「お嬢さん」感想



今日は山藍紫姫子を読んで耽美にどっぷり浸って心の奥までドロドロに煮詰めたい、という時に正にうってつけの映画を胃弱状態で観に行った訳です。胃酸を出す元気もない胃にこってり満漢全席を詰め込んだようなものですが、面白いものは面白い。満漢全席の中にも胃を心地よく撫でるような薬粥があったりするものです。なるべくネタバレせずにお話しするつもりでしたがバレたら申し訳ない。
さて原作である『荊の城』未読、金持ちの屋敷で騙したり騙されたり愛憎入り乱れたりっていう話、と、ちらし程度の前知識で観に行きました。ポスターをいつも遠目に見ていたせいで、写真のお嬢様の頭に載っている手が皮手袋を嵌めたそれではなく内出血してどす黒く腫れ上がった手に見えていたもので、イメージ的にはバイオレス的グロもあるんじゃないかなと思っていましたが当たらずとも遠からず。
バイオレンス含み、グロテスク含み、そして何よりエロス含みで、まあ、画面の作りの美しいこと。頽廃的に華美である。ねっとり美しい。色彩も舞台も小道具も、触れた瞬間は乾いているのに人肌が触れたら溶けてこっちの手がずぶずぶ沈みながら溶解されてしまうような美しさ。この美しさは特に主役の女性二人の絡みと、古書のオークションに代表されるでしょう。
書籍愛好家としては古書オークションからまず真っ先に述べたい。屋敷の主人の古書の扱い方(直接の持ち方)は結構雑だった気がするのですが、このオークションの様式は悔しいけどいいよなあ。どうじゃ、美しかろう、と存分に見せられた、美しゅう御座いましたわい!とひれ伏させられる演出でした。古書蒐集者の中には余白の広さや初版本への執着など色々タイプがあるそうで、本は現物、ページを見てこそ、なれどある種の稀覯本蒐集家にはたまらん方法では。稀覯本というかポルノというか。しかし書籍愛好家というものは版がどうのとか、装丁がどうのとか、そういうことさえポルノグラフィを口にするように話すものだと『ナインスゲート』(原題『呪いのデュマ倶楽部』アルトゥーロ・ペレス=レベルテ)が言ってた。というか私が古書の話をする時いつも頭に浮かぶのは『ナインスゲート』と唐沢商会です。
という訳で、物語の二つの軸に囚われのお嬢様の運命は、と、古書オークション、の二つがあり最後はこれが一本の流れになるのですが、古書コレクションが台無しになるシーンがあるんですよ最後の方に。そのシーンでは私の中の稀覯本蒐集家が泡吹いて倒れ古書狩猟家が唇を曲げ装丁技術者兄弟がぽっくりあの世に行きかねない模様が展開されまして、ああー!あの中にあったかもしれない数少ない本物の稀覯本がー!!と私の頭の片隅も気が遠くなりかけたけど、これは…これが実はいいシーンでしてね……それなりにカタルシスのあるシーンでしてね……その後、女性二人が夜明けの野原を走るシーンがあったんだけど、私、感動しましたよねその時だけは……。
朗読について。「皿を舐めるように読むな」という作中の科白には頷く。でもあまり感情の籠らない朗読の方が個人的には好み……というか、視覚障害者が音訳された本を聴く時も結構そういう声が聞かれるそうですね。映画の中の朗読がかなりそういう傾向で聞こえたのは、朗読を行う彼女らが母語ではない言語を発音しているせいかもしれない。ただつるつるだらだら読むのではなく、かと言ってあざとくもなく。
濡れ場への言及、する? するの? ラース・フォン・トリアーのウィキペディアの記事の中の「過激な表現」っていう項目に『Stern』誌の引用が載っているんですが、女性が好まないのは物語無しに打つ付け合っている身体の一部だけが大写しになって際限なく続いていることなのだ、とね。「お嬢さん」の中での濡れ場はその点しっかり物語の一部なんですよ。人間関係の肝なんですよ。この瞬間、騙し、騙され、っていうのを見ながら、あー!だけど内心は実はー!とか思っちゃうんですよ。この絡みは言わば満漢全席のこってり部分で胃弱状態の私には胃もたれするはずのシーンなんですが、ちゃんと映画を観たという満足感の一部になってるから文句ないっていうか何て言うか。しかもまた画面とか構図が美しいのね。
個人的に好みだったエロスのシーンは初夜直後なんですが。言葉に出来ぬほど…っていうモノローグも入るけど私にもあれが一番ストライクだったなあ。モノローグを吐く、お嬢様をそそのかして大金をせしめようとする詐欺師、彼は実にチャーミングですよ…。ほんと、個人の好みの話では、ラストシーン直前の詐欺師のピンボケのショットがあるんだけど、そこで映画が終わってもよかった…。映画全体を貫くテーマの回収をして〆る意味ではあのラストシーンはあるべくしてあり美しかったわけだけど、私だったらあのピンボケショットで映画終わらせてたわ絶対…と思うくらい執着するいい画だった。
久しぶりにラース・フォン・トリアーの名前を出したらアメリカ三部作の最後1本「ワシントン」は無期限延期のままなのね…。いつか実現するのかいなあ。今敏の「夢見る機械」は完全に中止されたそうですね。残念。