冬の暖はおんぶして






「何しよっとか」
「おんぶ」
「見れば分かる」
 雪がちらつく。今年は九州にもよく雪が降る。
 本州の人間は九州を南国と捉えているものが多い。大いに違う。山間部に雪が降るのは例年のことである。スキー場とてあるのだ。寒さに驚く観光客は少なくない。
 遠く平野の向こう、視界の終わりを描く九州山脈の姿も今日はぼうとして霞んでいる。空と区別なしに白く霞んでいるところ、やはり雪が降っている。熊本にしろ佐賀にしろ、例会所は平野にあるから近年ではなかなか積もらない。今日も冷たい風の吹きつける他、静かである。田も刈り取られ、見渡す限りは乾いた土と稲の刈り跡の薄い枯れ色と混じり合って、天の低さもあいなり全体灰色の景色が平らかに広がっている。その端が白く霞んで雪である。
 何もない庭に大分が佇んでいる。背に宮崎を負っている。庭は熊本が掃いてしまって枯葉も何もない。見るべきものもない。ただ、淡い微笑だけ含んで佇んでいる。熊本の背後からは時々食器の音がする。食事もあらかた済んで、場は酒盛りに移行している。まず鹿児島が呑んでいる。福岡もそれから間を置かず飲み始める。福岡が差し出すので、長崎も杯を傾ける。飲まないのは佐賀だけだから、今皿を片付けているのは佐賀だろう。一番の酒豪が庭で大分に背負われていた。 熊本の手元には落花生の袋がある。食べては殻を庭に放る。どうせ掃除をするのは自分だから構うまい。落花生をぽりぽり囓りながらどうしてそれをしているのか分からない大分と宮崎を見ている。
 座敷の三人とも寒いとは言わない。ちょうどむせるほど熱の籠もったところであった。涼しい風が首筋を冷やし、そこを熱い酒が流れ込む。喋っているのは鹿児島と長崎だ。福岡が黙っているのは、長崎の横顔か鹿児島の胸を見ているからに違いない。その向こうから微かに水音が聞こえた。洗い物をするのは損な役回りの男。喰い足りんと言うと自分に落花生の袋を押しつけた。まるで子供扱いである。
「なあ、何ばしよっとや」
「大分君は、ぬくい」
 背中から答える言葉に笑顔になって、大分はゆったりとした動きで背中の宮崎を揺すぶる。
「宮崎の方がぬくい」
「うそー」
 宮崎はきゃっきゃと声を上げ、足をばたつかせる。素足に下駄である。しかし寒そうではない。熊本の目から見ても寒そうでない。外海の…、と熊本は灰色の景色の上にぼんやり思い浮かべる。外海に対する憧れがないでもない。二県の面するのは太平洋と瀬戸内の温暖な海である。命育む有明海とはまた色の違う、鮮やかな海である。このような曇りの日、内海はいっそう色がない。暗くも明るくもない。冬の灰色の海を眺めていると熊本は虚無的な心地になる。酒が飲みたくなる。寂しくなる。女を抱きたくなる。明るい海のそばに佇む綺麗な女を思い出す。ひどく、恋しくなる。ぬくければこのような気持ちもあるまいに。負うて負ぶわれてぬくいか。笑うか。人前で溜息をつくが男ではないから、熊本は落花生を頬張って、それでも足りずに握った一塊投げつけた。ばらばらと乾いた音。鬼は外、と宮崎が睨む。
「何ばしよるか!」
「意地悪しないで」
「男の嫉妬は醜かぞ」
 鹿児島、長崎、福岡に背からまたそれぞれ投げられた言葉は落花生より乱暴に熊本の頭を打つ。
「…今日は何ばしぎゃ集まったつだか」
「今更例会で何ばするもなかろうもん」
「ホークスの応援!」
「それたい」
 庭から飛んだ無邪気な声に、福岡がビシッと指をさした。
「とゆー訳で今年のキャンプ日程ば教えてやる。土日、暇なやつは行かんや?」
「ぬしゃ長崎しか見よらん」
「何や、嫉妬か? お前も行くや?」
 阿呆らしいと鹿児島は頬杖をついた。胸元がだいぶ開いている。
「大分君、ぼくたちも飲もう」
「いいよ」
 大分は宮崎を背負ったまま玄関から入る。草履を脱ぐ微かな音を熊本は聞く。こつんと後頭部に何かがぶつかった。落花生だ。
「寒か」
 鹿児島が睨む。
「こん程度で寒かや」
 熊本は立ち上がって膝の上の殻を払い、縁側に落ちたのを足の裏で外に掃き出した。ずいぶんお行儀のいい、と長崎が言う。聞こえないふりをして手を叩いた。
「さていただこう」
「わぁい」
 とすん、と足音。宮崎が畳の上に下ろされる。二人、炬燵の残った面にぎゅうぎゅうと座りながらはしゃぐが、そう喧しくもない。存外の心地よさがある。
「麦?」
「じゃあ麦から」
 大分が身体を捩って台所に声をかける。ぶっきらぼうな返事が返ってくる。佐賀が持ってきたボトルに見覚えがなかったから、これは熊本が会所に置いていたものでなく大分の土産だろう。盆の上には蜜柑が載っている。津久見のか。ああそうだ、と熊本は思い出した。
「佐賀」
「自分で行け」
 炬燵に入り蜜柑に手をかけた佐賀はもう動こうとせず、ぎろりと熊本を睨め上げるだけだった。熊本はしょうがなく自分で玄関に行き、靴箱の上に飾ってあった晩白柚を小脇に、台所から包丁を取って戻ってきた。炬燵の四方、埋まっている。
「おっも入れっくれ」
「もう少し可愛くねだれ」
「意味ん分からん。なんとんつくれんこつばっか言うな」
 福岡の隣に身体を押し込み、しんぶん、と言うと大分が取ってくれた。その時、ちょっとだけ手が触って、確かにあたたかいと思う。晩白柚の分厚い皮を剥き「帽子」と宮崎の頭に乗せた。
「子供じゃなかよ?」
 宮崎は両手で頬杖をついてにっこり笑う。
「河童」
 蔕の側、まん丸に切れた皮を隣の大分の頭に載せてやった。
「酸っぱい」
 長崎がきゅっと目を瞑る。
「そっが良か」
 新しく分けた房を隣に回す。女の掌ほどもある房である。一同、酸いか酸いかと言いながら次に手を出す。
「福岡」
「うん?」
 熊本は隣の男に話しかける。
「ホークスキャンプ、行ってもよかぞ」
「…ワイか」
 あからさまにがっかりした様子だった。
「来るの?」
 頭に晩白柚の帽子を被ったまま、宮崎が笑う。
「ループ橋から落ちないようにね」
 明日には山地一帯真っ白になっていることだろう。ホークスキャンプ、土日、と熊本は新聞の週間天気を探す。佐賀が自分のところの皮をひょいと持ち上げる。灰色の雲のマークが並ぶ。 吹きつけた風に縁側の戸ががたがたと鳴った。降るかもね、と内緒話をするように大分が囁いた。




2015.1.29 しゃさんの県擬の二次。現代。