「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー vol.2」 字幕版の感想 4回目にしてやっと字幕版を観ました。目もだいぶ慣れてきたし、色んな音が聞こえるようになった。でも英語の聞き取りは簡単にはいかないにゃあ。 という訳でいつものネタバレ感想の前の当り障りのない話。普段映画をどちらで観るかと言われれば圧倒的に字幕派。けれどもGotGに関してはvol.1から吹き替えで観た時からあまりの違和感のなさに、惚れると言いますか、いつもは10対0で字幕派なのが完全に5対5、どっちも観たいし何なら英語字幕で元の科白を確認したい。訳としてもどっちにも良い所があるのですが、本来圧倒的に情報量の多い吹き替えが持っていない情報を字幕が持っていたりして本当にどっちも必要なんです。 吹き替えの話をもちょっとしますと、vol.1の冒頭でおじいちゃんがピーターのリュックにウォークマンを入れてくれるシーン、あそこでおじいちゃんの囁きをささやかな情報として入れることのできる吹き替えは、いいですねえ。全てのシーンをしっかり比較してはいないのだけど、あそこは目についたし、良シーン。 さて字幕版感想だ! 字幕に限らず、今まで取りこぼしてきた部分の感想もある! と言うか過去の感想を振り返って(これ何本目だ…)主人公のピーターのことをあんまり語ってないなあ…と。通じてエゴのこと、通じてヨンドゥのことを語っていたのと、あとは小説書いちゃったからそっちで喋った気になってるんだろうなあ。ピーターに関しては、Youは十分可愛がられて育ってるぞ!って感想を繰り返しちゃうんですが、だって、あの回想シーンさあ…、ヨンドゥが銃の撃ち方を教えてくれてる森の中の一瞬のシーンさあ…、色々あってあのシーンに戻ってきちゃうのよ。可愛がられてた8歳のピーター・クイル…。 とか思ってたけど他のシーンのピーターにも感想はあったことを思い出した。星の力を使えるようになったピーターね。クリプラが万能感に溺れる男を演じると、いかにも力に溺れて、いかにも悪い展開、情けないことになりそうな感がありありとしてくるなあ。パッセンジャーを思い出しながら、ですね。で、実際ピーターもそういう男で、ガモーラの怒りはもっともである。ガモーラは、ピーターが喪失していた父親との絆を今からでもやり直せるなら、とエゴの星に行くことを勧めるけど、最初から「相手が嘘つきならば殺せばいい」という選択肢は持っていたんですよね。エゴを信じるところから勧めたんじゃなくて、ピーターがチャンスを逃さないように勧めていた。それをピーターったら「君が行けって言ったんじゃないか!」って言っちゃうんだもんなあ。まあ…気持ちはめちゃめちゃ分かるんだが。結局、ピーターを目覚めさせたのはガモーラが言ったとおり、現実にある地球、現実にあった母の死、現実にあった母との絆で、エゴという父親は幻想なのだった。 字幕になってようやく気付いた部分が幾つもあって、映画の最初の方、アイーシャ様の科白でやっと気づいたんだけど、ロケットも、ヨンドゥも、雇い主から盗んでるのか…! ヨンドゥはピーターを本当の父親に引き渡さなかった、という面から見ていたんだけど、そうか地球から盗んだだけじゃなくて、エゴからも盗んでることになるのか。この部分、最近考えるんだけど、ヨンドゥはやっぱり、ピーターの母親が死んでしまったというタイミングを選んで攫ったのかねえ…。公式が作ってくれたピーターとヨンドゥの出会いを描いた短編アニメーション、実物は見れてませんが、内容を見るとピーターは最初から結構元気なんだけど、映画を観てると…混乱の最中をアブダクトしてる訳じゃない…。喪失感、現実を受け入れられない悲しみ、母を亡くすというこれまで当然であった世界の崩壊に伴う混乱に加えて宇宙船を見る、接触する、目の前にはエイリアンという大混乱の中、依頼主にこの積み荷を引き渡さないと決めた時、周囲がそれじゃあテラ人食っちまおうぜってなって、そっから守ってやったんだという「事実」を植え付ければ、コロッとなつくと思うの。…そのへん、計算してたのかなヨンドゥは…って…最近考えてる…。 字幕と吹き替え一長一短編。 短い科白にも結構差は生まれていて、ネビュラの「ちゃんと飛べ!」と「よろしく、坊やたち」は断然吹き替えの方がカッコイイ。あとエゴの星の内部に突撃するピーターの「あいつを殺す!」っていう勢い。字幕だと「あいつを殺さないと」とその必要性を滲ませる訳になってるのを声優さんの演技に含ませといて殺意を前面に押し出してる吹き替えの勢いはほんと、いい。 ヨンドゥの最後の科白は…どっちがいいとか言えなくて…言い回しとしては吹き替えの方がちょっと好みではあるけど、もうそういう問題じゃないものあのシーンは…。あそこでパニックになるピーターは、目の前でママが死んだ時のピーターを思い出させるね……。 葬儀の時のピーターの科白もどっちがいいとかじゃないんだけど、字幕の訳で情報補完できてそれはありがたく…。 そう言えばヨンドゥが宇宙船ごとエゴに突っ込んでくる時の科白、vol.1の最後でクラグリンと話してた時と同じセリフだったなあ。「あの父親は最悪だからな」っていうところ「jackass」って言ってたけど、同じく「jackass」って罵りながら宇宙船で押し潰してた。数少ない、英語が聞き取れた例。 吹き替えでは気づかなかったことも色々ありまして、ラヴェジャーズの船に囚われて服を着せられたベビー・グルートが周囲から囃し立てられるところ、あれ「マスコット」って言ってたの全然聞き取れてなかったよ…。あとクラグリンが船長の代わりに手渡してくれた音楽プレイヤーのズーン、あれ地球製だったのね…。わざわざ地球製をガラクタ屋で見つけてたのか。で、あそこでクラグリンは愛称の方の「ピート」で呼ぶのよ。多分、そんな風にして二人同じ船の中で育ってきたのよ。そして矢はクラグリンに受け継がれ、船長という呼び名はピーターに受け継がれ…はあ……。 吹き替え/字幕の差ではなく、英語と日本語の差として、グルートの一人称がそれまで可愛い「ボク」だったのが反抗期を迎えて「オレ」になったの、こういうところは日本語なりの有り難さをしみじみ感じる。それに対してピーターが吹き替えだと「ヨンドゥの気持ち分かるわ」で、字幕だと「ヨンドゥも苦労したな」なのですが、ねえ、ここを見てもねえ、ピーターは割と精神面では健全に育てられて普通に反抗期を迎えたんだなってことが推測されるじゃありませんか! ピーター、お前も一人称が僕から俺に変わったんだろ? ヨンドゥが呼んでもろくすっぽ振り向かない時期があったんだろ? 流石に返事をしないとかなるとヨンドゥに殴られそう。楯突くのはまだしも、返事をしないレベルで反抗したりすると普通にラヴェジャーズの仕事やってけなさそうだし。 最後にエンドロールの話。というかエンドロールの最後の話。 最後にウォークマンを持ち去ってゆく姿をしっかり確認したのが三度目。一度目はパニックが続く最中だったので多分はっきり見ていない。二度目から目に映るようになったけどやっぱり記憶から飛ぶ。で、三度目でしっかりと目で追い、四度目でそれが誰なのか、何故ウォークマンを手に取って去ってゆくのかを胸に見て、ほんと、凄い、最初から最後までこの映画…、とvol.1の冒頭からからvol.2のラストまでに起きた悲しい出来事とピーターの成長、一つの時代の終わりが胸にくる。 |