八月は哀し、夏は楽し






 そは人の営み、人の記憶であろう。ラジオは懐かしい歌を歌うのをやめ、厳粛にニュースを流し始めた。福岡はちゃぶ台に頬杖をつき、蝉の鳴く庭を眺める。街よりに建てた家だから、聞こえるのはやかましい油蝉の声ばかりである。山や里ならばミンミンにツクツクに、日が傾けば青蜩にと耳を楽しませるものであるが。しかし今日は客人があり、賑やかではある。福岡も当の本人も客人であるとは全く思っていないが。よって客人は自ら台所に立って素麺を茹でているのである。
 湯の匂い、茹でられる匂いに、鼻が喜ぶ。胃が急かす。まだか、と声を上げれば、鍋の中身を水にあけようとしてしくじったか、悲鳴が聞こえた。
「急かすな」
 熊本が二人分の素麺を運んでくる。
「お前がとろか」
「自分じゃ働きもせんでから」
 互いに文句を言い合いながら手を合わせ、箸をつける。めんつゆにソースにマヨネーズにと邪道なことをする熊本を横目に、福岡はつゆの水面に薬味をぱらりとやった。
「ずるか。やれ」
「やらん」
「けち」
「お前、食うたら帰れよ」
「なんで」
「出る」
「どこ行くとや。こやん日くらい家におれよ」
「ヒトん都合だろうが」
 カレンダーは八月十五日。暦が出来てから何百何千と繰り返してきた日付の一つ。そこに意味を付けるのは人間の勝手だ。
「無関係じゃなかろもん」
「ヒトくらい」
 どれだけも死ぬ。どれだけ死んできたことか。あの坂、あの浜、あの海で、果たしてどれだけの血が流れ、命が散ったことか。八月十五日。この暦が示すものはたった一つの意味ではない。福岡の記憶は更に昔へ遡る。
 佐賀か、と熊本がぽつり言った。
「趣味ん悪かぞ」
「心配せんちゃよか。おとなしゅう待っとればお前も抱いてやる」
「そやんつもりじゃなか」
 いつもならもっと怒るはずの男は口いっぱいに素麺を詰め込むだけにおさえた。
 八月十五日、旧暦では仲秋の名月。来月も末だ。この暦、苦いと言えばもう二〇〇年も前から苦い。同じ苦さ、目の前の熊本も知っている。熊本のより、自分のが苦い。そして佐賀は。
 異国の船が偽りの旗を掲げ、日ノ本唯一の港に侵攻したのはもう二〇〇年も昔の話である。ヒトにすれば昔話であろう。福岡は、昨日のことのように感じる。八月十五日の暦を見るだに煮え滾る。佐賀の方が己より苦かろうとは思ったことがない。己の味わった苦さに比べれば。己であればかの港を守り切れたかもしれないという、あり得ざる過去を思えば、すぐにでも走っていって殴りつけたくなる。あの時は殴れなかった。結局しまいには二発殴ったが、顔を合わせたその瞬間、殴ることができなかったことをずっと悔やんでいる。
 ので。
「嫌がらせか」
「それもある」
 澄ました顔で答えて素麺を啜れば、熊本は箸を止めて眉間に皺を寄せていた。
「可哀想な奴じゃなかや」
 福岡は口元をちょっと持ち上げて熊本に微笑を見せる。
「赦されんことより、ばちの当たらんことの方がきつかつぞ」
「ばちば与えてやるとや。偉かない」
「懐の広かけんな。抱いてもやるし」
「赦してもやるか」
「馬鹿。赦すか」
「まあ、しゃんたいな」
 食うだけ食って、熊本は片付けようとしない。福岡は余所行きに着替え、座敷を横切りざま、寝転んだ熊本の頭を蹴った。
「洗うとけよ」
「後でする」
「帰ってくるまでおるとや?」
「おっは尻が大事だけん、帰る」
「また来い」
 うん、のような、おお、のような、だらしない返事を背中に家を出た。
 日射しが激しい。これと蝉の声。庭を振り返ればラジオの声がある。懐かしい歌を歌っている。ニュースは終わったようだ。確かに、数十年前のことを思い出す。だが、それは過ぎ去る。胸に滾るのは怒りであった。
 玄関に立てかけた日傘は女の忘れ物だ。いつもならそれを差しておどけてみせてもいいが、そのような気分には到底なれぬのであった。まず、抱いてやらんばん、と胸に呟き、唇を歪める。
「楽しかなぁ」
 福岡は繰り返す。
「夏は楽しか」




2015.8.16 しゃさんの県擬の二次。