1ミリも冷静ではない

「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー・リミックス」

感想



今全部書き終えてここまで戻ってきたけど、言えることはただ一つ。
今回もネタバレ全開で。
とは言え、最初幾らか表示される文字数分はネタバレ関係ないところから話していきましょう。
世の映画で続編だけど、単体でも観られる映画がありますわね。「エイリアン」とか。あれやってたのは子供の頃だったので、1未見、2はビショップが真っ二つになる前後しか記憶にない、3なんかほぼ単体で観たようなものなのですがそれでも面白かったんで。あれは宇宙には人間を食べるエイリアンがいるって共通項さえあればいいのかな…。主人公は通してリプリーですが。4も好きです。大好き。2も見返したけど大好き。特にビショップ。1をいまだに観ていない! …あれ、何の話だっけ、そうGotGだ。マーベル作品に手を出しあぐねていたのは世界や話が繋がっているのに途中から入りづらい、しかし最初から追いかけるにしてもどこから手を付ければいいのか…、と時代が下れば下るほど壁を感じていたからで、そこへ来てGotGとドクター・ストレンジはとてもいい入口になったのでした。……が、「リミックス」はGotGの1を観てからでないと通じないね! 通じないことはないかもしれないけど、面白さを満喫はできないだろう…。
そろそろネタバレ書いてもいいかな。
1をDVDで観て感想を書いた時、年の差とか疑似親子の好きな私はヨンドゥとピーターのことでそりゃもう嬉しそうに語った訳ですよ。キャッキャと語った訳ですよ。そしてリミックスが公開されしばらく体調不良で動けなかったのですが、あっ! 薬が効いた! 今なら行ける!ってなった時の私の科白を知っていますか。
「ヨンドゥの活躍も見られるし、観終えたらきっと元気になるよ!」
死亡フラグ立ててたーーーーー!!
いやー……キレーに死亡フラグ立ってたわ……。ほんと見事な……。マジかよ…。無垢かよ…。活躍するって信じて疑ってなかったのかよ…。疑ってなかったのだよ……。TLにね、よくヨンドゥが流れてくるのは活躍するのかな、とか、親バカなのかな、とか、あとTLの人たちもヨンドゥ好きなんだろうなとか思ってた…そりゃそうだったんだけど、もっと重要な出来事が映画の中では起きていたのだ…TLに咲く笑顔は見送る花火と同じだったのだ…。映画を観終えた私は感想らしい感想を呟くこともできず、ざわざわし、翌日は朝から泣いていた。昨日のことなんですけど、一日、何かにつけ思い出して泣いてたな…。
ヨンドゥがピーターを助ける為に犠牲になるシーン、観ている最中から何が起こっているのかちゃんと受け入れられなかったんですよ、今振り返ると。ヨンドゥが「俺はメリー・ポピンズだ!」って言ってるシーンでは死ぬなど微塵も思っていなかった。けれども、最初から不穏な翳りは感じ取っていたじゃないか。冒頭、いかがわしい店でセクサロイドの部屋から外の吹雪を眺める半裸のヨンドゥの虚無的な表情。部下を次々殺される最中も軽く顎を引いて何も見ていないかのような虚ろな表情を浮かべていた。そのくせ造反した部下からロケット共々監禁された時の眼差し、特に「小枝」と呼ぶベビー・グルートへの眼差しは1の彼からは想像したことのなかった父親の目だったじゃないか…。すみません、これ書きながらまた泣けてきたんですけど。
リミックスは頭から尻まで家族の映画だったね。ヨンドゥがそもそも所属していた絆から追放されたと知る冒頭、ガーディアンズ達の冒頭戦闘シーン明らかに大変な場面なのに全員でベビー・グルートの子守りをしていたあの可笑しさと愛しさ。ピーターの実父エゴとの関係、育て親であるヨンドゥとの絆、ごめんまた泣けてきたからコーヒー飲んでくる。
物語に登場する疑似親子が好きで、古いところでいくと、土井先生ときり丸とか、スクライドのマーティン・ジグマールとイーリャンなんかが思い出されて、特に後者なんかジグマールの今わの際にイーリャンが「お父さん!」って呼ぶシーンがあって当時も泣きかけたんだけど、それでもここまで引き摺ったことはなかった。それが今回は引き摺るどころか、まだ本編の出来事もうまく消化できず、消化どころか映画の最中を思い出すとちゃんと見て受け止めてないんじゃないかなってレベル。ピーターに宇宙服を装着したのは分かる。そしたらヨンドゥは死ぬ…死んじゃうよね、あれ、本当に死ぬの? いや、氷漬けになったところから1のピーターみたいに復活するのは御都合すぎるし、死は死として描かれる方が良心的…え? 本当に? え? ちょっと待って本当に? 待って!? …とまあパニック具合はピーターと完全にシンクロしてましたし、ピーターが物語の筋に戻ってもこっちは葬送のシーンを本当に? とまだ疑いながら、物語の展開パターンと比較しながら、パニックから抜け出せないまま観ていたんですよ。
ほんっと不意打ちだったんだなあ…。これまでキャラクターの死は「悪役だから死ぬだろう」とか「ストーリーから推測される犠牲として死ぬだろう」「ガンダムなら死ぬだろう」など何だかんだで事前に心の準備があったけれども、「ヨンドゥの活躍も見られるし2時間後はきっとハッピーになれるよ!」とキャッキャしてたところから突然崖下に蹴落とされたようなもので…と言うのは言い過ぎか……さっきも言ったように映画の冒頭から少しずつ準備はされていたんだ、翳り、嫌な予感。船内で反乱を起こされ、古参の部下達を目の前であんな風に失いながらその回収をせずにヨンドゥがガーディアンズに残ることなどあり得ただろうか。また、そうなったところで自分は納得しただろうか? 冷たい宇宙空間で、彼の古い家族達に対する責任を果たしながら、自分の息子をその手に護りながら命を終えるなんて、これ以上ない待遇じゃないか。そして絆の復活たる花火に見送られた葬送は最上級の手向けではないか。ごめん、ちょっと泣いてくる。
ちらしを見て「ヨンドゥのモヒカンが伸びてる」とか笑っていた頃が懐かしい。あのフィン一つとっても泣けて仕方ないのに。フィンを取ってくるように言いつけたベビー・グルートがどんなに間違えたものを持ってきてもヨンドゥは私が想像したようには怒らなかった。幼い子供を我慢強く見守る父親みたいだと、私はベビー・グルートが持ってきた切断された足の親指を見て笑いながらもヨンドゥの態度に不思議な居心地の良さを感じていた。っていうかあのシーン、本当に笑えるから劇場内にもっと人がいればよかったのになあ。平日夜最後の上映時間だったからお客さん少なかったんだ、田舎だし。多分、みんなあのシーンは可笑しかったはずで、そこんとこの共感持ちたかったなあ。
現時点でガモーラとネビュラの姉妹に一ッ言も触れてないどころか、ドラックスがマンティスに対して使う「醜い」という言葉について、成長したグルートの反抗期、その他諸々の感想をすっ飛ばしてるんだけど、もう、疲れた…。マンティスは可愛い(地球人判断)。美しい(ドラックスに共感)。
ピーターの実の父親であるエゴは、登場シーンから分かり易く息子のピンチを救い、彼を自分の家(星)に招待し、父親らしいことをしたいと言い、ピーターの夢であったキャッチボールを叶えるのだけれど、宇宙を呑み込むという野望、そしてピーターの母に対する仕打ちがなければピーターの夢の父親でいられたんだろうか。その可能性はあったかもしれない。けれども、エゴというキャラクターのアイデンティティはその名のとおり「エゴ」であり、彼は彼の世界の中心だった。彼は孤独だった。数えきれない女と交わり、数えきれない子供を自分の許に運ばせ、数えきれない子供を死なせて(きっと失望により殺して)、彼は孤独だった。だからこそ神だし、地球までやってきたのだし、ピーターの母と恋をして、ピーターを作った。ここでピーターの母と添い遂げるエゴならば、我々が感情的に口にする「父親らしさ」を全うするエゴならば、この物語は成立しなかった。ピーターとヨンドゥも、恐らく出会いはしなかった。その場合、エゴは父親として最初からピーターのそばにいただろうから。そして父親になっていっただろうから。エゴはピーターの父だけど、父親に成りはしなかった。
父親というものになっていったのはヨンドゥだった。幼少期、親から奴隷として売り飛ばされたヨンドゥ。同じような仕打ちをたくさんの子供に対しても行った。エゴの依頼とは言え、子供を親元から引き離し、機能する道具として必要としているエゴの許へ運んだ。このへん映画一度観たきりだから曖昧なんだけど、エゴはヨンドゥを何とか納得させたって言ったけど、ヨンドゥは攫われた子供達の末路をどれだけ知っていたんだろう。でもとうとうピーターの順番になって、それをやめた。手元で育て始めた。脅しながら。盗みの仕事に使いながら。あの船内だ、環境の中に暴力を含まなかったことはないだろう。でもヨンドゥは決心していた。仕事の契約を反故にしてピーターを手元に置くということを。それは自分の手で育てるということ。彼に最初どれだけその意識があっただろうか、父親になる、っていうことの。でもあの回想シーン。森の中で少年のピーターに銃の使い方を教える、あの一瞬のシーン。もう決めてたんだろう。父親になるって決めてたんだろう。これまで死なせたたくさんの子供達への贖罪にもならないけれど、最後の一人を目の前に、曰くクソな父親であるエゴに逆らい、自分が愛情をもって触れたことのない父親っていうものになろうって。っていうか最初から部下のみんなが言ってたもんね、「船長はピーターに甘い!」って。ほんっとその通りだったんだね。TLの情報は観客の想像じゃなくて、完ッ全な公式だった。泡吹いて倒れそう。最後の、パニックになるピーターをなだめるようなヨンドゥの手。冷たい宇宙空間でもうほとんど動かない手が、子供の頬の下、顎から首のあたりをやさしく叩いた。あのシーン、ピーターと共にパニックに陥りつつも、なんてやさしい手だろうなあ、と心のどこかは感動していた。
父としてキャッチボールをしたエゴ。対してヨンドゥは少年のピーターに対しても、現在でも教えたのは一貫して武器の使い方。でもそれこそが、トレジャーハンターの父親とあぶなっかしい息子という親子関係に相応しく表れたシーンだった。冒頭のね、いかがわしい店でのヨンドゥの表情、「ピーター・クイルがいなくなって何だかんだで淋しいんだな」と最初に思わせたあの表情。あの頃、ヨンドゥはもうガラクタ屋で300曲が入るポータブル音楽プレイヤーを買ってたんだねえ。そして船内に残っていたピーターの曲をダウンロードしてたんだ。裏切りという形で巣立っていった息子を思って、いつかそれを渡せる日が来るとヨンドゥは思っていたのかな。そんな父親らしいプレゼントはできなかったけど、不穏な翳りから始まって最後には息子を取り戻し、絆で結ばれた家族のもとに再び迎えられるというラストに辿りつく。だから…ホッとはしてたんだろう、観ながら。ピーターを護ったヨンドゥのあの行動ややさしく叩く手つきに、冒頭から続いていた不穏な翳りは消えて光の中に落ち着いたんだろう。弔いの火の中に、弔砲の中に。
でもさ、ヨッシャー! 次回作楽しみ!って言えるようになるには、まだ時間がかかりそうよ…?