「私の中のあなた」感想 映画らしい映画を観た。 映像も、色彩の感覚も、音楽のタイミングも。そしてストーリーも。 良い映画には、逆にレビューはいらないんじゃないかと思うことがある。 自分が気に入った映画なら尚更。 茨木のり子の「さくら」という詩に次のような言葉があります。「死こそ常態 生はいとしき蜃気楼と」。映画の最後、モンナタの景色の中にある、残された家族を見ながら、私はそれを思い出しました。その一瞬のゆらめきを、何という思いで守ってきたろうか。 誰が悪い、何が悪いという話では、勿論ないのです。だって、姉のドナーとなるべくして在るアナという存在を最初に提案したのは医師であり、もう余命幾ばくもないケイトがビーチへ行くことに同意を示し許可をしたのも医師であった。悲しみや苦しみを目の前に、何とかしてあげたいという思いは、人、誰しもが持つ優しさだ。 一席空けて、二人の女性が、私と同じくらいか、少し若いくらいの年頃の人たちが座っていた。ケイト達がパーティーに着ていく服を選ぶあたりから、もうぐすぐすいっていた。それから劇場はずっと鼻をすすりあげる声がしていた。エンディングロールが流れている間も泣いていた彼女達は、不意にこぼれるように話しだし、泣いた後のすこしさっぱりした雰囲気を漂わせて笑った。映画が終わり、二人は廊下を歩く。私は十歩ほど後ろを歩いている。 「どこが悲しいから泣いたとかじゃない。ずっと悲しい」 二人のうちの、どちらかが言った。 そう。ずっと悲しく、ずっと優しかった。 |