「パンズ・ラビリンス」ついでに「レディ・イン・ザ・ウォーター」感想 稲垣吾郎がコトイチ(今年一番)と言ったのが契機。 久しぶりに足を伸ばして映画を観に行きました。 コトイチと言われれば、期待が高まる。 公開期間としては終わりのほうなのか、小さいシアターでしたが無問題。 そして久しぶりに骨の髄まで恐怖を響かせる銃声を聞いた。 純ファンタジーかと思っていたのですが、現実的周囲の世界でも物語は進行する。 しかも容赦のない進行であることは、冒頭のシーンから匂わせてあるわけですが、 …しかしなるほどPG-12な進行っぷりに、思わず口を覆うこともしばしば。 と言う訳で、まずは銃声の話から。 主人公オフェリアが王女として王国に戻るための試練を受けている間、 容赦なく進行した現実の事態。 それは軍とゲリラの戦争なのですが、 こんな銃声を聞いたのは『ヒトラー』を観て以来でした。 歯に響き、脳に響く。直接、痛みと恐怖に響く。 それだけではない、拷問、謂れのない死、復讐、ナイフで切り裂く頬。 これは作中出てくるモンスターの造型が問題なのではない、 この戦争というものそのものがPGなのだなあ。 ファンタジー(内)に、現実(外)にと問題山積みで、 作中の主人公の義父なんかてんぱり気味に人を殺しまくりますが、 外の世界で戦況悪化、身重の母の容体悪化と状況悪化のスパイラル飛び越えて その中心を真っ逆さまに落ちる勢いの中、 ファンタジーの世界はどう進んだのかと。 これに関しては、ラストシーンの話から始めたい。 ラストシーン。 稲垣吾郎が「こんなに美しいラストシーンは見たことがない」と言った件のラスト。 …ごく個人的には、この終わり方でいいのかぁ…、という気持ちだったのですが、 鑑賞直後のもやもやが晴れたのは帰りの車中。 物語を最初から追ってゆきながらのこと。 母の再婚。軍人の義父。見知らぬ土地、山中の館、森の中の迷宮。 石像と瞳。妖精の誘い。王女。 この辺までは、最近のアニメでもあるかなあ、という感じですが。 第一の試練。枯れた木の洞。泥だらけ。巨大な蛙。金の鍵。 第二の試練。時間制限。正しい選択。破られた禁。試練の失敗。 最後のチャンス。 第三の試練。命を懸けた選択。 グリム童話と同じ世界の話だと思ったとき、ようやくラストが馴染みました。 何だかんだで、この歳になっても主人公がラストで死ぬというのは もやもやとした消化不全の感情を起こす。 折原みとだったかが、ナルニアシリーズの最後で子供達が実は列車事故で死んでおり 魂がその世界で真に生きるというエンディングに、やはり抵抗感を抱いていたように。 しかし、これが紙媒体で読んだグリム童話だったら、きっと何の抵抗もなく そのエンディングで、納得と言う改まった手順を踏む間もなく、当たり前のこととして 受け入れたろうと思う。 最後の試練で命を落とした主人公の魂が、正しい選択をしたと玉座に迎え入れられる、 というエンディングは。 だから後になってじわじわと、ああ良い映画だったなあ、と思うのです。 先日、衛星で『レディ・イン・ザ・ウォーター』を観たのですが、 こちらは別段、消化不良を起こすようなエンディングでなかったにも関らず 不満というか「これ、日本でアニメにしたほうが良かったんじゃね?」の一言に尽きた。 おとぎ話として、決して悪くない、案外面白いのに、何か今一つ。 イーシャンテン、くらいのもどかしさ。 シャマラン監督の、正体の知れないものを知れない状態で描くリアリティとかは 相変わらずよかったのですが、なんか、設定が非常に嘘くさく目に映る。 対して『パンズ・ラビリンス』は、確かに妖精だの、パンだの、地下の王国の姫だの 非現実かつ大人になってまで信じられない世界を描いているのに、 最初から最後まで信憑性がある。 たしかにオフェリアは姫の生まれ変わりだし、試練も現実のものだし、 パンも実在するし。 特殊映像技術の所為じゃなくて、その理由を具体的に言えないんだけれど、 言えない分、そういう要素が全てに、満遍なく、行き届いているんじゃなかろうか。 余談。 第二の試練で登場するモンスター。スマステで流れる映像を見たときは 主人公とパンと愉快な仲間の一人だと思ってました。 あんな恐怖満載で追っかけてくるとは思いませんでした。 心臓バックバク。 最後に一言。 大尉って本当に酷い奴。観客感情として許せん。いーぞ、メルセデス! 奴を絶望と死に叩き込め! (そう、この爽快感も、グリム童話的かもしれない) |