「ある精肉店のはなし」感想



まだ三月だけれども、今年観た中で一番人に勧めたい映画でした。
驚くほどにやさしい映画です。
扱うテーマが屠畜であると聞くと思い浮かぶイメージが霧であったらば、それが一瞬にして晴れ渡り本物の景色が見えるような、そんな映画。

描かれる人々がまず皆、魅力的だ。
その人達はきっと私たちの隣近所に住む人々と同じなのだ。
生きる為の仕事をし、生きる為に食べ、当たり前の生活を営む人々はこんなにも魅力的なのだ。
そして彼らの腕はとても太い。
以前『いのちの食べ方』を観た。
あれはほとんどオートメーション化された世界で、もちろん職人的手捌きで仕事をこなす人々は登場する。
しかしここに映るのは全てが手作業で行われる小さな屠畜場。
かつて観た映画の中で、電気ショックによってバチッと一発、息絶えた牛は、人の手の握るハンマーの打撃によってまずその生を終える。
しかしそのたった一撃でも牛はコトンと事切れてしまう。
まさに熟練した技なのだ。
その後の解体作業も見事なもの。
PGやR指定がつかなかったのが不思議なほど頷ける。
解体され、切り分けられる映像からは、人の手のぬくみや、たった今まで生きていたものが私たちに供してくれたものの有り難さが伝わってくる。
熟達した技術であると同時に、その手には魂が籠もっているのだ。

屠畜は部落に押しつけられた仕事である。
それは仕事の内容もさることながら、本当に重労働なのだと映像を見て思い知る。
だがその仕事の中にもやさしさが感じられるのは、そのやさしさは過去や生まれや家族が育んだものを、更に彼ら自身の力で育て上げたやさしさと思う。
小学生の頃、道徳の時間ではよく部落解放運動が取り上げられたけど、そこにある日常を喜びや楽しみや笑顔をもって描かれたのを見たのはきっと初めてだ。

色んな人に観てほしい。
働く腕を見てほしい。働いてきた手を見てほしい。踊り飛び跳ねる脚を見て欲しい。
あの笑顔を知れば、帰り道に見かけるどんな看板にも、そこで働く人々の顔をきっと想像してしまう。
皆、当たり前の日常を生きる普通の人々。今日の笑顔を浮かべる人々。