「アクト・オブ・キリング」感想 人間という動物が人間の尊厳を食い散らかす様をなりゆきで記録した映画だ。 観終えた時にはインドネシアが「死んでも行きたくない場所」トップ3に入っていた。 ちなみに1位はアラスカ(理由:アブダクションされたくない)。 これまで2位だったゴッサムシティは3位に陥落しました。 まあこれは観た直後のあまりにも感情的な感想だけど、インドネシアの確実な一側面でもある訳だ。 常々惜しまれるのは『キラーズ』という映画を観損ねたことで、あれを観ておけば、まああれが映画というエンタメであったとしても人を殺すということを考える一材料になり、今回の映画を観て感じた気持ち悪さが何なのか考える手助けにもなったろうと思われるからだ。 観損ねたとは言え、何故『キラーズ』を観たかったのか、そして何故『アクト・オブ・キリング』は観なければならない映画という位置づけなのかは考えられるだろう。 で、思ったのは、このドキュメンタリーに映された人々は私が小説でほとんど書かないタイプの人間たちだなということ。 多分これが一番の収穫。 私が意識さえしてなかった汚さを小説を考える私の世界に組み込んだことが。 あれなんですよ、人殺しとか残虐描写の気持ち悪さじゃなくて、人殺しを自慢げに語るとか、罪悪感を持たないとか、14歳の少女を強姦して殺すという話題が笑いながら共有されるという人間性のおぞましさと汚らしさが今すぐシャワー浴びて好きな音楽をヘッドホンで聴きながらベッドに潜ってこの二時間で摂取したものを全部、取り敢えず今夜眠る間だけでも消去したいって気分にさせるんですよ。 「お前ら人間じゃねえ!」という文句があるけれども、自分と同じ形をしたものを人間扱いしない者はやはり獣なんだなあ。 っていうか、これ偏見かなあ、虐殺の興奮を再現するシーンは勿論、ごく日常の姿も動物じみて見える。 理性的でなく社会的でない動物の証じゃないのか、あの腹は。 急に、ダイエット本気出さないとヤバイ、贅肉は精神的にも自分を変質させる、という恐れが身に迫った。 ドキュメンタリーとしてはまあ自分の感性に馴染む演出だったし、最初と最後のシーンがやたら綺麗でシュールなのとか割りと気に入るんだけど、やっぱ感想としては無抵抗の人間を金と娯楽のために殺すとか1人でも唾棄すべきなのに100万単位とか反吐が出るなあという感情的な言葉が出てきます。 街の映像、風景、音、多分私は糧にするけど、それでもやっぱりこの国行きたくない。 アラスカよりも、だ。 宇宙人が人間よりマシに思える。今夜は。 だって宇宙人はまだ高度な文明持ってんもんな。 |