ロビイストの苦い珈琲







 ボク、昔からキミのこと気に入っててな…。
 ロビーには遠く靴音が反響する。スーツ、致し方なし。革靴、致し方なし。が、安い珈琲には我慢ならぬと思っていたのが主催の心配りによりまずまずの香り。紙のカップではあるけれども。モノクルが一瞬湯気に曇り、晴れる。奥の憂鬱そうに細めた目。
「キミぃ、昔から着るもののセンスも良えし、愛想も良えし、ほんま気に入っとったんや」
 全てを反対の意味で捉えればいい。この男との会話はそうだ。会話すら成立しない。佐賀はただ佇んでそれを聞くだけである。言葉の表面的な甘ささえ既に形骸化したそれを。佐賀は珈琲を飲み干した。空のカップを手の中で弄び、これは行儀のよくない行為だと捨てる為に男に背を向けた。一瞬耳元を吹いた風に男が呼び戻すのかと錯覚したが、それはエアコンの風に過ぎない。ぬるく、男の息とはまるで違う。
 ロビーに高く反響する。己の足音だ。背後の声が増える。男が福島と名を呼ぶ。あの熊女の名でなかっただけまし。目の前には熊がいる。
「佐賀」
 両手に二杯の珈琲を持った自分の弟。
「京都や。何てや」
「何も」
「なんか言いよったろが」
 右手の珈琲を飲み干す。まだなみなみと残った左手のそれを取り上げ熊本のケチくさい表情を目蓋で遮り飲み干した。火傷をしたのは喉の奥。否、本物の火傷ではなくそのような気がするばかり。熱く、香りのよい真っ黒な液体が与えたイメージに過ぎない。溜息とともに香りは鼻から抜ける。
「佐賀」
 過去は過去だ。目蓋を開き、目の前のボサボサ頭を撫でて更にボサボサにする。
「なんばすっとやぁ」
「ガキみたいな声を出すな」
 笑いかけたつもりだが熊本は恐ろしいものでも見た顔をこちらに向ける。佐賀は高い天井を仰ぎ、曇天に濾されてとどく灰色の光が白い壁を撫でるのを眺めた。雨音はじき、聞こえた。それさえ聞けば安心をする。田を打つ雨音。港を濡らす青い雨。
「長崎」
 振り返り、呼べばそこにいる。
「おかわりは」
「いいえ、結構」
 女は白い柱にもたれかかり、不服そうな上目遣い。億劫な会議は午後三時より再開される。




しゃさんの県擬の二次。