奈良の九州征伐記(みやかご編)






 宴の舞が火柱に変わる。歌は悲鳴に、供物も全て炭と化す。めらめらと柱を舐め、炎は屋根に燃え移った。火は雨のように降り注いだ。奈良は剣を佩き、毛皮の敷物の上から睨め上げる双眸を初めて正面から受けた。
「なんだ」
 乱れた衣から覗く豊満な乳房を見下ろし、僅かに顎を持ち上げる。
「女だったのか」
「だからどうした」
 それは髪を振り乱し、歯を剥き出す。ふん、と奈良は笑った。
「後ろから抱いたから気づかなかったぞ」
「貴様!」
 女は枕元の剣をもう一度拾い男に飛びかかった。しかし奈良が袖を一降りするだけで、視界を奪われ無様に転ぶ。
「何も今、向かってくることもあるまい。もっと落ち着いてから来れば、今度は正面から抱いてやるものを」
「殺してやる!」
 しかしいよいよ燃えさかる炎が二人を隔てた。激しい音を立てて柱が裂け倒れ込む。火の川、火の壁だった。奈良は女に背を向け、真っ黒な口のような外へ向け歩き出した。
「待て! 逃げる気か!」
「おれが逃げる? 何故だ」
 ちらりと振り向く。
「もう一度戦え!」
「無理だ」
「無理ではない!」
「もう無理だ、鹿児島。お前は死なぬ。この炎の中でも死なぬ。イザナミを焼いた炎もお前という地を焼き尽くすことはできない。だが人が降った。だからもうおしまいだ、おまえは。覚えておけ。おまえは知らないようだから。国とは我々土地であるばかりではない。人がいるから形を成し、機能するものでもある。おまえの胸や腹に住まう人間がおれにくだった。だから、もう、おまえもおれのものだ」
「たわ言をッ!」
 しかし女が渾身の力で投げつけた剣は炎に焼かれて灰になる。
「焦るな」
 炎の向こうで男は笑った。
「そのうち正面から抱いてやろう。お前はいい女だ」
「ふっ…!」
 鹿児島の喉が引き攣った。
「ふざけるなぁッ!」
 だが囂々と渦巻く炎が男の背も鹿児島の叫びも掻き消してしまった。
 炎を破って飛び出せば暗闇が冷たく身体を洗った。夜闇を飲むように息をした。背後に地鳴りが響き、振り向くと屋根が落ちて大波のような火の粉が空へ立ち昇るところだった。その脇に、細い男が一人立っていた。
 見覚えがある。貴様か、と鹿児島は笑った。唇は反対に歪んだ。貴様か!と叫ぶと男は顔を上げた。目尻の垂れ下がった目が物憂げにこちらを見た。剣は佩いている。だが手をかけてはいない。
 とて。
 容赦などするかよ!
 握り締めた束はぶすぶすと燻り掌を焼くが構わない。焼けた刃を振り上げ、斬りつける。
 剣戟。
 白い稲妻が視界を裂いた。目から、腕から痺れた。目の前で、一太刀を阻んでみせた顔に動顛し、腕から力が抜けた。擦り上げられ、刃は闇を裂いて飛び、遠く湿った地面に突き刺さった。鹿児島は尻餅をついたまま、自分に剣先を向ける姿を見上げた。物憂げな男は白い影に護られるように動かなかった。白い影は男を背後に守り、女が動くのを待っていた。もう一度、剣を手に取れば、少年は迷わず自分を刺すだろう。
「みや…」
 鹿児島は己の声が震えるのを、他人事のように聞いた。表情のない宮崎の表に、うっすらと朱が差した。それが笑みのようにも見えた。照れた子供のような無邪気な顔に、そっと赤く染まる頬。鹿児島の背後にはいつの間にか奈良が立っている。まず跪いたのは宮崎だった。それに従うように福岡がゆっくりと膝をついた。
「みや……?」
「彼は俺に誓ったのだよ」
「何を…言っている」
「僕は今よりのち、汝命の昼夜の守護人として仕え奉らん」
 少年が、言った。




2015.6 しゃさんの県擬の二次。