそのまま描写したいんだ!という描写への欲もある。物語にとって最良の道を得られればそれが一番で、今回の映画の描写を重ねるという手法はこの恋には合ってたんだなあ、おそらく。
内容に関して語るのはつらい。
決してその問題が前面に押し出されている映画じゃないけど、性的マイノリティが社会の中でどう扱われ、社会の中でどう活動しどう生活するのか、ゲイまたはバイセクとして人を愛する覚悟を登場人物は問われる。それで苦しんだり、社会的には誤魔化したり、流されたりして、愛する人を傷つけたり、愛そのものが壊れたり。映画の二人の場合、セックスの相性が良かっただけになあ…。
中村珍の『羣青』を読んだ時、半時間くらい大泣きしたことを思い出した。未だに下巻が読めていない。
人を愛するという問題はじわじわ抉るな。ボディブローだ。