「フォース・カインド」感想



絶対、死んでもアラスカになんか行くもんか!

ええ、UFO・地球外生命体に関する体験談というのは――まあ地球の他、宇宙のどっかには生命体が存在しているとしても――基本、集団幻想だというスタンスを取っている私は、怖い話の中でも、UFO・宇宙人モノが一番苦手です。
だってUFOの形状に流行り廃りがあったりするし、つまり受け入れきれない体験をした人がある種のお手本に沿って信じる落としどころ、かつての妖怪的役割なんじゃないかと。
だいたい、宇宙の海を越えて光速移動できる不思議マシンを持っているのに、記憶をさっくり消す技術も持っているのに、アブダクション経験者の証言にある船内設備とかされたこととか痕跡とかが分かり易すぎるのはおかしいなあと思うのです。
(ちなみにUFOの形状の流行り廃りは宇宙人側の都合の可能性もあるんじゃね、と友人Kが指摘)

で、映画の内容がこういうのだと全く知らないままに行った私は途中で、やべっ、と思ったのですが、そこは逃げ場のない映画館です。ちゃんと最後まで観ました。
まあ最初から知っていたら観に行かなかったのかと問われれば、観に行ったはずなので、結果は一緒。

で、今回の映画に関しての恐怖の源は、UFOとか地球外生命体ではなく、記録映像・音声に残された本物の、恐怖に襲われた人間の悲鳴だと思います。
恐怖の悲鳴が、身体の奥の警戒を呼びかける部分を物凄く刺激する。
悲鳴というものが言語以前のコミュニケーションの元祖であるなら、悲鳴に恐怖が誘発されるのも当たり前のこと。
うん、別に何かが怖いわけじゃないんだな。
ああ……、そうなると恐怖の正体が解らずに怯えていた患者達の気持ちは分かる訳で…。

シュメール語のアレ、ですが。
あれを聞き、その後の博士の発言を聞きながら考えたのですが。
ここでもう一つスタンスを提示すると、まあ私も神はもっと大きな流れのようなもので、無人格的存在であり、無意志の存在であろうという思いなのです。
で、「我は創造主、我は父、我は神」という発言。
人類の祖が未来人、あるいは異星人であっても、別にいいとは思います。今この時代を生きて、萌えられるなら、祖先が猿だろうが、猿以外だろうが。
人類の祖、あるいはその眷属としての発言だったとして、「神」発言をしたくなるのは力量差のある存在に対しては用いてみたくなる言葉であると思うと、MIBのラストシーン的に、誰かが作った未成熟な世界たるこの世への優越感を持った中二発言でもいいなあ、と思う。
っていうか神という存在は、自称した時点でフラグだろ。

でもね…何でベッドから浮くんですか。
気がついたら泣いてました。怖くて泣く、しかも無自覚に、って久しぶりすぎて。
どんだけ怖かったんだという。

この映画は本当によく出来ていて、記録映像と再現映像を混ぜる演出なんか本当に好きです。
あと久しぶりに、銃声が喉の奥に響く映画でした。
というより、実際の映像だから、こういう言い方は不謹慎ですが。
銃って、本当に人を殺し得るんだよな。あの躊躇いのない銃声は重かった。