「009 RE:CYBORG」感想



神山による009の劇場版製作が発表され、4分間の映像が公開され、その後コミカライズなど情報が入ってくる途上で我々は「あ、神山は『神々との戦い編』をやるのか」と思いました。
結論としてこれは神山による『サイボーグ009・神々との戦い編』である、と言って構わないと思う。モチーフとして登場するのが天使だからどっちかというとタイトル的には『天使編』の方が似合っているかもしれないけれど。
ただし、そうと納得する為に私は一日に二度鑑賞し、まずは誰とも意見を交えることなく一人でじっくり考えるというプロセスを経なければならなかった。もし色々な都合が許してくーちゃんと一緒に観ることになったら、たとえ二度観ていたとしてもこのような結果になっただろうか。

さて、二度観たのである。一日に二度。間隔は15分であった。短い。
そもそも二度観るつもりではあったけれども、二度の日程に分けようかと思っていた。中九州を南下したド田舎から一番近くて久留米である。遠いよ。強行軍ではあるが朝一番の3Dを観て、次に2Dを観ました次第。
映画館のお兄さんは差し出された前売り券二枚と
「3Dと2Dを一回ずつお願いします」
という私の言葉に一瞬戸惑っていた。
そして「009お好きなんですか?」と。
「はい……」
何だこの羞恥プレイは。
しかも「3Dは真ん中の方が見やすいですよ」とど真ん中の席を取ってくれる心遣い。
ありがとう、T・ジョイ久留米のスタッフさん大好き。

さて本題に入ります。
メンバーごとに覚えている限りのことを書いていきましょうか。
じゃあ、登場順で。

009、島村ジョー。
目にハイライトのないジョーが一番受けだった。それ以外は…今回はどっこい攻めでしたね。なんかやたらと健全な攻めの雰囲気…。最初の目にハイライトがない時がぎりぎり受けくさかった。
私は今回の映画は褒める意味で50点をつけたいと思います。100点満点の50点。
神山は押井から受け継いだ、アニメで政治を描く、というのをやる監督だから、現代社会の中でサイボーグ戦士を描きつつ、神々との戦い編をやるのは、勿論大変だったと思うんですよ。いや、攻殻を見る限りそうでもないかな。いやいや、作品作りに楽はないけど。
で、ですね、アイデアというか要素要素は本当に良かったと思うんです。リセットされる記憶、ジョー自らが「彼の声」を聞き自爆テロを計画していたこと、核攻撃に晒されたドバイからの逃走と、死の街を彷徨ったこと、死に触れたこと、それに最後のシーンもですね。最後のについては後で言及するとして、死体サイボーグや無人戦争と「彼の声」というのも、もうブラックゴーストや動物型のメカを出す訳にはいかない現代を描くにおいていいアイデアだったと思う。
ただね、映画観終わった後でこんな声を聞いたんですな。
「全然分からなかった…」
「大丈夫、オレも全然分かってねえから!」
これ一度観ただけだと…どうだろう、考察の深い人なら大丈夫かな。私は二度観る必要が、きちんと解釈するためにも要ったし、しかもそれが一日に時間をおかず二回、というのは結果的によく作用したと思っている。
全て初見で理解できるような分かり易い映画であるべき、というのを全ての映画に押しつける訳にはいかない。私はこの映画もそういうタイプの映画じゃなくていいと思ってる。
でもね、しつこいくらいに描いた93のシーンをばっさり切り捨てれば、回収できるものも時間もあったんじゃないかって、思うの。
思うの!
…いやさ、93はね、公式だからね、こう…何もフランソワーズ嫌いな訳じゃないから、そういう描写があってもこちとら文句はないんだけどさ、ちょっとしつこくない? っていうか多くない? っていうかそっちに傾きすぎてない? くーちゃんが「攻殻に9時ドラを足して割らなかったような映画でした」と感想の第一声に言っていました。本当にそうだったよ…。なんか「93の人は鬱憤が溜まってたんだろうなあ…」って思った。
それにしても93にエロいことができるとなると、ジェットは…ジェットはどうなの…あの身体どうなの…。あと島村の手がどれだけ本気で動いているか確認しようとガン見しながら辛かった。正直辛かった。私、辛かったです。

002、ジェット・リンク。
本編中何度か思った「飛んだ方が速いんじゃ…」というのは禁句。
と言うわけで、雑誌『pen』で公開されて以来物議を醸したジェットの身体ですが…もう全部許すよ。許した。大気圏の外まで飛んでいくのはお前の十八番だもんな…。
色々回収されていない枝葉のある映画ですが(その部分を観た人間は解釈し、楽しむものかもしれないが)、しっかしちょっとは落としどころの欲しかったのがジェットと島村の「遺恨」というやつで。
お前らに何があった。
B−2の上で会話を聞くに、00ナンバーサイボーグが解散した時、財団に残るのどうの、有事の際に誰がリーダーになるのどうのという話だったのかなあ、と推測されるのですが、おい、今までも00ナンバーサイボーグのリーダーは島村ジョーだったろうよ…何を今更…喧嘩したの…? そんな27年間(推測)口を利かないくらいの喧嘩を…?
それとな、ジェット、お前の正義についてもちょっと訊きたいんだな。
「オレの邪魔をするヤツは排除する、それがオレの正義だ」的なことを言ってたけど…お前さん…どうしたのよ…。
今回映画を観終わった後、そして二度目を観ている最中に時々思ったことが「藤咲でもいいから誰か脚本家連れて来い!」ってことでした。
上でも言いましたが、ほんと話の要素とかアイデアは良かったと思うんですね。その分、すごく詰めの部分の脚本が甘かった気が…。ラストシーン、全員(だいたい全員)が集合した所でもギルモアが「これからは君達の信じる正義を為せばいい」みたいなことを言っていましたが、「おいおい、ジェットの正義ってさっきあんなこと言ってたぞ…」となったし、このギルモアにはそんなこと言われたくねえなあ、という気分になった訳で。
それにしても、ジェットも加速装置がついてる筈なのに、人間の、普通の兵士相手に被弾するとは…とんだ甘ちゃんだぜ!
タイムズスクエアだっけ?あそこの道路を逆走して空にバビュンと飛んでいくところが一番ジェットっぽかったなあ。煙草…嫌いじゃないけど、ほんとストレスが溜まっているというか、何もかも気に入らないんだろうなあ、という描写に見えました。でも映画の後は煙草止めてそう。

003、フランソワーズ・アルヌール。
攻殻がテーマをこそ重視したまま最後まで終われるのは、素子様がメスゴリラだからなんだなあ、と実感。

005、ジェロニモ・Jr。
雄っぱいとか思ってごめんね。
麻生我等のコミカライズだとジョーに一言謝ってから攻撃するシーンとかあって、私はそっちが好きです、彼らしくて。
でも教会で神について話す時「君達の神は…」って言っていたのが、ああ、ジェロニモだなあと思った。今でも精霊の声は聞こえているんだろうなあ。
戦闘シーンになるとほんとジェロニモかっこよかったよ。雑魚戦…お疲れ様です!

001、イワン・ウィスキー。
テレパシーの音声が新感覚でした。音響効果に凝ったんだなあ、と一番思ったのはイワンの声を聞いている時かしら。
イワン様…今回は大人しい方だったよね。いつもなら容赦なくジョーをテレポートさせてたよね。ドバイの時も「ギルモア博士、チャンスは今しかない」とか言ってジョーが言うより早く飛ばしてたはずだよね。
あと予告の時点では張々胡に抱っこされていたので「イワンの指定席はちがーう!!」と思っていたら、ちゃんとジェロニモの所に戻ってました。OKOK。
今回はねー、ずっと起きてたから疲れたんだろうねえ。
それにしても財団の、しかも施設内にずっと留まっていたイワンが、ギルモアの老いを見つめ、他のメンバーの動向を見つめていた、その時の気分というのはどうだったんだろう。それが今回のおとなしさに繋がったんだろうか。

アイザック・ギルモア。
ああ、この人も老いたな、と。
ギルモア博士とはこれまで、彼らを改造した張本人であり、また自分の身勝手な正義・一般的な倫理や感覚からのズレを、それが露見し指摘されるまで気づかない、科学者として素直であり、時にそれが残酷であり、本当に罪と罰を体現している人でした。しかし同時にサイボーグ戦士たちの父だった。
今回、雇用という形で社会生活に組み込まれたサイボーグ戦士たちが人ではなく兵器扱いされていることを顕著に表したのがジェットとハインリヒでしたが、彼の009の扱い、銃を向けたことも、そして003や005への指示の仕方、まるで彼らを本来のブラックゴーストらしく扱っていたなあ、と。
私はそれを一応、老いのせいだと解釈している。事実ギルモアの身体は弱っていたし、判断力も鈍っていた。ましてかつてのように、家族のようにいつも10人一緒ではなかったのだ。しかし…哀しい老い方をしたんだなあ、と思いました。
もうこの人は、9人を導ける人じゃない。映画のラストシーンから天に召されるまでがギルモアの物語の本番かと思う。

007、グレート・ブリテン。
我が愛しの007が本当にMI6の007になってあばば、とか思ってたけどコミカライズ1話以上の活躍はなかったよ。
うん、それはね、くーちゃんに事前に聞いてたからショックじゃなかった。
あと脳内補完してるからそっちで書くわ。
でも…ちょっと若作りすぎるよね、ほんと。いや、まだ45歳かもしれないけど、グレートと言えば横顔になった時後頭部の下の所から首筋の皺がね、魅力的な訳じゃない。酒場から出て行くシーン、二度、ガン見したけど、うん、きれいなもんだったね。
声は合ってました。よっちん、GJ! ほんと、いい仕事してくれました!

006、張々胡。
今回まさかの活躍、張々胡。
本来の性質であるコメディ要素を仕草の端々に残していて、おお、張々胡マジ癒やし系と思ったけど、癒やされる暇がないほど戦闘シーンでしたね。
「火ぃ吹いて地中に潜ったら早いのに…あだ名はモグラじゃねえの…?」って思ったけど、これやるとチートだからなあ。
あとグレートが合流するのを待ってツーマンセル組ませて瓦礫処理場の調査に当たれば、片っぽはカラスとかネズミとか適当なもんに変身して、もうちょっとやりやすかったんじゃ…というのは今更のことで、しかも六本木ヒルズの爆破から事態は急速に展開するからグレート待ってらんないし、グレート連絡とれなくなるし、映画のラストまで出て来ないし。
グレート…変身してないし……。
泥沼の権利争いもうちょっと詳しく知りたいけど、張々胡の名前を商標登録するとどうしてギルモアと争うことになるのか…。このへんからも、ああ、ギルモア老いたなあ、と思う。

004、アルベルト・ハインリヒ。
今回の映画の「抱いて!」堂々一位に輝くかっこよさ。流石ダンナ!
サングラスだわ、喋るわ、解説役だわ、戦う姿は死神だわでもう大変なこってしたダンナ!
大川さんの声、本当に良かったです!ありがとうございます!
ハインに関してはかっこいいだけで10行くらい埋まりそうです。本当にダンナのシーンは見飽きない。天使の化石について解説している時も(あの時の他のメンツの「……うん?」って顔がw そしてまた「つまりだ」と言ってるダンナがww)台詞回しが、ほんと、ダンナに関しては誰よりも違和感なく004だったし、声もまた良かったよねえ。
それにねえ、戦うところもねえ、指マシンガンを撃ちまくりながら破壊音の空薬莢の弾ける中、うっすらと笑ってるんですよ。膝ミサイルのとこ超笑顔でしたよ。流石ハインリヒ先生、抱いて!
イージス艦制圧の最初の所、どうして最初から電磁ナイフを使わなかったんだろうと思ったけど、それはまあ後々のミサイル爆破の描写の説明でもあるから、今回はつっこむまいよ。それよりねえ…、ほんと、どうして今回ジェットとの絡みなかったんだろうねえ、ダチ公……。
それだけじゃなく、今回の93描写の最大の被害者はハインリヒ先生に決定だと思う。かつてのどこ落ちでは泣き崩れるフランに胸を貸すだけでよかったのに…目の前で見せつけられてっていうかハインリヒ先生のことだから気を利かせて背中を向けていたかなあとは思うんだけど、どうだろ…。

008、ピュンマ。
神山監督は全国のピュンマファンの恨みを買っても仕方ないと思います、先生。
活躍…泳ぐどころか…出番…出番……失踪って……。
今回メンバー数人があの4分の映像と予告編で見せ場を出し尽くしたという。(それを言うと004のカーチェイスのシーンは本編になかったから、予告のみのサービスカットだなあ)
そうそう、ピュンマの声を聞いた時にね「わあ、ぴったりだ! ピュンマって結構重い設定背負ってるけど、明るい若者でもあって、そういうイメージに本当にぴったりの声!」と思ったけど、杉山紀彰だったね、キャスト公開から今日まですっかり忘れていたよ。エンドロールで驚いたよ。
あ、声で言うとサミュエル社のサムエルさんの声は立花さんだから三つ子の竜持くんの声だね。

さて、例のシーンだが。
どこ落ち……ない!
なかったかあ!
どこ落ちたかと思ったら手が離れてた…。
いやね、事前にくーちゃんが言ったんですよ。「(29の人間は)そこまで悲観することはない、あの一瞬があるだけで救われた292の人は多いと思う」って。
大気圏の外に舞台が移った時からだんだんドキドキしてきて、ジェットが飛んできた時は涙が滲んで画面が見えなくなりそうだったけど「どこ落ち…ないのかよ!」って涙引っ込んだから最後までちゃんと観られた。
けど、あのシーンは…良かったよ…うん…良かった。
「君一人なら帰還できるはずだ!」ってジョーが言った時、もう自分がどうだったか覚えてないや。
でもねー、最後にイージス艦から見えた流れ星、二筋寄り添ってたんですよ。
あれは我々に見えないだけで、どこ落ちしっかりあったぜ、きっと。
だから二度目は脳内で科白を補完しました。
「神よ、もう一度あなたに祈ります…」

ラストシーンについて。
科白的な部分については上記でジェットやギルモアの科白について言ったように、もうちょっと脚本をどうにか、科白をどうにか…と思いましたが、『サイボーグ009』はそもそも希望を信じ守る話なので、よさげな話として終わることに関しては文句ない。
彼らが水の上を歩くシーンですが、あれが新時代の到来の分かり易い描写としてあるんだけど、あれは、私は彼らが意志の力で水の上を歩けるんだと思う。ただ世界が変容してしまったのではなくて、そこを歩こうと思ったから歩ける。多分、意志がなければ水は水としてあるはずだ。船も普通に航行していたし。
ジョーが、人間が藻掻き変容し一生懸命生きることを模索する、そのために生き、存在することを望んだ、その意志の力の影響だと思う。
エンドロールの最後、月の裏側の巨大な天使の化石が映ったけど、やはり天使は存在した。それは脳にも宿ったかもしれないけど、超自然的存在としてきちんといたと思う。勿論、グレートやピュンマ、そしてジェットが見た少女もね。彼女は天使だったのだと思う。天使の力の視覚化したもの。神の力の片鱗として。だからペンタゴン襲撃は確かにジェットが実行したものだけど、神の力は介在している。「彼の声」を記憶していないジェットだから、それこそあの場は神に使われたんじゃなかろうか。
神は脳そのものという説からしたり、また天使の化石や、月の裏にある巨大な化石からして、あれが人類の起源であるならば、本当に神と呼ばれるような存在はあり、その遺伝子のようなものは脳に宿って古くから受け継がれてきた。
また現在においても神の力は存在している。
ジョーが強く願った時、彼の脳は神そのものであり、神の力と一体化し、地球上に影響を与えたのではないだろうか。
意志によって自らを、世界を変えることのできる存在たる人間に。
結局、人類をやり直すというのは思考の限界から自爆テロ、滅亡の方向に進んでいたけれど、核ミサイルを追っかけながらジョーとジェットが会話したように、更にその思考を超えようという意志が、人類をやり直すというのを上位段階にシフトさせたんだと…、これが個人的な解釈です。

だからね、私は、神山は現代社会の中のサイボーグ戦士を描きつつ『神々との戦い編』を2時間の映画の中でちゃんと作り上げたんだと思ってる。
しかし93描写がしつこいので大幅減点させていただいて、褒める意味で50点です。
(ちなみにくーちゃんは辛口の意味で50点をつけていた。妥当です)

しかしまあラストシーンについてはね。
「世界はどうなったんだ、

そんなことよりジェットは!


世界よりも…ジェット!
世界をそんなこと呼ばわりしてジェット!
世界よりもジェットを選んだ男、島村ジョー…!

流石ジョー、おれたちの斜め上を行きやがる。