「モアナと伝説の海」感想 ラストに至るまでネタバレ全開です。 まず本編前に「インナー・ワーキング」という短編アニメが流れたのですが、これが佳くってねえ…。 地味な眼鏡会社員が毎日つまらない仕事をしていて、心臓とか胃袋とかは「美味しいもの食べたい」「海行きたい」ってドキドキするんだけど、理性をつかさどる脳が「好き勝手生きてたら死んじゃうだろが!」と手綱を握って引き留める。 でもつまらない仕事をしているうちに心臓の鼓動も肺の呼吸もだんだん力をなくしていくんですよね。 これを観たからって、自分が突然職場を飛び出して「有明海ひゃっほー!」とか行く訳にはいかないんだけど、いや有給取ってそうすべきなのかもしらん。 エンドクレジットでハッピーエンドなのだと分かる絵が映るんだけど、いいよね、やっぱりはぴえんはいい。 はぴえんは監督の甲斐性……。 と、まあ本編開始前から既に泣いてるんですよ……。 それからモアナが終わるまでほぼ泣きっぱなしだったんですよ。 鼻通りがよくなりすぎて、手持ちのポケットティッシュを全部使い切った。 さてと「モアナ」ですが作中ほとんど泣いたとは今言ったばかりですが、泣き所以外でも泣いているんですな。 自分でもだらだら流れてくる涙に「何故今泣いているんだ…?」と疑問が湧いたんだが…。 考えるに「映画だ」「喋っていることが分かる」「何が起きているのか分かる」それだけでもう感動しちゃったんじゃないかなあ……。 最近、文字を読んで音として変換されるんだけど意味が分からない、パッと見た時新聞記事が読めないっていう集中力等々の衰えに対する恐怖心というか焦りが常にあって、その焦りから解き放たれて映画に集中できた、その快楽なんじゃないかなと思う。 吹替で良かったのかもしれない。 で、映画そのものについて。 モアナの予告を観た時点では「もう観ない」と思っていました。 心優しい女の子がよく分かんないけど海に出て最終的にはぴえんなんでしょ、別にいいわ、と。 劣等感が刺激されたのもある。 そしたら観た人の感想が「海のマッドマックス」だから、え? マッドマックスなら観なきゃだよな? ようやく観る気になったのでした。 マッドマックスやるったって海だよ? 難しくない? 雰囲気的な話? と思ったけどもろにマッドマックスでした。 あははははー! たーのしー!! この一番楽しい部分、心躍る部分、胸にグッとくる部分全部こそいだ予告編、薄味どころじゃないわ。 予告では船幽霊っぽいものと並走してるシーンがあって「笑ってる場合じゃないだろ」と思ってたけど、あれは一族の絆を感じるグッとくるシーンだったんだよ。 それなりにいいシーンを繋げてあるけど、薄味どころか無味になってるあの予告には文句が……いや、私はもう観られたからいいけど、もっと客足伸ばしたい作品じゃないですか。 マウイは良かったね…さらにはマウイの刺青ね、あの演出大好きですよ私……。 アニメーションだからこそできる演出だよなあ。小説だともっと静的になってしまう。 躍動感やコミカルさはアニメならではの心地よさよ。 全体的に「やりたいこと全力でやりました!」っていう心地よさがある。 マッドマックスしかり、クライマックスしかり。 火の神の正体が心を失った生命の女神であったというのは、もののけ姫ですよねえ。 もののけ姫では、首は返したけど、物語的には観客は結構放り出された感じなので、そこんところを「もっとハッピーエンドにしたいんだよ!」と女神完全復活させるのはディズニーだからいいと思うの 逆に観客を放り出しちゃうのはパヤオさんだから仕方ないと思うの。 モアナとマウイの関係も、アシタカとサンはあの後どうなったんだろう…ってぼんやりするしかなかったのが、今回人の世と人外の領域に分かれたところまでは同じだけど海へ出たモアナのところにちゃんと飛んできましたからねマウイ。 冒険中の距離感が続いていると教えてくれるラストシーンは、これからモアナの冒険はまだたくさんあるだろうと想像させて、二人の関係性だけじゃなくて世界の続き・物語の続きとしてもヒントを与えて想像させてくれるところがディズニーのいいところよねえ。 いや、個人的にはパヤオさん的作りは結構好きで、自分もああいうのをやっちゃうんだが。 最後に思い出したのでニワトリの話。 今作のアスペの子枠だったと思う。 こういう見方を覚えなきゃ「変なニワトリだなあ」で終わってたはず。気づけてよかった。 冒険を経ると物語冒頭と最後ではキャラクターが成長なり何なりで変化するものですが、ニワトリはそのちょっと変な性質というのが変わらないまま、ありのままの彼として存在していられるんですよ。 無論、変なニワトリを飼っていてもという意見から「食っちゃうか?」などという提案はされるのですが、そのままのニワトリに時には手を焼きながらも受容したのは、誰よりニワトリのそばにいるモアナで、モアナが受容してくれているからこそ、ニワトリは変なニワトリのままそこにいられる訳で(マウイは変かどうかに関わらずデザートにしようとした)。 以前の物語展開だと、変な性質が少し薄れてノーマライズされる=ハッピーエンドだったけど、ニワトリが変なまま変わらないのは少しずつ認識が変わってきた証拠かな。 まだファインディング・ドリーを見ていません…。 他にも、村の因習から解放される少女の話にとどまらず、まず村の成り立ちとは、我らの来し方行く末はというのを考えさせて納得させる、そこんところもかなり点数高かったです。 |