一つ屋根の下にありき
二つの身体ありき
常闇。寝間にいるとは思われぬ。息を殺す。
蒲団を撥ね退け枕元のものを取れば、確かに近づくものの気配がある。
やはり、だ。
刃は闇を裂く。だがその向こうも闇である。
常闇。
二度、三度と斬る。
果てがない。だが男は刀をふるう。満身に力を漲らせ。
「誰を斬るつもり」
背から声。反射的に刃を向けそうになるが、女の声、女の気配、膚に馴染んだものであればそれに刃を向けることなどありはしない。決して、もう二度と。佐賀はそう思うている。
襖をわずかに開けて、女は半身を覗かせる。廊下の闇に白い顔がぼうと浮かび上がる。眉根に、唇の端にかすかに浮かんだ不機嫌が今日も些細なきっかけから爆発しそうな気配がある。しかしどうしたって長崎は怒るだろう。自分のやることなすこと、今はとにかく全て気に入らないのだ。
「君を害するものあれば、誰だろうと」
佐賀は真面目に答えた。
「殊勝な心がけですこと。じゃあ自害なさいと言ったら、あなた、そうする?」
己が長崎を害す、か。
たとえ長崎が本気でなかろうと、今の佐賀には長崎の言葉は絶対で、彼女の言うことならば否やはない。全て従うよりない。
「望むのであれば」
「刀を収めなさい」
ぴしゃりと言い捨て、女は背を向けた。
「汗を流してきて。嫌よ、匂いがこもって…」
白い手が襟元を仰ぐ。手袋をしている…と気づいた。海を渡った白く、薄く、細かな織りの。よく似合っている。美しい。
「長崎」
女は足を止めない。襖を開け、遠ざかる背中に男はすまないと声をかけた。肩口で鼻をならす。確かに汗くさい。
泥くさい、か。
収める刃の光に腹を貫く様を幻視した。そこに笑みはなかった。女もそうだったろう。
しかし長崎は男が湯を使うものと疑っていないようで、庭へ下りようとするのを見て、まあ、と眉を持ち上げた。
湯殿へ向かう間、後に従うがごときかたちで歩く様に俯くと女は溜息をついた。
「子供じゃないんだから」
「………」
「ここは謝るところではなくて?」
そうは思われないから黙っている。長崎は振り向き、ぱちりと扇子を鳴らした。
「蒲団が傷んでしまうじゃない」
「…すまない」
「それにね、あなた」
扇子の先がつ…と汗にまみれた首筋をなぞった。
「あなた、長崎なのだから。綺麗にしてもらわなくっちゃ、嗤われるのは私なんだから」
男はぐっと黙り込んだ。女は眸を鋭くし、唇の両端を三日月のように吊り上げた。
「嫌でも仕方がないわよ」
あなた、長崎なのよ。女は言い、扇子の先が心臓の上を突いた。
「分かったなら綺麗にしてきてちょうだい。私、疲れたわ。待たないわよ」
女の手を掴むことさえできなかった。矜恃は侮辱されたままでなるかと喚いたが、心の奥は黙っておれと矜恃さえ重たく叱りつけ、また奥の奥底にはただ女を見つめる眼差しがあった。
「長崎」
女は振り返りも返事もしない。待たぬと言った。では待たぬだろう。が故に動くと思われるのは正直なところ癪であるが、事実そうなのだ。全て受け容れるよりない定めだ。女の背中が消える。男は湯殿へ向かう。
脱いだ着物を鼻に押しつける。確かに汗の匂いが染みている。だが、懐かしい。自分の匂いであるはずのそれが胸を突くほど懐かしい。
「長崎」
今は己の名でもあるそれを口にする。佐賀は裸のまま暫し佇み、最後に重たい溜息を一つ落とした。
しゃさんの県擬の二次。
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