「沈黙 ―サイレンス―」感想



ふと振り返れば、私はマーティン・スコセッシの映画が好きなのかもしれない。
彼の映画を作る姿勢や見せ方は、私がこうありたいものの更に先をゆく。
虫の声から始まる暗闇のオープニング、細く感情を抑えた文字で描かれる「Silence」。

つらいシーンも多かったのに、寧ろ辛苦の連続だったのに見終えて感じるのは充足感だ。
そして考え続けている。
様々なことを考え続けている。
基督教のこと、神のこと、信仰のこと、日本という国のこと。
長崎のこと、侍や長崎奉行のこと、貧しい人々のこと、己のこと。

宗教は人を救うためにあるのか。
否、人を救うために存在する以前に、尊ばれる何かが存在しているのか。
神は人を救わなくてもいいのだろうか。

考え始めると終わりがない。
ここで終われば、あの時代ポルトガル人宣教師達は日本に来ることなどなかった。
この映画レビューで全部を語り尽くさなくてもいい。
これから時々、考えては語っていきたいと思う。

さて、つらい映画だと思っていたけれども、今まで観た映画のトップ10に食い込む「好きな映画」になったのではなかろうか。
BGMはほとんどなく、聞こえてくるのは虫の音や波音だ。
観客はその場にいさせられる。
澳門、トモギ村、五島、長崎、奉行所の白く乾いた土の上。
そこに事実存在した人々の生きている姿、死にゆく姿を見せられる。
ありのままの姿であるようで、時には主観の、一人の人物の目に映るものとして。
カメラワークや演出に、ありとあらゆる演出を全力でやれ!と言われている気がした。
昨夜の「マグニフィセント・セブン」も面白いことは全部やり尽くせと教わったけれども、やるんだよ、と鉄の塊を握りしめた拳を前に突き出すような、やらなければという意志の力を感じる。

この映画に出演した人々はどれだけ身体と心を絞ったことだろう。
学生時代、舞台に立つ側をやっていたけれども、今ようやく演じるということは何なのか理解できた気がする。