3回目の感想 原題はvol.2だということで。そういう文字を見かけた記憶がないなあと思ったら、オープニングタイトル、そこだけ日本語になってましたね。何が何でもリミックスにしたいのか。 と言うわけでGotG2、3回目の鑑賞をしてきました。前2回の感想はほとんどヨンドゥのことしか語っていなかったので、今度こそ他の面々のことも書き残したいと思います。でもネタバレはしまくりますので、そこんとこほんとご了承ください。ネタバレに抵触しないでは書けないのです…。 ガモーラとネビュラの姉妹。前作はネビュラのことを本当に敵としか見ていなかったんだけど、ネビュラは、彼女がどういう思いでいたかということを知ってから観ると…見れば見るほど魅力的であり、痛々しくあり。彼女が姉との戦いで欲していたのは勝利ではない、姉さんという存在…。勝てば、ガモーラも自分と同じ痛みを与えられる、痛みを分かち合う、分かり合い共有しあえる存在になれたのに、ガモーラは先へ先へと進むばかりだった。最後、戦いが終わってガーディアンズ一行から離れる時、ネビュラはガモーラから腕を掴まれて思わず身構えてしまう。姉さんが欲しくてたまらなかったのに、成長の過程で相手を傷つけるための接触しか学んでこなかったから、姉さんとなったガモーラが近づいてきたのに反射的にそういう態度をとってしまう。最後のハグも腰が引けてるんだけど、その恐る恐る自分の求めていたものに手を伸ばす姿が…今回一番泣いたのそこでした。 ロケット。私、vol.2を見るまでロケットはそれなりに年を食ったような存在なんだろうと思っていたんですよ。何故かなあ。下手するとガーディアンズで一番年嵩くらいに考えていたかもしれない。それがヨンドゥとのやりとりで、ああ!ロケットってまだ若造だったんだ…!と。ロケット周辺は、今回キーワードの「バッテリー」という言葉を追いかけて色んな科白を噛み砕くと、やばい。あとヨンドゥとロケットが「俺はお前だ」な存在だとしてこっちが今まで見てきたロケットの姿からヨンドゥの若い頃を想像するとやばい。…そうなのよね、エゴが子ども達に何をしているか知ったというなら、ヨンドゥは少年だったピーターを地球から誘拐しなくてもよかったはずなのよ。それを、エゴには引き渡さない、それでも盗んだっていうのは、ほんと…。誘拐した子どもはピーターが最後だったはずだから、下手するとスタカーらによって追放された後かもしれない訳でしょう? 意地悪で何でも盗むヤツ、必要ないバッテリーも…。ヨンドゥってロケットにとって自分の鏡で(そもそもはロケットがヨンドゥから見たら鏡だった訳よね、先にそのことに気づいたのだから)、だから消えなかった絆に繋がれ花火の光に照らされたヨンドゥっていうのは、ロケットにとっても一つの指し示された希望ある道で、あんな稼業だからいつ死ぬかもしれない自分の魂の生前葬みたいな赦し、救済であるのかと。ラストシーンの涙の意味、深く味わうべし…。 ドラックスとマンティスのことも「醜い」というキーワード、突き詰めて考えたいんだけど、風邪引いてて鼻づまりで息ができず考えがまとまらぬ。 エゴの野望についても同様で考えがまとまらぬ。 で、最後にヨンドゥの話なんですが、ロボット娼婦の部屋にいる時の姿、まじまじと見たら右側に傷が多いんですね。右肩から腕にかけての傷は大きいし、腹もへそより右側に傷がある。これはクリーの奴隷兵士をしていた時の戦い方とかの問題なのか、それとも右半身で誰かを庇ったのかっていう話ですよ。 |