「シャネル&ストラヴィンスキー」感想



R-18という下心で観にいきました。結構、同類の人がいたようです。

シャネルが格好いい女で憧れたのですが、自立した女云々より、やはりこれは愛と人生についての物語だし、エロスと芸術についての物語なのです。

映画オープニングの「春の祭典」のシーンは、最近までそういう場所で仕事をしていた身には本当に恐怖でした。あの延々と続く悪夢。終わらない悪夢。罵声と、文句と、スタッフの絶望と、ギリギリのキャストと、何よりその全てを生み出した本人たるストラヴィンスキー。その心境たるや、もう想像の範囲を超えている。観ているだけで、心臓が潰れそうだった。

しかしそこに確かな芸術を見出したシャネル。困窮していたストラヴィンスキーとその一家に手を差し伸べるが、同時に家族から夫であり、父親であるストラヴィンスキーという男を奪ってしまう。はっきりと、明確な意志を持って、意図的に。

二人の最初の夜である、あの着ているものをストンと落とすシャネルも素敵でしたが、やっぱり作曲中にやってきてピアノ椅子の上で交わる姿が、いろいろな気持ち、まとめて言えば感性を掻き立てられました。

しかし非道徳的な恋の蜜月はやはり短い。別れの際の感情も苛烈です。

そして最後に、濡れ場よりも何よりも、この映画を観てよかったと、これが面白い映画だったと胸に思わせたのは、死を間際にした二人の姿と、断片的によぎる「春の祭典」の再演。人生が交わり、結実する瞬間が確かにある。それが老いたベッドの上でも思い出されるだろうか。死の床においても、あの瞬間は永遠だと胸に焼きつく時が。
何よりも深く、強く、確かに結ばれた瞬間が。