「人生フルーツ」感想 いい土を作るのに40年では足りないのだ…。子孫に美田を残さず(子孫の為に美田を買わず)と言いますが、その美田を作るためにはそれこそ代々の不断の努力を要した訳で。スクリーンの中の津端夫妻が後世に残そうとしているものは、美田の礎となるほんの一握りのもの。このご夫婦はそのほんの一握りのものをこつこつ、ゆっくり、人生を通して育んでこられたという………、こういう生き方をもっと若い内に知っていれば自分の人生の選択もまた違うようにできただろうか。私は今の生活にだいたい不安を感じておりまして、飢え死にしない為にジャガイモとかサツマイモの作って暮らしたいとか考えることが多いもんですから、故にそのように思うのかもしれず、この映画を道徳の授業で流されていたら心に響くのは何歳からかなあと考えます。大学生以降の可能性が高いけど、里山を作るために一軒一軒が木を植えて雑木林を作るというプランには十代も惹かれるかも。昔は考えていましたねえ、半世紀前のエネルギー消費量で快適な生活を維持するにはどうしたらいいか、とか。 ドキュメンタリーというのは往々にしてナレーションが入り、それによって印象や伝えたい内容が方向づけられたりするものですが、この映画のナレーションはそんなに多くありません。多い印象ではない。夫婦の暮らし、手作りをし、手で枯葉を集め、土に触れる、そういう生活の積み重ねの層を覆うように、あるいは染みこむように「風が吹けば枯葉が落ちる、枯葉が落ちれば土が肥える、土が肥えれば果実が実る、こつこつ、ゆっくり」というナレーションが重なり、観客にもそのゆっくりという速度が染みこみ、映画を観る間だけでもその速度で心臓が鼓動する。自分が消費してきた時間を思うと、今少し悲しくなる。 丁寧に生きるってどうすればいいんだ、と思ったら、丁寧に生きるしかないのです。一言、一言。口にする一口、一口。歩びの一歩も、眠る前の一時間も。ただただ実践することが丁寧に生きることで、そのお手本の一人一人として津端夫妻がいる。経済が違う、環境が違うといって唇を尖らせることはない。全てを真似するではなく、こんな呼吸の仕方もあるというお手本なのです。 ……が、「お嬢さん」の1時間後にこれを観、心が浄化されて感想の言葉が出ないというのが正直な感想でもあります。 |