「劇場版まどかマギカ[新編]叛逆の物語」感想



交わした約束忘れないよ、って言ったじゃん!
もう何があってもくじけない、って言ったじゃん!

と思いつつも、大変勉強になる映画でした。
あと、杏子の変身シーンが禍々しくてよかったです。

神の対位概念って何だろうと考えた時、唯一存在の悪魔というのは個人的に考えづらい。
悪魔は複数存在であるし、結構情けなくて、貧乏くじも引いて、報われない、個人的にはそのような印象である。
じゃあまず神とは何ぞやと考え直すと、神――唯一神的な存在が浮かぶんだけれども、テレビ版のまどかの存在が考えるいいヒントになって、私の好きな「神は遍在する」という言葉に近く、万物に敷かれたルールであるな、と。
唯一存在というより、世界そのもの、絶対存在であり、「神の設計図」「神の方程式」という言葉のように唯一神の手が描いたと言うよりは、神そのものが設計図であり方程式である、と。
神は恣意的かもしれないけれど、やっぱり人格だのは持たぬ、非常にシステマティックな存在と考えるのが、今の自分にはしっくりくる。
じゃあその世界そのものであると同時に世界を構築するルールである神の対立概念って考えたら、なるほど悪魔という存在がしっくりくるか。
ルールを壊すもの、バグ。
複数存在するが、その本質は全て同じもの。
ほむらが顔になってるけど、ほむらという存在はもう世界に散らばったバグであるという描かれ方は既にされている訳で、あまりこういう思考が得意ではない私でも、描かれたものを読み取って納得するだけの材料は全て用意されていた訳で、この映画、本当に勉強になるなあ。
しかしバグであるほむらの存在も、バグになる前からの目的は変わってないんだよなあ。
まどかのため。全部それだけ。
だから世界はもう一度、QBの訪れる前の状態、魔女も魔法少女もない世界になった。
まどかというルールは存在しているから、まず魔女はいない。
ほむらがQBを使って魔獣を駆除させるから、魔法少女も存在しない。
世界はうまいところ回ってるから、ほむらの言ったとおり、さやかが抗いの科白を吐いたみたいに正規のルールを遵守しなくても、そのままの世界を生きればいい。
ただしQBはそりゃボロッボロになりますよね!

跳ね箸さんの考えを聞きたいなあという今日この頃です。