迎えに来てくれなかった父、エゴ エゴの真意。 いかんな、ネタバレ不可避だ。 エゴの野望。 うん、どうしてもネタバレしますね。 さっきから数行ごとに書いては「これネタバレしてるな…」とここに戻ってきています。もうちょっと駄話をすると、講談社から出てる児童書のGotGノベライゼス買っちゃった。vol.1の小説版ね。カギ括弧の中で改行が多いのが個人的に気に入らないけど、映画の科白ベースだからさくさく読めるよ。そして意外な情報が入っていたりするよ。ピーターがラヴェジャーズの副官だって書いてあって吃驚だよ。 じゃ、そろそろエゴの話をしよう。これまでの感想は割と映画の中の感情、観客としての感情に沿って書いてきましたが、今回はちょっと違う方向で。拡張計画ってそれでいいのか?という話です。 ムービーウォッチメンで「人好きのするクソ野郎」と呼ばれていたエゴ。私、これが思い出せずに「人好きのするクソ外道」と呼んでいた。クソ外道ってほどでもないかな。これ言うとピーターが起こるだろうけど。メレディスへの仕打ち、ピーター、他の数えきれないほどの子ども達への仕打ち…いや、外道か、十分に。人間の観点からすればね。 そう言えばマンティスはエゴに付き従う割に、映画の中ではエゴがマンティスに話しかけたり何かアクションやリアクションを起こすシーンはないんですよねえ。エゴとの関係がどういうものなのかは、マンティスの口から聞くばかりで。エゴにとってマンティスはペットだけど、私たちがペットに抱く家族のような感情は抱いていなんだろうなあ…だからこそエゴはピーターに出会うまでずっと孤独だったのだ。 クイルのママからは「天使のような人よ」と呼ばれているエゴ。…まあ天真爛漫ではあったのだ…。生命への期待値が高すぎて実物と出会ったら失望したり。愛する女性の息子の前で、お前のママを愛していると言ったけどママといる間中も自分の孤独は癒えなかった、ということを堂々と暴露したり。自分しか見ていない存在ですね。まさにエゴ……。あと今、自分自身が書いた言葉がブーメランして刺さるよ。 そんでvol.1の最後でヨンドゥが「俺は天使のような見た目だが悪党なんでな」とか言ってて最初は「またまたぁ、冗談きついぜ」と笑ってたけど、最終的にピーターの親父は天使だったということなんだよな…、と机に突っ伏しましたね。 でいよいよエゴの野望、エゴの拡張計画の話ですが、エゴが自分の身体の一部を各惑星に植え付けて、それが根を張り宇宙丸ごと自分自身にしちゃおうという。最初はふんふん、できるできる、と頷いていたのですが、青い塊がボコボコボコォッと膨れ上がって惑星表面を覆い始めた時、ん?、と思った。雑じゃない? 考えた結論から言えば、雑に見えるけど雑じゃない。作業工程の一段階としてたまたま雑にやれるところを見ただけで。エゴは世界を作り変えるつもりだった。エゴ・プラネットは細部まで一応エゴ本人の一部だから、幻想的な美しい景色を作り出すことが可能だった。全宇宙の多方面でそれをやるなら表面を増殖したエゴで覆って、操作可能な状態にするのがよい。地ならしとか田植え前のしろかきみたいなものですね、増殖したエゴで星の表面を覆うのは。繊細な行程はその後のことになる。そして、その野望は潰えたため、作業工程の雑な部分しか目につかなかっただけっていう。 拡張を考えた時、食べ物とか水とかに溶け込んで、生物一個一個の内側から浸蝕したりとかできなかったのかなあと思ったけど、エゴは自分本位なので他生物のアップデートとか考えてもいない。エゴにとって自分と炎を受け継いだ息子以外は生物としての価値を持たなかったんだよ…。で、今、ヨンドゥが最後の最後は確かに炎のエンブレムを受け継ぐ一人だったっていうことと、クイル初登場時のジャケットにもラヴェジャーズの炎のエンブレムはついていたのだ…と思い出して、ピーター…お前…追い求めていたものはすぐ側にあったんだね、最初から…って泣いてる。 で、拡張計画の続きだけど、増大したエゴによって地ならしされた全宇宙の惑星がエゴの思い通りに作り直せるようになったとして、エゴは新たな生物を作り出しただろうか。クイルと二人でならソブリンの民の子作り技術みたいに人工生命を誕生させられそうだけど、孤独を癒すにはピーターさえいればいい……というか同じ天界人じゃなきゃ嫌なんだろうなあ。 エゴの意識から遠い星で天界人の一部から新たな生命が生まれて、今度は逆の浸蝕を行ったら面白いんだけど。エゴ・プラネットはエゴの星で、だいたい自由に動かせるけれども、エゴは星の表面、内部で起きていることを全て正確には把握していないのよね。自由に動かせる砂粒にまで己の神経が行き渡っている訳ではない。神経を通してエネルギーで操ってるだけだもの。脳みそだけで宇宙を漂っていたエゴは柔らかな本体を守るために鉄鉱石で覆いを作り星に成長したけど、vol.1のノーウェアの巨大な頭蓋骨を見ても、やっぱり生体として成長すべきだったんじゃないかしら。でもそれを教えてくれる人はいなかったんだよなあ。エゴにも親はいなかった。 拡張計画の先にあったのはただの壮大な粘土遊びだ。エゴは本当なら何でも、それこそ何でもできたのに、己にのみ頼り、自ら恃むことが全ての生き方故に自らをアップデートすることはできなかったのだ。 |