供日の集い、或いは今年のトレンド




 よく晴れている。秋晴れと言うには暑い。日差しの強さに、特に以北の観光客は参るそうである。
 ガラス戸を開けると熱い風とともに坂の下の鉦の音がちらほらとここまで届いた。福岡や熊本が昂揚する精神を押さえきれず、うずうずと下界を覗き込む。祭りの鉦の音はすっかり染みついた己の鼓動にも似る。 熊本が背後を振り向いた。テーブルの上に散らかった写真を、佐賀が年代順に並べている。裏に日付が書かれている訳でもないのに、己が家の写真ではないのに、よくも分かるものである。乾いた音がかさり、かさりと重なる。眼鏡の奥の感情は窺えない、相変わらずの仏頂面だ。
「おい」
 声をかけると、
「唐津と佐賀は違う」
 と、問いに至る前に答えを言われた。
「まだ苦労しよるな」
 福岡は横目に視線だけ遣って笑った。何かにつけ地味な印象の佐賀の内、唐津とそのくんちだけは異彩を放つ。いかにも彼の性格ではない。
「大人しいふりして曲者なのよ」
 鹿児島がファミコンの画面から目を離さず言った。
「…っていうかファミコンや!?」
「うっさいわね。次のBダッシュジャンプ失敗したら殺す」
「マリオや!?」
「押し入れの中にあったんだよ」
 2P用のコントローラーを握った宮崎が言うと、クローゼットよ、と優しい声がかけられた。
「呆れた。まだ動くのね」
「長崎、お前、ファミコンとか持っとたつや」
「いけない?」
「いけなくは、なか」
 長崎の手にしたお菓子の箱は、その印刷を見る限りかなり古いもので、その中にも写真が山のように入っているのが見えた。
「あったかしら」
 長崎の手袋をしていない手が佐賀の肩に載せられ、後ろから覗き込む。
「江戸時代のはずだから、多分そっちの箱だと思うんだけれど」
「それは違うのか」
「あなたが洋装ばっかり」
 長崎は向かいに腰をかけて箱の中身を取り出し始めた。あっという間にテーブルの上が散らかる。
「おい…」
 声をかけながら佐賀は自分の整理した写真を引き寄せ始めた。
「混ざるぞ」
「あなたがいるわ」
「どれだけ時間がかかると思う」
 溜息をつきながら佐賀は、何とか順序よく並べたものを重ねて積み上げた。
「何ば探しよると」
 些か言葉遣いを軟化させて熊本が尋ねた。何とか割り込んだ科白だった。福岡は黙って煙管をくゆらせ、祭りの行列を遠目に眺める。
「熊本もいる写真よ」
「おれも」
「熊本と佐賀が眼鏡をかけている写真」
「眼鏡?」
 かけた記憶がない。佐賀は昔からかけている。いつのことだろう。何故か風土記を書いていた頃を思い出した。よく夜更かしをした。人間の夏休みの宿題のように、遅くまで佐賀が手伝ってくれたような気もする。その頃から眼鏡をかけていたような気さえする。あの時代にないのは分かっているのだが。
「馬鹿がふざけたんだろ」
 Bダッシュジャンプを成功させた鹿児島が声を弾ませて言った。いいえ、と微笑み長崎は振り返る。
「格好をつけているの」
「いよいよ馬鹿じゃ」
「昨夜、寝る前に思い出したら気になって仕方がないのよ」
 鉦の音が一際近くに聞こえた。あまりに近かったので皆、振り返った。キッチンに通じるドアを大分が開けている。ラジオをかけているようである。祭りの中継をこのマイペースな男は一人で楽しんでいたらしい。
「見つかったかい」
 紅茶を載せたトレーを置こうとして、あらら、と再び持ち上げた。
「足の踏み場もないならぬ、紅茶で一休みの間もないかしら」
「いただくわ」
 そのためにソーサーがあるんですもの、と長崎は一杯を受け取り口にする。大分は鹿児島には声をかけず宮崎に二杯渡した。福岡がこれまた振り向かないまま優雅な仕草でカップを受け取り、熊本の目の前に差し出された時、そこには二つしか並んでいない。熊本が取る。大分が取る。もう一度テーブルを振り返ると、いつの間にか佐賀はそれを飲み干そうとしている。
「お茶は嬉野」
 呟きながら大分は祭り見物の列に加わる。
「いや、あれマジでいつ取った」
「意外と要領がいいんだねえ」
「狡か」
 福岡が片頬持ち上げた笑顔をカップで隠しながら、呟くには大きな声で言う。
「狡かけん、大河ドラマでも嫌われる」
「そりゃ、地味だけんだろが」
「地味で、狡か」
 福岡と熊本はひひひと笑い、大分は言われっぱなしでいいのかという視線を軽く投げはしたが、佐賀は言われっぱなしにするし周囲もフォローはしない。ッシャ!クリア!と叫ぶ鹿児島が流れを断ち切ってしまい、それぎりになった。
 皆、適度に疲れている。心地よく、だるい。長崎は落ち着いている。地元の祭りなのに。理由は明瞭だった。爆竹では、昨夜飽きるほどに遊び倒したのだ。長崎は肌艶がよかった。男衆はだるさを隠さない。 飲み終えたカップとソーサーを置こうとすると、その下に敷かれようとした写真を佐賀が取り上げた。洋装の福岡が写っている。髪を短く切り、ステッキをついている。長崎に返すその時、裏に文字が見えた。写真館の名と日付が入っていた。福岡自身の字だと佐賀は気づいたが、何を言うでもない。
「あった?」
「空いているアルバムはないのか」
「まあ。作ってくれるの?」
 ナカバヤシのフエルアルバムがあったのよ、と長崎はクローゼットを開ける。
「なんや。いつ新婚さんいらっしゃいに出た」
 福岡がやはり祭りに目を落としたまま尋ねる。
「あら、忘れたの」
「覚えとらんなぁ」
「いつか整理すると思って買ったのよ。台風の前、いつだったかしら、そこのガラス、あんまり危なかったものだから、私、紙テープを買いに行って」
 独り言のように長崎の語りは続く。今、ファミコン画面に動く小さな人形を動かしているのは宮崎だ。鹿児島は後ろ手をついて、興味なさそうながらも長崎の話を聞いている。
「大きなお店にいくとついつい目移りするから。ほら、革装なの。いいでしょう。合皮だけれど、このブルー、いい色が出ていると思わなくて?」
「深い海ね」
 鹿児島が言った。
「あんまり晴れてる日、波だけピカピカ光って、その下は暗くて深くってさ、冷たいのよ。そういう色」
「あら、文学的」
 手にしたアルバムは合皮とは言うが、長崎の手に抱かれると揺籃期の稀覯本かとさえ見える。ブルーと、レッドと、ブラウンね、三冊セットだから買ってしまったの、と長崎は言葉を結んだ。しばらく誰も黙っているので、俯いて仕分けをしていた佐賀が顔を上げた。長崎と鹿児島がじっと見ている。
「貸せよ」
 佐賀が手を伸ばすと、ブルーよ、と言いながら長崎が内一冊を手渡した。
「発掘が先、ね。整理はその後で構わないから」
 佐賀は答えない。腹を立てているのではない。気の利いた返事をできないだけだ。福岡が口の中でアズ・ユー・ウィッシュと呟く。それは熊本の頭の中にも定型の訳文があった。お気に召すまま、だ。 祭りの賑やかさは熱い風に遮られて遠く、午後は気怠い時を重ねる。鹿児島はマリオに躍起になったが、宮崎は飽きてしまったのか鹿児島があぐらをかいたのを枕に眠ってしまった。見物の列には酒が出て、ちびちびやりながら気が向けば話し、気が向かなければ話さない。退屈にじんわり酔っているので、あまり話さない。
「これか」
 と佐賀が呟いた時、それは小さな声だったが、暇人の興味を惹いた。見つかったようではある。だが佐賀はそれを手渡さず、眉間に皺を寄せてじっと睨みつけている。白い手がテーブル越しに伸びてそれを取り上げた。
「これ、これ」
「何」
「これを探していたの。おかしいでしょう」
 佐賀の溜息が大きくなった。おかしいでしょう、だ。その通りである。鹿児島は目にした途端に爆笑した。宮崎はまだ寝ている。そこで写真は大分の手に渡り、珍しくかの男に活動的な笑いを起こさせた。
「格好つけてるな。当時の最先端だ。間違いない」
「見せろ」
 熊本が手を伸ばしたが、どれ、と頭越しに手を伸ばす福岡の方がリーチが長い。福岡はげらげら笑った。笑って足をばたつかせ、さんざん裾を乱して褌まではみ出させたが一向に男ぶりが下がるということはない。
「見せんか!」
 ようやく取り上げた熊本は自分でも笑うところだった。
 眼鏡はそういえば当時、とても珍しかったのである。佐賀がそれをつけて船を指揮したり大砲の試射などをすると、先進的でえらく偉い男が威張っているようにも見えた。だから自分もかけてみたいと輸入されたばかりの眼鏡を佐賀からこっそり買い、偉い自分を記念の写真に残したのである。「今年のトレンド」というキャプションをつけてアルバムに仕舞ったことも思い出した。家に戻ればあるはずだ。佐賀と二人並んで口髭つきの鼻眼鏡をかけふんぞり返っている写真が。
「喰え」
「は?」
 佐賀の言葉に熊本は聞き返した。
「喰え。証拠を隠滅しろ」
「お前が喰え」
「馬鹿が。喰わするか」
 福岡は写真を取り返し、やっと立ち上がると長崎の前に腰を折って写真を差し出した。
「わいた。色男の写真もあるぞ。似合うとるなあ。ピカピカのスーツに中折れ帽にステッキときたか。こらぁ勝てん」
 長崎はそれには構わず、返された写真を再び佐賀の手に戻した。
「破っちゃ厭よ」
「…君の物だ」
 佐賀は律儀にそれも年代順に並べた中に仕舞い、漏れる溜息を隠さないながらも空のアルバムを広げる。
「後でせんね。もう夕方」
 鹿児島が伸びをする。
「佐賀! 飯!」
「あら、夜店に行かない?」
「飯粒喰いたい。米。お米食べないと死ぬ」
 そして命令するだけして自分では動かない。佐賀はもう溜息もつかず立ち上がりキッチンに向かう。
「手伝いましょうか?」
「いい」
「でも私がホストよ?」
「いいから」
 立ち去り際、テーブルの上に目を遣った。それ以上散らかさないでくれよ、と小さな声が言った。
「さあ。ご飯の時間までお片付け」
 言うが、長崎は一枚箱に仕舞っては手にした一枚に見入る。時々黙って微笑んでいる。熊本はどんな写真を見て笑っているのか知りたいと思ったが、矜恃があるから何となく近づけない。佐賀のいなくなった分、椅子を引いてきて隣に座り一枚一枚覗き込む福岡が羨ましい。大分が焼酎を傾けていた。コップを差し出した。
「素直にならずに後悔した男は多い」
 大分が囁いた。
「武士は食わねど何とやら」
 熊本は低く言い返した。ふふんと大分が笑った。
「なんや」
「そういうところは兄弟だね」
「は?」
「佐賀に似てる」
「九州男児はそやんもんだろが」
「俺は自覚ないなあ」
「おまえはな」
 秋の夕暮れという言葉には遠い。九月の日はまだまだ高い。眼下に海が輝いている。波がキラキラ輝く下。ブルー、と熊本は口の中で呟く。長崎はこちらに見向きもせず写真に見入っている。






2015.2 しゃさんの県擬の二次。現代。