君を護れなくば、死を




 鼾が聞こえる。長崎は天井を見上げ、ああ、と声にならない息を吐いた。まだ汗に濡れた肌は冷めやらない。果てたばかりだった。男の身体が重たくのしかかっている。重くて…。
 ――何の匂いかしら。
 女は思った。鉄の。火薬の。否、彼が最近まとわせるようになった匂いばかりでなく。
 しかし思い出や余韻に浸る気はなかった。今宵、そのような気分は早くから失せていた。早くひとりになって眠りたいとさえ思った。まして。
 ――寝ちょる。
 女をひとり放って寝てしまっている。芯から眠っているようだ。長崎が身体を捩ろうとしても起きない。動きさえしない。福岡ならば自分を放って寝てしまうことなどない。あっても目覚めてからの愛嬌があり埋め合わせがある。自分の上で鼾をかく男にはかけらもないものである。
 男は長崎の乳房にしがみつくようにして眠っていた。女はそれを引きはがそうかと考えて結局天井を見上げ脱力するに留まった。
 ――うるさい男は嫌われるわよ。
 乱れた髪の毛をつんつんと引っ張る。それでも男は起きない。身体の内に残った力を使い果たしたかのごとく眠っている。
 男が寝る間も惜しんで異国の書に顔を突っ込んでいたことは知っている。この港からやってくる物を貪欲にかき集め、学んでいる。そして学びえたこと、成そうとしていること、すべて語ってきかせた。らんらんと光る眼で女を裸に剥きながら、手とは別に、身体とは別に、尚忙しく口は動いてしゃべり続けた。抱かれている最中でなければそのあまりの滑稽さ、笑ってやったのだけれど。
 女はぐったりと腕を上げ、目を覆った。
 伝播した熱がまだ身体の奥に残っている。
 ――ちっとだけ。
 少しだけだ。それでもわずかに浮かされた。男がじっと自分を見たから。自分の目を見て語り掛け続けたから。中身は鉄と火薬と、船を沈め人を殺す技のことばかりなのに。福岡なら自分の麗しさを讃えてくれる、それと同じ熱心さで。
 ――うちじゃなかったら、振られちょる。
 そこまで考えて、ふと、この男が誰かを抱くのだろうかと思った。大砲の話をしながら、鉄に刻まれた溝の話をしながら、誰を。女、といえば鹿児島の凛とした姿が浮かんだが、あれは佐賀と長いこと仲が悪い。
 人間の女を抱くだろうか、この男は。
 むらむらと怒りの焔が胸の奥に湧いた。女は自分の乳房にしがみついたまま鼾を続ける男の髪を引っ張り、短く声を上げた。
「起きて」
「あ…」
「起きなさいってば」
 頭をぽかぽかと打ち、相手が顔を上げたところで両頬を掴んだ。
 男は目を見開く。
「どやんした」
「寝てないで」
 果てたのは男ばかりだ。自分は違う。まだ満足しきっていない。
 太股に触れるものに手を伸ばす。導かずとも、目の覚めた男は既に食らう気でいる。勝手に熱を伝染しておいて、勝手に寝るなど許されるものか。
 ――役に立たなければ切り落としてやるんだから。
 冗談ではなく、そう思った。






2015.1 しゃさんの県擬の二次。富国強兵に努める佐賀。