「スパイダーマン ホームカミング(吹替)」感想 なんてキュートな映画なのかしら…。 ピーター・パーカーも、彼の目に見える彼の社会もキュート。でもそれは15歳の目に見える範囲だからこそキュートに見える社会であって、キュートな彼を取り巻く世界はもっと様々な色を孕んでいる。それは冒頭から示されていて、物語が進むごとにピーター・パーカーのキュートな世界と善悪闇鍋の世界の軋轢が露わになり、私は自分のことも同時に振り返りつつ辛くなった。この映画はジュブナイルだと教わっていたけれど、なんて、素敵な…。映画館では泣かなかったのに、今、じんわり泣けてきたなあ。 ヒーロー物には敵が必要。いわゆるヒーローのいない我々の現実世界でも犯罪は絶えないのだから、同種の犯罪はヒーロー物の世界にも存在して、スパイダーマンはそれを相手にするだけでも活躍できる存在なのだ本来。若さ故の視野の狭さなどで色々ポカはするものの、彼は親愛なる隣人として彼を取り巻くキュートな世界を守ることができる。でもこれはヒーロー映画なのだ。もっと巨悪、闇を身に纏ったような敵が必要なのだ。でもこの映画の敵は、罪悪感なく殺していい敵ではない。その正体が明かされた時、映画館の私は手で口を覆った。オウ、神様……。 ピーター・パーカーはヒーローであるために決断をくださなきゃいけないんだけど、ヒーローであるためというか、あの決断を目の前にした時から既にヒーローだったんだろうな。提示されたキュートな世界への逃げ道に下りず、選択肢を目の前にした時点で既に。そして彼はスパイダーマンとして為すべきと信じた正義のために行動するし、そのことで色んなものを失う。また、物語冒頭で提示されたのと同じ悲劇も作り出す。しかも今度の悲劇は自分の目に見える世界にも影響を与えるものだ。そこまで想像できていただろうか、15歳…。彼はまだ子どもで、若い、と思っているけれど、頭のいい子であることは確かなんですよね。 若者らしい彼の失敗は見ていてつらかったし(私ももうちょっと大人らしく仕事できないか…)、彼の感情を追いかけるのは胸が苦しくなるけど、でもやっぱりキュートな映画だった。映画の終わりの瞬間(メイおばさん最高ですね)、エンドロールのカラフルな世界、ああ、これがトムホのスパイダーマンなんだ……っていうかスパイダーマンの映画をまともに観たのはこれが初めてなのですが……。 予告でもたくさん出てきたスタークさん。ハグのシーンは何度も見たいくらいです。意外と胸を抉ってきたのはアイアンマンスーツから出てくるスタークさんのシーンで、予告を見た時は「お説教タイムか…」と映画にはままあるシーンだなくらいにしか思っていなかったのですが、スタークさんが出てくる直前のピーター・パーカーの科白と合わせるとあそこは胸を抉られるのですよ。ヒーローの先輩後輩というより、やっぱり、トニー・スタークも劇中で何度かこぼしているけれど彼らの関係は父と息子のそれに近い。でもトニー・スタークもそれを自信持ってこなせている訳ではなく、ぎこちなくて、そのぎこちなさがリアルに父親らしくもあり、また彼らが他人同士という関係の中で自覚以上の絆を持っている証拠としてトニー・スタークからは過度な父親っぽさ、ピーター・パーカーからは尊敬という距離以上に求める願望故に詰る姿が出てきて、あのスーツから出てくるシーンは抉られるけど、とても好きです。あとスーツを脱いだら真っ裸になっちゃうピーター・パーカーに服は調達してくれる経営者でありお金持ちの「当然」という感覚、好きです。私、アイアンマンもちゃんと観たことないんですよね……。 っていうか私のマーベル映画の出発点はドクター・ストレンジとGotGですよ、まだ今年ですよ。 吹き替えもそんなに文句はなくて、でも、文字の出方とかはオリジナルのが見たいかなと思われるので、これも例に漏れず字幕を見なければなりますまい…。あと日本オリジナルEDテーマは字幕でも流れるのかしら? 元のエンドロールを見せてほしいんだけどな…。(パッセンジャーの時の脱力感、今でも赦せない) 最後にこれを言わなければ感想ではなかった。カレン! すぐに瞬殺をオススメしてくるカレン! 好き! 好きだ! カレンが大好きだ! 映画の最中はだいたい胸の中でそう叫んでいました。カレンーーーー! 私だーーーーーー! アップルウォッチの中に入ってくれーーーーーー! |